JINSEI STORIES

滞仏日記「夜風にふかれていると、不思議な青年たちに取り囲まれ、連行された」 Posted on 2021/07/30 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、パリに戻り、会わなければならない人がいたので、左岸の居酒屋のカウンターで食事をした。
有名なDJさんなのだが、いずれ、ご紹介したい・・・。
そこはたまに顔出す店で、店主は二代目。最初の店主は病気で他界し、その後を継いだ新しい店主も在仏歴の長い日本人で、居心地がよく、ぼくの隠れ家的な店でもある。
カウンターの居酒屋がパリにあまりないし、ふらりと立ち寄って暖簾をくぐれるところも、ノスタルジックで有難い。
DJさんに「ここの天丼は世界一なんだ」と言ったら「食べたい」というので頼んだら「辻さん、メニューにないすよ。勘弁してくださいよ」と言われたが、え? そうだったっけ、( ^ω^)・・・
しかし、よしみで特別に作ってくれた。
ぼくは呑んでる時はあまり食べないから注文しなかったけれど、DJは「美味しい美味しい」と食べていた。
9月17日と10月2日に、パリでイベントを計画している。もちろん、コロナ次第というところだけれど・・・。鬱っぽいぼくの目下の楽しみでもある。

滞仏日記「夜風にふかれていると、不思議な青年たちに取り囲まれ、連行された」



打ち合わせが終わって、店を出た。
DJさんと別れ、ぼくは1人夜風にあたりながら、ふらふらと歩いた。
ぼくが住んでいるパリ左岸地区、サンジェルマンデプレ界隈に住んでいるのだけど、サンジェルマンやオデオン地区というのは、かつては、文学や映画や音楽の中心地で、うちの近所には、歌手のセルジュ・ゲンスブールや作家のボリス・ヴィアンなんかもかつて住んでいて、今はどうだか知らないけど、昔はかなり文化的な場所だった。
しかし、ぼくはそこの路地裏が好きで、家に帰る時、わざと、同じ道を通らないように、戻っている。
ようは、夜風にあたって、マロニエの街路樹の下で迷子になるのだ。あはは。
で、いくつかの路地を曲がったところにとある一軒のレストラン(?)があった。
歩道に、ぼくと同じようなハンチングをかぶった青年たちが屯していた。
ぼくもハンチングをかぶっていたので、似てる、と思っていたら、その中の一人が、
「やあ。あなたも来たのかい?」
とぼくに向かって、言った。
「そうだよ、ここだよね?」
とぼくはとっさ、大きな声で答えた。
こういうところが、ほんと、変なやつなのである。
人が絶対近づかないような場所に平気で潜り込んでいく。



嘘をついたわけじゃなく、ぼくにはその瞬間、この子たちとものすごく仲良くなる気がした、のだ。
そういうのを予知能力という。
もしかしたら、ぼくはここを目指していたのかもしれない、と気が付いた。
「もうすぐ、始まるけど。空気を入れ替えて、ほら、今は換気が大事だから」
と別の子が言った。
その子たちはハンチング、ぶかぶかのズボンをサスペンダーで吊っている。
昔の演劇に登場するような青年たちである。
似たような恰好の子が半分、女子はなぜかみんな眼鏡をかけて、うっすらと暗い感じ・・・文学少女風。何があるの、とは聞けないので、
「楽しみだな」
と言ったら、その子が、ぼくはティモテだ、と名乗ったので、ぼくも自己紹介した。
「ひとなり?」
「そう、ひとなり」
「ひとなり、あなたもなんかやってるんでしょ? 見た感じから分かるよ」
と言うのでここは正直に、作家だ、と答えた。
すると、そこでゴロゴロしゃがんでいた連中がこちらを振り仰いだ。
ティモテが通りかかった店主らしき人物を捕まえ(その人もハンチング!)、ねー、クロウド、この人、日本の作家らしいよ、とぼくを紹介した。
「やあ、日本からはるばる来てくれたのか。じゃあ、特等席がある。さあ」
と言われ、ぼくはそのまま、中に招かれた。
ま、いいか・・・
コロナだけは気をつけなきゃ。FFP2、強力マスクを取り出し、装着した。
ぼくが中に入ると、外にいた十数人が入ってきて、壁沿いの席に座ったのだ。灯りが消えた。
「日本の作家だ」
店主がぼくをみんなに紹介した。小さな拍手が起こった。
不意に、店主の後ろに若い髭面の青年が現れ、スツールに座った。
「じゃあ、はじめよう」
そのあと、何か演劇のようなものが、いきなり、始まったのだ。
そうだ、いきなり。前触れもなく、カフェのような空間のカウンターバーの前で、・・・。

