連載小説

連載小説「泡」 第一部「地上」第10回 Posted on 2025/09/20 辻 仁成 作家 パリ

連載小説「泡」 

第一部「地上」第10回

   無機質なリズムと明滅する光の中、俺はひたすらアカリを探しまわった。踊り狂う奇天烈な恰好の連中の中で、携帯の「探す」機能と睨めっこを繰り返した。地下なので電波が届き難いのだろう、青い丸は不規則に動き、ふっと消えることもあった。メインホールには数えきれないほどの若者が集まってくんずほぐれず踊り続けているせいもあり、そこからアカリを見つけ出すのは至難の業。俺はメインホールの中央に立ち、獲物を狙う鷹のようにじっと目を凝らした。
   せめて、ストロボフラッシュのような照明ではなく、普通の灯りだったなら、もっと簡単に探せるはずだが。チカチカと明滅するストロボのせいで、周囲にいる連中の顔が、一瞬、闇の中を舞う蛍のごとく浮かび上がっては消えた。俺はゆっくりと身体を回転させながら、360度、会場を見回す。この中からアカリを探し出さないとならない。眉間に力が籠る。時々、俺は携帯を覗き込み、青い丸の位置を確認した。ちょうど一周した時、踊る群衆の中に、アカリではなく、見覚えのある人間の輪郭が浮かび上がった。頭が錯綜する。誰だっけ、と慌てて目を凝らしたが、光は瞬く間に消え、残像を取り逃がしてしまった。慌てて周囲を振り返ると、真後ろに、やはり、見覚えのある女が立っていた。俺は思わず背筋が凍りついた。それは、ミルコだった。
   次の瞬間、またしても、すっと光と闇が交差する隙をついてミルコが消えた。ミルコは踊ってはおらず、俺をただじっと見ていただけだった。でも、微かに微笑んでいたような気がする。現実なのだろうか、それとも、幻か。
   タキモトが言ったように、ミルコが死人なら、俺が見た女の残像は幽霊ということになる。もしくは、俺の記憶に焼き付いた何か、だ。焦点を絞り、さらにぐっと覗き込んでいると、まもなく、ミルコが消えた闇の奥あたりから、ツインテールのアカリらしき残影が浮かび上がってきた。もっとも、アカリは踊ってはいない、ミルコのように、群衆の中に立ちすくんでいる感じだった。
   俺は、逃さないよう、急いで、アカリらしき残光を追いかけた。そして、ついに、アカリの背後に辿り着く。先に、俺に気が付いたのは、アカリの横で身体をくねらせていたアケミとかいうホストだった。そいつが、アカリに合図を送り、アカリが俺を振り返った。アカリが俺を睨むように見つめてくる。いつか、こうやって、再会することを予期していたかの、悟った表情であった。俺たちは見つめ合った。俺には確かめないとならないことがあった。アカリは逃げようともしなかった。吸い込まれるような瞳が俺を試すように見つめ返してくる。だまされちゃいけない。謝られて済む問題でもない。俺は意を決し、アカリの腕を掴むと、力任せに引っぱった。アカリは軽く抵抗しながらも、俺に従った。

連載小説「泡」 第一部「地上」第10回

© hitonari tsuji



   二人は地上階の駐車場の中ほどで向き合った。離してよ、とアカリが言い、俺の手を振り払った。ツインテールのアカリが視線を逸らす。いつもより、化粧が濃く、だからか、いつもより、目力が強く、だからか、俺の嫉妬はこれまで以上に燃え盛った。こいつは俺を裏切り、その身体を他の男に捧げた。怒りが沸き起こる。でも、同時に、アカリを失いたくないという気持ちにも苛まれる。
   「ひとつ聞いていいか?」
   「いいけど」
   「アカリ、どうして、エアタグを持ち続けてるんだ?」
   アカリの目がわずかに宙を彷徨った。
   「エアタグ?」
   「ああ、エアタグだよ。俺たち、交換して、一緒に持ってるじゃん。だから、俺はお前を追跡出来たし、お前も俺が来るのを待つことが出来た」
   「そうか、だから、ここがわかったのね、しゅうちゃん」
   「え、」
   「ごめん、そのことすっかり忘れてたわ」
   そう告げると、持っていたバックの中からキーホルダーを取り出し、俺の鼻先に突き付けた。
   「そうだったね。これ、わたしが買った奴。二つ」
   「え、じゃあ、俺に居場所を伝えたくて、持ち続けたんじゃないの? 愛の証じゃなかったってこと・・・、あの、お前、野本にさ、『私たち愛し合っているから、浮気とか絶対ない自信があるの』って言ったよな? 言った」
   「しゅうちゃん、わたし、そんなこと言ったっけ? いつ?」
   「マジか。でも、ほら、店で、このエアタグを最初に野本に見せびらかした時、野本がからかうように「お前ら、なんでそんなバッカなことする?」と言って、お前が、「私たち愛し合っているから、浮気とか絶対ない自信があるの」って言ったじゃん、言ったんだよ、言っただろうが、覚えてねーのかよ」
   アカリが首を傾げた。そして、考えてから、
   「言ったかも。でも、ちょっと忘れてた」
   とふざけたことをぬかしやがった。この言葉を人生のよりどころにしていた俺は、卒倒しそうになった。忘れてた、だと? 
   「ごめん、しゅうちゃん、言ったと思う。だって、これ、アカリが買ったんだもの、二つ」
   「じゃあ、なんで買ったんだよ。言えよ、こら」
   「それは、野本さんに言った通りだと思います」
   思います、といきなり敬語で言われ、腸が煮えくり返った。そのいい加減な記憶に俺の心はずたずたにされてしまった。少なくとも、このエアタグが俺とアカリを繋ぐ、唯一の愛の証だったので、それが幻想であり、妄想だということがわかり、ため息がこぼれ、俺は思わず俯いてしまう。
   「しゅうちゃん、でも、アカリはあれから、いろいろと考えた。やっぱり、しゅうちゃんが好きなんだって」
   「アカリ、なのに、お前はあんな腰抜けホスト野郎とパーティで楽しそうに過ごしてる。ビルから飛び降りようとした、翌日に」
   「しゅうちゃん、アケミちゃんは大丈夫だからね、殴らないで」
   「知ってるよ。男にしか興味ねーんだろ」
   「よく知ってるね。あの人はソウルメイトなんだよ。それに、見える」
   「何が」
   「霊界とか、背後霊とか」
   くそ野郎、と吐き捨てた。アカリは無邪気に微笑んでいる。その顔を俺はじっと見つめ返した。ピュアな汚れのない瞳が二つ、ネオンの光をかき集めて、俺の目の前で嫌味たらしく輝いていた。この瞳のせいで、俺の人生は奔走されている。俺はどうしたいというのだろう。俺の知らないところで他の男たちと関係を持つことが出来るような恋人じゃ、身が持たない。こいつ、俺にとってなんなんだ。これから先一生未来を共に歩き続ける伴侶なのか、それとも、人生の厳しさを教えるために現れた試練の悪魔か。

