自分流・日々のことば
日々のことば、「生と流」 Posted on 2026/01/31 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
小生が好きなことば、よく想うことばがあります。
「生々流転」
です。
「せいせいるてん」もしくは「しょうじょうるてん」と読みます。
生々とは、生まれては死んでいく、そして、死んでは生まれる生き物の生の繰り返しを意味しています。
また、流転は一つのところにずっととどまらないで、つねに移り変わっていく変化のことを指しています。
この二つのことばが組み合わさり、「生まれ変わりながら流れ続ける」ということを説いた仏教のことばです。
類義語に、「諸行無常」がありますが、こちらは「すべては変化する」という意味となります。似た概念ですが、よく比べると、全く異なるのがわかります。ぼくにはぜんぜんベクトルが違うように感じてなりません。

個人的な解釈なので、怒られることを覚悟で申し上げますが、諸行無常には無常というものが根底にあるので、避けられない運命を感じます。一方、生々流転には、生まれ変わりながら流れ続けるわけですから、再生を感じ取ることが出来ます。仏教の方には怒られる解釈かもしれませんが、ぼくは輪廻を意識したことがありません。
仏教思想の中には、六道(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)世界を迷いながら人間は、生まれ変わるという輪廻思想がありますが、ぼくにはその思想はどうやら関係がないようです。
子供の頃から、「生まれ変わったら何になるの?」と大人に聞かれると、必ず「ぼくは生まれ変わらない。終わる」と答えておりました。大人は驚いていましたが、この「終わる」は消えてなくなる、とは違います。「次に行く」を含んだ「終わる」でした。そういう人間がこのことばを横に置いているというのはおかしな話だと思われますが、この生まれ変わるというのは「日々」の中にあるもので、死とは関係ない、と個人的には読み取っておりました。細胞は滅してまた新しくなります。今の自分の中の細胞で生まれた時から今日現在まで続いているものはないのじゃないでしょうか? つまり、生々流転の「生々」とは、死、に限らず、次があることを示唆したことばだと思うのです。再生です。輪廻思想がなくても、生々流転は読みほどくことが出来る深く尊いことばだと思うわけです。
小生が生きる上で、この生々流転は、非常に動的な循環エネルギーを持ったことばであり、生まれたり死んだりしながら人間は流れていくものだ、という生命の運動を前向きに評価しているところが素晴らしいと感じるのです。喜びも悲しみも儚さも尊さも、あらゆることは、生々流転の中にこそある、と思いながら日々を流れているのが、心地よく感じます。毎日、小生は生まれ変わっています。朝起きた時には、昨日を脱ぎ捨て、新しい今を絶大なる感動で受け止めてスタートさせたいと思っているわけです。
えいえいおー。

posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。


