JINSEI STORIES

滞仏日記「百年前にもカフェ・フロールで飲んだ記憶があった」 Posted on 2021/11/13 辻 仁成 作家 パリ

地球カレッジ

某月某日、制服を着たどっかのスポンサーの方々に食事に誘われ、料亭みたいなところでご飯をごちそうになったのだけど、・・・いろいろと仕事の依頼を受け、まぁ、いいですね、とかいいながら和やかに会は終わりを迎えたのはいいのだが、帰りのお会計の時に、先方のナンバー2みたいな人が「食事代は出しますから、酒代は辻さん払ってくださいね」と耳打ちされた。
え? しかし、最後に「山崎ウイスキー」をボトルで入れたじゃん、と思った父ちゃん。元々、ごちそうされるのがあまり好きじゃなく、いつも払う側だったから、別にいいですけど、と思って、差し出された請求書を見たら、5万7千円!
ゲッと思って、慌てて財布をみたら、千円札しか入ってなくて、危機一髪ってところで目が覚め、なんだよ夢かよ、驚かせるなよ、と思いながらも、意識が冴え冴えとしてきたら、自分のカッコ悪さを思い知らされ、ちっちぇー、つぶやいた目覚めの悪い朝であった。

滞仏日記「百年前にもカフェ・フロールで飲んだ記憶があった」



息子は朝から進路説明会に出かけ、そのまま、アレクサンドル君の家にお泊り、するので出かけて行った。昼過ぎ、中島君ことエリックがやってきた。
もう、指示を出さなくても、彼は家のことを知り尽くしている。完璧な掃除をやってくれるので、助かった。
「荒城の月」のギターと歌を練習した。
最近、滝廉太郎にはまっていて、次のライブでやりたい、と計画中。
それから、料理雑誌dancyuの植野さんと軽い打ち合わせ、(今度、27日に地球カレッジでスープ対決をやるので、お互いどういうスープを作るか、など話し合った)、それから、エッセイを少し書いて、そんなことをしていたら、アッという間に時間が流れた。



それにしても、土曜日なのに、家でじっとしているのももったいない。
デートでもしようかな、と思ったけど、フランス人の女性には実際、もてない父ちゃん。ママ友たちも週末だから、みんな家族と過ごしている。
仕方がないから、また、あの、野暮ったいおやじ、オペラのうどん屋国虎の、「呑もっちゃん」こと、野本を誘って、カフェ・フロールで待ち合わせることになった。
「あのな、ひとなり、あ、ほら、この間、見た」
「何を」
「あれ、ほら、ひとなり、の、秋のやつ」
「嗚呼、・・・NHKBSか」
「あー、あ、そ、それ、ほんならな、最後にオレが映ってた」
あ、そうだった。
番組のラストシーン、エッフェル塔の前でピアフの「バラ色の人生」を歌うのだけど、なぜか、その真後ろに、いつの間にか、呼んでもいないのに、ぴったりと野本が寄り添っていて、ぼくが頭をふると、その横から顔がのぞいて、反対にふると、また顔を出して、お前、ええ加減にせーよ、的な演出効果・・・・。(ボンジュール、辻仁成のパリの秋ごはん、11月28日に、NHKBSにて再放送決定)
大事なラストシーンなのに、友人たち数名から、「あの人、だれ?」という連絡が入った。

