ノルマンディ、ツジ村便り

辻村だより、8 Posted on 2025/12/17 辻 仁成 作家 パリ

おつかれさまです。
寒くなってきました。
冬のノルマンディは、けっこう、寒いですね。軽井沢も寒かったですが、さらに寒い感じです。
今日の質問にちょっといい写真があったので、御覧ください。
18歳の時の父ちゃんと、25歳の時の父ちゃんです。今とどう変わったんでしょうかね・・・。

辻村だより、8

※ 息子とは瓜二つなんです。笑。そして、下の写真がデビュー直後の写真です。青年でしたね、笑。

辻村だより、8

さて、今日もみな様から届きました、ご相談やお悩みにここノルマンディの辻村から、お答えしてみたいと思います。

匿名希望Hさん
「辻さんはいろいろなことをされていますが、自分は何が天職かわかりません。今、仕事を変えるか悩んでいるのですが、辻さんは会社員の経験がない、とおっしゃられていましたが、いろいろなことをされていますけれど、作家とか絵描きとか安定しない仕事を続ける中で、不安とかなかったですか? 何を信じてその道に入ったのでしょう? そして、どうやって、その年齢まで続けられたのですか? よければ、人生の節々での決断、そして将来は何を最後にやり遂げようとしているのか、教えてください。自分がこれから道を探すためのアドバイスも貰えたら、ありがたいです」