滞仏日記「夜風にふかれていると、不思議な青年たちに取り囲まれ、連行された」



ぼくはじっと耳を欹て、髭面の青年のセリフのような仏語を訊いた。
すると、その店主と掛け合いが始まった。歌のような、メロディのない言葉の羅列・・・。え? これは有名な詩だな、と思った。
すると、髭の青年が暗唱しているのに、不意に客席からも、言葉が飛んだ。
ハモるように数人で暗唱が続く。まさに、演劇だった。
何か、パスされるみたいに、暗唱が客席を移動する。詩のウエーブみたいな感じ・・・。
ぼくの横に座ったティモテが、特に一番、参加していた。
これはなんだろう、と思った。朗読の会には何回か参加したことがあるが、暗唱の会、というのははじめて。
こんなの一度も経験したことがない。

滞仏日記「夜風にふかれていると、不思議な青年たちに取り囲まれ、連行された」



地球カレッジ

彼らは文学青年で、暗記している古いフランスの代表的な詩、たとえば、アルチュール・ランボーの「イリュミナシオン」などを、ラップではないけど、暗唱で掛け合いしているのである。
見事なリズム・・・凄い、と思った。
長編詩が彼らの頭の中に完璧に入っていて、それをみんなが、自分の席から参加する。
彼らが発する言葉によって、同じ詩が違う生き物のようなうねりをもって、バーの中、いや、ここはバーというより、小さな劇場なのだ、に響き渡る。
ぼくは興奮をして、思わず、すげー、と日本語で呟いてしまった。
周りにいる若いフランス人たちがぼくを振り返り、誇らしげに笑っている。
一つの長編詩が終わると、客席の中から、若い女性が立ち上がり、髭青年の横に座った。
そして、再び暗唱がはじまったのだ。創作詩じゃなく、暗唱。なぜなら、そこにいる若者たちが、一緒に、暗唱をするのだから・・・。
マラルメ、アンドレ・ブルトン、ジュネ、アラゴンなどの詩を暗誦してみせた。誰もが、諳んじているのである。
これはいったい、なんという世界だ、とぼくは日本語を吐き出してしまうのだった。

滞仏日記「夜風にふかれていると、不思議な青年たちに取り囲まれ、連行された」



15分ほどで、灯りが付き、窓が一斉にあけられ、みんなが立ち上がり、再び外に出た。
ティモテが、どうしでしたか? と訊いてきたので、
「あまりに驚いて、言葉が出ない」
と正直に言った。
「いつもやってるのかい?」
「けっこう、しょっちゅう」
「演目、決まってるの?」
「いや、誰かが暗唱をし始めたら、それをぼくらも暗唱する」
「じゃあ、いろいろと覚えてるってこと?」
「もちろん。ぼくらは詩が好きなんですから」
「ひとなり、ところであなたはどんな小説を書くの?」
ティモテのとなりにいた青年が日本語で言った。
イナルコという、日本の外国語大学みたいな学校の卒業生だった。
ぼくはもう一度名前を言い、誰かがウイキペディアだったか何かで、ぼくを見つけ、そこからしばらく彼らに囲まれて、ぼくの小説の話しになった。
実は、ぼくも自分の詩を発表をしたかったのだけど、ぼくは酔っていたし、絶対にまちがえるから、やめた。
すると店主がやってきて、次回、ここで、あなたの小説を朗読してほしい、と言われた。
「なんで、断る理由があるんですか?」
と非常にフランス的な言い方で、ぼくはそれを受けることになる。

滞仏日記「夜風にふかれていると、不思議な青年たちに取り囲まれ、連行された」



外に出て、まだ若い子たちに囲まれ、文学の話しが続いた。
ギターを弾いていた青年からぼくはギターを奪うと、小さな声で、ZOO、を歌った。
これは現実なんだろうか?
しかし、実に心地よい夜だった。
こんなことが不意に起こる、これがパリなのである。

つづく。

自分流×帝京大学