滞仏日記「百年前にもカフェ・フロールで飲んだ記憶があった」

滞仏日記「百年前にもカフェ・フロールで飲んだ記憶があった」

「あのな、のもちゃん、オペラの大きな劇場でライブやらんかって、こっちのプロモーターから誘われとったい。で、ちょっとやる気になっとっとやけど、ま、簡単じゃないとよ」
「ほー。それは身の程知らずなアイデアやね」
ぼくらは大声で、笑いあった。その通りだったからだ。
歴史的なカフェ、フロール、テラス席は満席で外は長蛇の列であった。
一人、日本人のギャルソンがいる。
昔からの顔見知りだ。
若い頃から、この店で働いているのだけど、今や古株になった。
なんか昔はよく日本のテレビや雑誌などで紹介されていた。
もてはやされてるな、と言ったが、「ぼくはずっと続けますよ」とそういうブームを一蹴していた。
で、気が付くと、若かった日本人ギャルソンは、今、結構恰幅のいいおやじになったが、いまだ、あの白と黒の給仕の恰好をして、ワインやコーヒーや料理を運んでいる。
続ける力というのはすごいな、と思った。

「百年以上前、パリ万博の時代にな、この辺にも大勢の日本人がやってきていた。19世紀の末とかにやぞ。当時、民間の使節団1000人とか大挙パリにわたって、日本の文化をここで広めとったとぞ。そのおかげで、ジャポニスムという運動が起こって、一大日本ブームになったたい」
「おー。そうやねー」
「で、今は21世紀やぞ。カフェ・フロールは相変わらず大賑わいや、大昔、この席で文化の話しをしていた俺たちみたいな日本人が絶対おったはず」
「ま、そうやねー」
ぼくらは階段下の席で飲んでいた。野本はオペラで人気のうどん屋「国虎屋」の経営者だから、彼の店の常連客が挨拶していた。
「ま、オペラのそんな大きな会場だからね、立てないのはわかってるけど、夢を見てもええわな。一生なんて、一度しかないのに、やらんか、と言われて、ビビっててもしょうがないやろ。ダメな時はでけんし、万が一ってこともあるやんね」
「ま、ひとなり、相変わらずやね」
「きみ、スポンサーやってくれよ」
「あ、ま、ええけど、なんぼかかるんや」
それで、ぼくは正直な金額を野本に伝えた。
「そ、そんなにかかるんか。あはは」
「なんで笑うんじゃ」
「やめとけ、それは、無理や」
「やっぱ、そうやね、悔しいいけどしゃーないな。逆立ちしても無理か」
「ま、呑もうか」
パリ、6区の世界的に有名なカフェで、おやじ二人が観光客に囲まれて、大声で会話する内容がこれ、というのは、まだまだ世の中、平和ということかもしれない。

滞仏日記「百年前にもカフェ・フロールで飲んだ記憶があった」

滞仏日記「百年前にもカフェ・フロールで飲んだ記憶があった」



それから、ぼくらは、その後、三軒の店を梯子した。
最後は、「あいだ」という日本人が経営するっ和食店のカウンター席を温めていた。
ぼくの隣に台湾人の女性と仏人男性のカップルがいた。野本の隣にイタリア人のご夫婦がいた。
静かな店だったが、途中から野本がイタリア人夫婦と仲良くなり、途中からぼくが台湾人の子と台湾の話で盛り上がり、最後は6人が昔からの友人みたいになって、連絡先を交換するような感じになった。
野本がみんなにぼくの話しをした。
「あのね、みなさん、あ、あれやね、この人はミュージシャンでね。今度、ほら、来年か再来年に大きなコンサートをやるから、観に来てやってね」
イタリア人はイタリア語で、行くよ、と言ってくれたし、台湾人の子は、絶対行きます、と携帯にメモしていた。いい人たちだった。
そこで、ぼくは練習中の「荒城の月」を口ずさんだ。
酔った。調子に乗っているとコロナに罹るから、このくらいで、退散することにしよう。
歌い終わり、ぼくは野本の肩を叩いた。
「ええ、歌やね。大好きや」
と野本がこぼした。
「応援団頼むな」
「あれやね、ひとなり、ええ、夢やね。いつまでも、夢を持ち続けるのはええことや。あ、ええと、本当に、やることになったら、国虎ののぼり旗を劇場に立てなあかんね」
「旗か」
「おお、旗じゃ」
「それは面白かね」
「戦みたいなもんじゃからな」

つづく。

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