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滞仏日記「それでもぼくは、一人で生きる飯、へと突き進むのである」 Posted on 2021/09/22 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、息子とは連絡がつかないというか、連絡しあってはいない。
パリを出る前、荷物を車に積んでいたら、
「パパ」
と呼ばれて振り返ると息子が突っ立ていた。
「あ、田舎に行ってくる。ごはんはいつものように冷蔵庫に。冷凍庫には作り置きがタッパーに。あと、ちょっとお金も置いといた。足りなかったら、建て替えといて」
「うん」
「すぐ帰って来る」
「うん」
そう言い残すと、息子は建物の中へと入っていった。
ここのところ、田舎とパリの往復生活が当たり前になってきたので、パリの仲間たちも、久しぶりに会うと、田舎に行ってたの~、と聞かれるようになってきた。
そして、同時に、田舎の知り合いも増えてきた。今日、パリから戻ってきたの~、と言われるのだ。不思議・・・。
これが意味するものが何かを今は探している。



田舎と書いてきたけど、人口4000人くらいの小さな町だから、純粋な田舎ではない。
大きなカルフールも車ですぐのところにあるし、海も近いし、山も近い、しかも、歴史的な土地なのである。
レストランとかカフェもあるし、隣町にはマルシェも立つから、過疎地域とかではない。
でも、空気が超きれいで、星が驚くほど輝いているし、自然にも囲まれている。だからか、とにかく、よく眠れるのだ。
不眠症を長く抱えてきたぼくにとって、ここでの静かな暮らしは理想的と言える。
今はいつか自分一人で暮らすだろうその日に向けてのリハビリの最中という感じ・・・。
それはどういうことかというと、自分のために料理をしたことがなかったので、自分のために作ることの難しさを実感している、というところか・・・。
誰かのために料理を作るのって、やっぱり、起動力は愛情だ。
でも、そこまで自分に対しては愛情を持つことが出来ないので、キッチンに立つ時、ぼくは自分に優しい、素食だけど、人生を豊かにさせてくれるものを作ろう、と心がけている。←今はココ・・・。

滞仏日記「それでもぼくは、一人で生きる飯、へと突き進むのである」

※ フランス人が作ったこのかっぱ巻き、ちゃんときゅうりが千切りになっているところに感動して買ったのだけど、お米がちょっと残念な他は、美味しかった・・・。



昨日の夜はスーパーでかっぱ巻き、2ユーロを一つ買い、頂いた十割蕎麦を茹で、これまた頂いたおぼろ豆腐と一緒に、食べた。
今日はぼくの新作「フランス風トンジル」を作った。
これは、近年のヒット作で(笑)、料理雑誌danchyで11月号で取り上げられる予定、・・・。すでにウェブdancyuでは紹介済みだ。
NHKの料理の先生の尾身さんが再現してくださり、「辻さん、めっちゃ、美味しかったわー」と褒めてくださった自信作。((´∀`))ケラケラ。
自画自賛、大好き。(誰も褒めてくれないから、ぼくは自分をほめる天才になった。えへへ)
ようは豚汁なんだけど、「野菜を食べるためのスープ」として考案したものだ。
前にも書いたけど、フランス語的には、スープは食べるとなる・・・。
オリーブオイルとバターで香りをだし、グレープフルーツ風味の胡椒「ティムート」を重要なスパイスに使用している。
ジャガイモの代わりに、フヌイユ(ウイキョウ)を用いるのも大きなポイントで、その個性的な風味が、食欲をそそる・・・。
最近は料理をしてなかったけれど、迫りつつある一人生活のために、ひそかに考案したのがこの「フランス風トンジル」であった。
一人でも楽しく頂けるもの、というのが大コンセプトになっている。
だまされたと思って、ぜひ、やってみてほしい。
このティムートはフランスではクリーム系のケーキや高級チョコレートによく使われている。非常に繊細でとっても個性的な胡椒である。

滞仏日記「それでもぼくは、一人で生きる飯、へと突き進むのである」



このように、ぼくは一人暮らしへ向けて、着実に歩みだしている。
息子は地方の大学を目指しているので、合格したら、彼も一人暮らしをはじめる。
ま、若いし、料理もやるので、心配ない。
ぼくは新しい仲間たちとの出会いを求めながら、フランスの地方の町で静かに健康な老後を目指して生きていかなければならない・・・。
そのためには、「一人で生きる飯」という新たなミッションが重要になるのだ・・・。



脱都会を実践しながら、同時に、ぼくはネットとか電子の世界へのアクセスを強めている。もともと小学校の頃に電話級無線技士の資格を取得した。
思えば、電子世界への先見だったのかもしれない。小学生の時、ハワイのアマチュア無線技士のおじさんと交信出来た日のあの感動が今も忘れられない。
「ハローCQCQ、こちらJA8PGZ、ジャパン・アルファー・エイト・パパ・ゴルフ、ザンジバル・・・」



今日は、たった一人で、カメラを三台並べて、自分のアパルトマンの片隅で、生まれてはじめて作ったギター曲「MATSURI」のYouTube収録もやった。
デザインストーリーズや地球カレッジや2Gチャンネルなど、いろいろなプラットホームを作ってきたけど、これには意味がある。
コロナ禍のせいで一気に始めたかのように見えるかもしれないが、実は何年も前からこれまでの価値観からシフトし、スタートさせていた。
出版不況や、表現の制限、人々の活字離れ、ダウンロードによるCD販売の不振、音楽業界、映画産業の衰退など、これまでの価値観が大きく変異している中に、コロナが出現し、世界はひっくり返った。
その結果、ぼくは田舎生活を、そして、来るべき一人で生きる飯の時代への準備を開始したのであった。



ネットやオンラインの世界は、どこにいても、場所を選ばないのが海外在住のぼくには好都合であった。
ぼくはもともと引きこもり気味なおやじだったからね・・・。
正直、フランスでなきゃならないこともない。ポルトガルでも、南アフリカでも、どこかの島でも・・・。
内向的な人生観に浸りながらも、ネットや電子世界を駆使して、今までにない人間性を築き、独自の世界を作ろうと思って、ある意味、この新しい二重生活にチャレンジしているのかもしれない・・・。
その根本にあるのが、一人で生きる飯、ということになる。

そういえば、渡仏後気が付いたことだけど、フランスのお爺さんお婆さんは一人で生きてる人が驚くほどに多い。
家族に頼らないで、死ぬまで一人を貫くのだ。
アジア人的には、寂しい人生観に思えるかもしれないが、個人主義の行きつくところに、この一人で生きるお爺さん、お婆さんたちの人生が重なる・・・。
ぼくは超日本的な核家族の中で育った。
でも、今、ぼくも弟も一人で生きる道へと進んでいる。最近、弟とは仲がいい。時々、息子と弟の名前を間違えるほどに・・・。
さてと、どういう人生がぼくを待っているのだろうか?
フランス風トンジルを食べながら、将来をこっそりと夢見てみようじゃないか。

つづく。

滞仏日記「それでもぼくは、一人で生きる飯、へと突き進むのである」

※ 今日の動画撮影の一コマ・・・。
( ^ω^)・・・/



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