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日常的息抜き、ガス抜き? フランスと日本の決定的違いとは Posted on 2019/11/28 町田 陽子 シャンブルドット経営 南仏・プロヴァンス

レストランでの夕食後、家に帰る道すがら、教会前のバーをふらりとのぞいてみた。定期的にライブやDJパーティを開催する店で、この日も外まで音楽が聞こえ、人だかりもあったからだ。
店に一歩足を踏み入れたとたん、ひとりのおじいさんに目が釘付けになってしまった。オーラが彼の周りでキラキラ輝いている。ビシッとジャケットを着こなし、サンタクロースみたいな真っ白な長いヒゲを振りみだして一心不乱に独りで踊っている姿は、誰より素敵だ。あれ、でもよくみると、なんだ、いつもマルシェで見かけるおじいさんじゃない? でも、毛玉のついたセーターを着て、古びたマルシェカゴを持ついつものヨレヨレの老人ではない。
 

日常的息抜き、ガス抜き? フランスと日本の決定的違いとは

彼のように、夜は昼とは違う顔で、おしゃれをして出かけるのがヨーロッパの流儀。意外なほど日中はカジュアルで化粧っ気もあまりないフランス女性も、ディナーやパーティでは、みごとに変身してやってくる。仕事のあと、シャワーを浴びて着替える時間は、日常から非日常へスイッチを切り替える大切な時間である。白髭のおじいさんも、さぞやワクワクしながら身支度をしたことだろう。勝手な推測だが、亡くなった妻と一緒に踊った昔の楽しい時間を思い出しながら洋服を選んだのかもしれない。
 

日常的息抜き、ガス抜き? フランスと日本の決定的違いとは

老人は老人らしく、おとなしく家で寝ていなさい。などという人はいない。他人に干渉しないのがこの国のルールだから。たとえ夫婦でも、親子でも、人に敬意を払うのがルール。敬意というのは相手を尊敬し、大切にする気持ち。それは、丁寧語を使って大切に扱うといった形式的なことではない。相手の意思を尊重する、ということだろう。人にはそれぞれ意思があり、願望がある。日本では、よく夫婦間でああしろ、こうしろと隣で指示を出す夫や妻を見かける。わたしもよかれと思って時々やってしまうが、すると、すかさず、「あなたは僕の母親ではない」ときっぱり言い返される。ささいなことでも、一つ一つの決断や選択こそがその人の生き方であり、その積み重なったものを人生と呼ぶのだとすれば、互いに尊重し、認め合うことがなによりの敬意であろう。まして相手を思い通りにコントロールしようとしたり、批判するなど笑止千万、不幸の始まりだと、この国で暮らすようになってから学んだ。
 

日常的息抜き、ガス抜き? フランスと日本の決定的違いとは

さて、白髭のサンタ爺さん。クイーン、ストーンズ、オアシス、U2などでひとしきり盛り上がったあとは、テーブルにつき、いつもの老人の顔に戻り、ビールで人心地ついている。音楽は偉大だ。かんたんに過去にタイムトリップでき、力がみなぎり、老いた自分の姿も忘れて輝ける。忙しさにかまけて、あるいは「もういい年だから」と夜遊びをあまりしていない人は、おしゃれをして、ライブやクラブで少し羽目をはずしてみてはどうだろう。
 

日常的息抜き、ガス抜き? フランスと日本の決定的違いとは

しかし、日本とフランスでは決定的に違うことがある。その違いがある限り、フランス流夜遊びの実行は難しい気がする。圧倒的仕事優先の国に住む日本人が圧倒的私生活優先の国に住むフランス人の夜遊びを真似したら、過労でぶっ倒れる。彼らフランス人は、仕事を終え、家に帰り、シャワーを浴びて、メイクして着替えて、夫や妻、友達と外でアペリティフや食事を楽しみ、その後、ようやく踊りに行くのである。飲み物代だけの店も多いので、ビール1、2杯で2時間楽しむことだってできる。お金がなければないなりに、白髭爺さんのような年金暮らしでもナイトライフが楽しめるのはすばらしい。踊る合間に、隣で飲む人とおしゃべりできるのもいい。フランス人はおしゃべり好きなので、誰彼かまわず話し相手にしてしまう。夏の長期ヴァカンスも大切だが、日常の中のささやかなガス抜き的愉しみも同じくらい大切。パリやサントロペあたりのナイトライフはもっと華やかだろうが、フランスの普通の町は概ねこんな牧歌的な雰囲気だろうと思う。そして、踊り疲れたあとはのんびり歩いて帰るか、車で来ている人は誰か一人が人身御供となってお酒を飲まずに運転して帰る。
残業を切り抜けて、スーツ姿でクラブに滑り込むのではない。そこまでにたっぷりプロローグがあり、終電に飛び乗って満員電車に1時間揺られて帰ることもない。

じゃあ、どうしたら、という話だが、こればかりは社会を変えるしかない。フランスの失業率は日本よりかなり高いが、経済成長率も一人当たりのGDPもランキングは日本より上だ。すばらしい成績とはいえないかもしれないが、遊びと経済をそれなりに両立してはいる国だと思う。経済一辺倒に偏らないのは、国民がしょっちゅうストライキをして国や雇用主に圧力をかけ続けている“成果”なのかもしれない(甚だ迷惑な行為ではあるが)。つまり、「遊びかた」の違いは社会の違い。今日も外出から帰ってくると、道端で隣人がたむろして真剣な顔で議論している。なにかと思えば、水道料金の請求書が届いたと封書を手にして、皆でその詳細について文句を言いあっているのだ。フランス人は政治好きと言われるが、それは政治が即、自分の暮らしに反映されることをよく理解しているからであろう。社会を変えるのは遠い世界の政治家ではなく、わたしたち。たかが「遊びかた」と侮るなかれ。いつの時代も、真実は細部に宿る。
 

 
 

Posted by 町田 陽子

町田 陽子

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Yoko MACHIDA
シャンブルドット(フランス版B&B)ヴィラ・モンローズ Villa Montrose を営みながら執筆を行う。ショップサイトvillamontrose.shopではフランスの古き良きもの、安心・安全な環境にやさしいものを提案・販売している。阪急百貨店の「フランスフェア」のコーディネイトをパートナーのダヴィッドと担当。著書に『ゆでたまごを作れなくても幸せなフランス人』『南フランスの休日プロヴァンスへ』