連載小説「泡」 第一部「地上」第10回

© hitonari tsuji



   「アカリ、ハラグチを問い詰めたが、あいつじゃなかった。お前をたぶらかした奴を教えろよ。はっきりさせときたい」
   「だから、なんでもすぐに信じるのダメでしょ。それは嘘。嘘よ」
   「は? 今更、でたらめ言うな。お前を孕ませたのはどいつだよ」
   「今朝、病院でちゃんと検査をしたの、そしたら、セーフ」
   頭に血が上った。思わず、アカリの顔をひっぱたいてしまう。大きな音が駐車場に響き渡った。痛いでしょ、なんで叩くのよ! とアカリが騒ぎだし、ハイヒールで俺の足を蹴とばしてきた。それだけじゃ、気が済まなかったようで、細いこぶしで俺の顔を殴りつけようとした。俺は素早く身を翻し、その手首を掴んで、
   「ふざけんなよ。仮に出来てなかったとしても、やったってことだろ? 嘘つくな、誰だよ、そいつら、ぶっ殺してやるから。言えよ、言え!」
   と、叫んだ。
   走って来たホストのアケミが俺たちの間に割り込み、もう、やめてよ、二人とも、こんなところで、やめなさいよ、あんたも男でしょ、女子を叩くのは最低だからね、と仲介に入って来た。くそ、てめーは黙ってろ、と俺は腹の底から大きな声を張り上げる。俺はアカリを振り返り、抑えきれない気持ちを爆発させた。
   「アカリ、俺はお前のことを愛してるんだよ。だから、苦しくて、ぶっ壊れそうなんだよ。俺の気持ちもちょっとは考えろよ」
   「だから、全部、嘘だって、しゅうちゃんと離れたかったから、仕方なくついた芝居よ。わたしだって、自由になりたかった。まだ、出会って4か月なのに、しんどい。それは本当よ、しゅうちゃん、独占欲強いから、それにすぐ妬むじゃん。ついでにそいつら半殺しにするじゃん。半グレの仲良かったヒロトもボコボコにしたでしょ? ひどいじゃん、あの子いい子なのに。わたしに抱き着いただけでしょ? 別になんにもしてないし、わたしは籠の中の鳥で誰とも遊ばせてもらえないから、別れたかったのよ。それで、悩みに悩んで、わたし、バカだからさ、でまかせついただけ。ダメなの? わたしの身になって考えてみてよ、普通の友だち、こんな経験ないもん。しゅうちゃんのことは今でも好きだけれど、辛いんだから」
   「それはほんとか? 今でも俺のこと好きでいてくれるのか?」
   俺はアカリの両肩を掴んで、問いただした。アカリは、涙を流しながら、視線をそらし、まもなく、でも、と小さな声で俺を遮るのだった。
   「でも、しゅうちゃんより好きな人が出来た」

          次号につづく。(個展の絵の仕上げの為、1日休み、次は月曜になります)

※本作品の無断使用・転載は法律で固く禁じられています。

連載小説「泡」 第一部「地上」第10回

© hitonari tsuji



辻仁成、個展情報。

パリ、10月13日から26日まで、パリ、ピカソ美術館そば、GALERIE20THORIGNYにて「辻仁成展」2週間、開催。

1月中旬から3月中旬まで、パリの日動画廊において、グループ展に参加し、6点ほどを出展させてもらいます。

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辻仁成 Art Gallery

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Hitonari Tsuji
作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。