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連載小説「泡」 第四部「地上、再び」第4回  Posted on 2025/11/27 辻 仁成 作家 パリ

連載小説「泡」 

第四部「地上、再び」第4回  

   アカリの行方は依然分からなかった。気が付くと思わず携帯の「探す」機能を弄ってしまうが、エアタグの所在地を示す青い丸はこの場所を当然示していた。携帯に何度も電話をしたが、もちろん、出ることもない。そして、メッセージも既読にならなかった。
   俺はアケミに電話をかけることになる。
   「なんか、ちょっと心配はしていたの。久しぶりに会った時、いつものアカリじゃなかったから・・・、でも、そこまで病んでいたんだね。可哀そう・・・」
   アケミはアカリからは何も連絡がない、と言った。自分からも連絡をしてみるけれど、きっと、応答はないだろう、とアケミはつけ足した。何をしでかすか、わからないので、警察に届け出ることも考えたが、警察に届けたところで、わかるわけもなく、まずは、自力で探し出すしかなかった。でも、どうやって? 
   エアタグを置いていった、ということは、もう戻らない、という彼女の強い意思の表れだ。でも、なんで、そんなことに・・・。
   「どうやって探せばいい。やっぱり、その街に戻ったのかな? アケミ、探りを入れて貰えるか」
   「もちろんよ。あちこちにさりげなく聞いてみる。アカリが所属していたモデル事務所にも知り合いがいるし、ハラグチさんとか、ニシキさんにも・・・」
   「ニシキ? 家を出て行って、ニシキを頼るんなら、それはもう、最悪だな・・・」
   「いや、しゅうさん、それはないと思うけれど、ニシキさんはアカリのことは可愛がっていたからね、しゅうさんとのことがあっても、あの人は頼られたら手を差し出すと思う。ここはそういう街だから・・・」
   「くそ野郎」

連載小説「泡」 第四部「地上、再び」第4回 

© hitonari tsuji



   俺は苛立つ自分を必死でおさえなければならなかった。子供も生まれ、幸せの手前まで来ていたのに、振り出しに戻った。いや、振り出しどころか、最悪の結末になる可能性がある。
   「とにかく、しゅうさん、リンゴ君を守れるのはしゅうさんしかいないんだから、早まらないで。リンゴ君のために働いてよ。そうでしょ? 心の問題を抱えているにしても、アカリは大人なんだし、それに、彼女はこの街以外、他に行くところはないし・・・。しゅうさんと繋がっているから、わたしんところには連絡はないと思う、警戒しているはずだから。でも、この街は広いようで狭いから、見つけ出せると思う。アカリが個人的に仲がよかった連中のところにはいつか必ず連絡が入る。そうでしょ? 彼女は天涯孤独で、身寄りもないんだから、ここしか、アカリには、そう、この街しかないの」
   アケミの言う通りだった。アカリには二つしか選択肢がない。あの街に戻ることか、死ぬことだ。
   「とにかく、今はわたしに任せて、探し出してみせる」
   「わかった」

連載小説「泡」 第四部「地上、再び」第4回 

© hitonari tsuji



   苦しかったが、どうしようもない。まだ、最悪の結末ではない。死なないでいてくれるなら、それでもいい。今は、アケミからの連絡を待つしかないが、リンゴを残して、当てもなく、探しに出ることも出来ない。そもそも、あの街は敵だらけ・・・。
   落ち着かない日々だった。何も分からないリンゴを抱きしめ、思わず、涙が溢れ出ることもあった。泣きながら、リンゴの相手をしてやった。両親は黙っていた。誰のせいでもなかった。しかし、これが厳しい現実であった。
   俺の胸の中で泣き続けていたアカリの幻影が、四六時中、俺の心に覆いかぶさって来た。どうして助けてやれなかったのか、後悔ばかりで苦しかった。それを打ち払うために、俺は黙々と働いた。疲れて家に帰ると、母親を探し回るリンゴがいた。
   「ママ」
   リンゴはよちよちと歩きながら、ママ、と言い続けた。いつも彼女が横たわり泣いていたベッドを見上げ、ママ、と指さした。俺には「ママがいないね」と言っているように聞こえた。我慢できなくなって、号泣してしまう。大きな声で泣いた。両親がやって来た。珍しく父親が俺の背中を抱き寄せた。そんなことをする父ではなかったが、その太い腕に支えられると、まるで自分が子供に戻ったような気持ちになった。中にあるもの、我慢してきた感情、ありとあらゆる思いを吐き出すことが出来た。俺が号泣をしたので、リンゴが驚いた。リンゴが俺のところにやってきて、俺を慰めるように、俺の腕の中に潜り込もうとした。それがまた涙を誘うのだった。
   「パパ」
   リンゴがはじめて、パパ、と俺のことを呼んだ。生まれてはじめて、パパ、と言った。パパ、・・・。

連載小説「泡」 第四部「地上、再び」第4回 

© hitonari tsuji



   その夜、アケミから連絡があった。
   「ちょっと情報があった」
   アケミはいきなり、そのようなことを告げた。身構えた。
   「でも、それがまだはっきりとした情報じゃないの・・・」
   どういうことだ、と先走って口を差し込んでしまう。
   「ちょっと待ってね、実際に、わたしが 目撃したわけじゃないんだけれど、アカリのことを知っているわたしの知り合いのホストが、会ったって」
   「どこで、いつ?」
   「それがね、ホストクラブの経営者で絵のコレクターをやっている帝塚山という男がいて、彼があの街のど真ん中に若い人が集まる現代アート専門のギャラリーを経営しているの。ハラグチさんの知り合いでもあるから、しゅうさん、知らないかしら・・・」
   「いや、そんなやつ、知らねー」
   「そこでちょうどいま、高沢育代の個展が開催されているんだって。知り合いがそれを見に行ったら、アカリらしき女性がいたって。声をかけたんだけれど、無視されたって。でも、アカリだったと思う、とその人言っていた。高沢育代の個展会場だから、アカリがいてもおかしくない。でも、問題は、ニシキさんの事務所がその2,3軒隣の雑居ビルにあって、みんなしゅうさん探しているし、歓楽地のど真ん中で、めっちゃ危険な場所なんだよね。しゅうさん、ちょっとここは作戦を練った方がいいと思う。その勢いで、飛び込んで行ったら、今度こそ、腕をへし折られるだけじゃすまないよ。撃ち殺されるかもしれない」

次号につづく。

  
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辻仁成、展覧会情報

2026年、1月15日から、パリ、日動画廊、グループ展に参加。
2026年、11月に、3週間程度、フランスのリヨン市で個展が決まりました。詳細は後程。
2026年、8月、東京での規模の大きな個展を計画しています。詳細は待ってください。

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Hitonari Tsuji
作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。