おこたえしまーす。



「話すとは長くなりますが、ぼくは会社員になりたいと思ったこともなく、大学も時間稼ぎで行ったにすぎません。ただ自分が何者かわからなかったので、創作で食べていけるか、分かりませんでした。でも、いろんな仕事があっていいと思っていたし、お金より、自由が大事だな、と最初から割り切っていました。強い決意でしたね。でも、作家なのか、なんなのかは、まだわかってませんでした。どう考えても学校の勉強は苦手でした。社会に入って、父親はサラリーマンでしたが、横で見ていて、ああ、大変な仕事だな、ぼくはいい加減だし、これは自分には無理だ、と思っていたんです。小学校の頃にはすでに・・・。それで映画を見に行ったら、映画監督という職業があり、図書館に行くと、作家という職業があり、ライブに行くと、プロのミュージシャンというのがいるし、美術館に行くと、画家という職業があることがわかって、ここらへんは自分にむいている、と思ったし、それが全部好きだったし、好奇心あったし、つまり、関心があったので、それをやってみたいと次第に思うようになるんです。今、思えば、美術大学に入っていたら、もっと早く覚醒していた可能性もあるな、と思い返すこともあるんですが、でも、ま、運命ですから、それも、結果論、わかりません。逆に、色に染まっていなかったので、無謀に挑戦が出来た可能性があります。でも、何ものでもない自分を認めさせないとならないと思い、ソニーオーディションとすばる文学賞に作品を送ったんです。きっかけは、必要ですから。退路を断つ、という考え方も若い頃は好きで、知り合いで投資家をしながらプロのミュージシャンを目指していた人がいたんですが、それは違うな、とぼくは思ったんです。最初は「一点突破全面展開」しかない、と、笑。それで、本当は絵も描いていたし、脚本も描いていたんですが、まずは、若いうちにしか出来ないミュージシャンの道に最初に飛び込むことになります。これは、正解だったかな、と思うのは、ロックって、もちろん、高齢になったブルーススプリングスティーンやストーンズも素晴らしいですが、あの若さからほとばしるものがロックには必要なのは、当然で、今、還暦過ぎた人たちが集まっても、若い頃のストーンズのようなものは絶対に出来ません。初期衝動が、そこにはあったわけです。ぼくは初期衝動が多岐にわたっていました。同時に小説も脚本も絵も描いてましたが、いっぺんには無理だから、若くなければ出来ない、その年齢じゃないと出せない、音楽のオーディションを一番最初に選んだのです。もっとも、自分の創作に、実は、最初から区別が無く、この話は前にもしましたが、表現をジャンルで分けるのが嫌いだったので、全部、ずっと続けています。表現の方法が違うだけで、だからぼくの作品は全部、根っこが一緒なんです。辻仁成という人間が生み出すもの、という点で。そこに区別をつけるのは、評論家かもしれない。でも、それは僕には関係なかったし、今後も関係ないです。ぼくはそもそも、これで食っていこうというプロ意識がなかったので、プロの職業作家、職業ロッカー、職業画家とかになりたいと思ったことは今もありません。美味しいものが食べられる報酬をもらえればラッキーくらいの意識です。でも、この意識はすごく大事で、考えてみてください、表現者が、経営者みたいになるのは、違いますよね。皆さんが、会社員になる時に求めるもの、一番はお金と安定ですよね。それならば、割り切ってお金を求めるなら、多少のストレスは当然だと思えばよく、いや、自分は自分の道を究めたい、それがたとえば手打ち蕎麦だったら、そこに向けてある程度のリスクは出るのも当然だよな、と。でも、その手うちの蕎麦で得た感動は自分のものです。そこが、したくない仕事とはちょっと違うことになります。ただ、リスクは大きいです。ぼくも、恥ずかしい話ですが、ECHOESというバンドでデビューした時、給料は5万円で、武道館をやった時でも、10万円でした。30歳の時です。ぼくの大学の時の友人はその頃、どっかの大企業の社員で年収1000万くらい貰っていました。「辻、大丈夫か」とばったり会った時に言われました。「楽しいよ」としか言い返せませんでしたし、実は、ちょっと不安にもなりましたね。でも、ずっと小説を書いていたので、奮起して、小説の新人賞に送って、作家になったんです。30歳の時に。そこから、人生はちょっと動きだします。不安はたくさんありましたし、今、66歳ですが、不安定なので、まったく不安がないか、といえば、嘘になります。退職金はないですから・・・。でも、ぼくの年齢になると大企業に入っていた昔の友人たちがみんな定年退職されています。ぼくには、定年がないんです。手に職をもっているので、死ぬまでぼくは細々とですが、死ぬまで好きなことを続ける道が残されています。逆の言い方をすれば、一生、働かないとならない、笑。しかし、不安よりも、楽しいの方が大きい。数千万円の退職金を貰った昔の友人を羨ましいと思ったことはないです。それはぼくの人生にはもはや、どうすることも出来ない問題だからです。運命みたいなもので、不安はあったけれど、お金はあとでついてくるだろうと思って、やり続けてきた結果が今なのです。そしたら、2,3年前から個展をやるようになり、今は、絵を描くのに一日のほとんどの時間を費やしています。絵は小学生のころから描いていましたが、職業画家を目指したことはありません。たまたま、日本画家の千住博さんに絵を見せたら、個展の日時が決められて、そこからはもうあれよあれよ、という感じです。きっと、ぼくの職業はアーティストで、これはぼくの天職なんだと思います。悩んだことがないことが、理由、です。いろいろな創作をやるから、批判されたり、バカにされたりしますけれど、66歳までこれを続けられている自分を褒めたいです。間違いなく、死ぬまで、この道を突き進むでしょうね。時々、歌い、時々、小説を発表し、時々、個展をやり、・・・、これがアドバイスになるかわかりませんが、苦しいものを選ばない方がいいかもしれません。お金が必要なら別です。でも、無責任なことを言うようですが、お金って、持てば持つだけ、もっとほしくなるものですよね。なければないでなんとかなったりします。一生を楽しんで終わらせたいなら、好きなことをやる、でも、生きていく分は稼げることをする。それが何か、は、あなたが考えないとならないことです。そして、あなたの最後の質問「辻は何を最後にやり遂げようとしているのか」に答えるならば・・・、ぼくはぼくを成し遂げるために今、創作をしているのだと思います」

辻村だより、8



展覧会情報

2026年の1月、パリの日動画廊で開催されるグループ展に参加します。
1月15日から3月7日まで。結局、11作品の展示となりました。フランス人巨匠も参加するグループ展だそうです。
GALERIE NICHIDO paris
61, Faubourg Saint-Honoré
75008 Paris
Open hours: Tuesday to Saturday
from 10:30 to 13:00 – 14:00 to 19:00
Tél. : 01 42 66 62 86

それから、8月前半に一週間程度、東京で個展を開催いたいます。
今回のタイトルは「鏡花水月」です。(予定)
タイトルは突然かわることがございますので、ご注意ください。

そして、11月初旬から3週間程度、リヨン市で個展を開催する予定です。詳細はどちらも、決まり次第、お知らせいたしますね。
お愉しみに!

辻仁成 Art Gallery
自分流×帝京大学