JINSEI STORIES

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」 Posted on 2021/12/29 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、実は、昨日の日記で、あんなに偉そうに「大掃除を三日に分けてやるぞ」と宣言した熱血父ちゃんではあったが、昼食にワインを口にしたらめっちゃ酔ってしまい、午睡しちゃった。あちゃ。
で、目覚めたら3時のおやつの時間で、もう、掃除なんかやる気にはならないよね。笑。

長く続いた雨があがり、晴れ間が広がっているので「夕焼け散歩」をすることにした。
夕景のパリほど、切なく、美しい世界はないのであーる。
どこに行くという目標もなく、ぼくは、ひたすら歩いた。
頭ばかり使うので、身体を動かしてバランスをとらないと、精神がささくれだつ・・・。
ここのところ、執筆時間を減らして、ギターの練習を一日、5,6時間やるようになったので、音楽療法とでもいうのかな、ギターを叩いていると、精神と肉体のバランスがちょうどよくなる。(ぼくはギターを叩く奏法だからね、ストレス発散するのだ)
夜は相変わらず眠れないけれど、昼寝でカバーをするようにしている。
で、大掃除なんだけど、どうしたものだろうか。
トイレ掃除とか、苦手・・・。

フランスは感染者が増えて、バーなどでの立食、立ち飲みが禁止となった。
それにあわせて、屋内だと、2000人を超えるコンサートなどが出来なくなり有名なラッパーが、ツアーをキャンセル。波紋が広がっている・・・。
あちこちで怒っている人もいるけれど、何が正しくて何が間違えているのか決め難い、難しい時代でもある。
目の前に広がるパリの夕陽を眺めながら、ぼくはいつ日本に戻れるだろうか、と思った。
もう、二年戻ってない。
感染拡大が続く欧州から戻ると、いろいろな人の心を不安にさせるだろうな、と思って、我慢しているけど・・・。
オーチャードホールのライブが中止になってから、帰ってない。
凌ぐことが出来ているけれど、奇跡というしかない。
故郷を思うと涙が出る。
ぼくの気持ちを代弁するような、切ないパリの夕景を御覧頂きたい。

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」

※ ここ、マドレーヌ寺院なんだけど、御覧の通り、ヴィトンの広告が・・・。広告に使う料金がいくらか知りたい・・・。ある意味、驚いた・・・。



ここのところ、弟とのやりとりが増えた。急逝した秘書さんの代わりを弟が埋めてくれている。
本社を東京から福岡か、どこか別の場所に移さないとならなさ、そうだ。
今まで、経理のことなど何もやってなかったので、スタッフさんへの支払いとか源泉徴収のこととか今更、勉強をしている。
事務所を移すのはすぐにはできないので、来年、もし、ぼくが日本に帰ることが出来るなら、夏くらいまでに、荷物を運んだり、いろいろ不慣れな業務が続く・・・。
生きるのって、本当にめんどうで大変で、しかし、それはぼくだけじゃなく、日本中、世界中で同じように生きている皆さん一緒なんだと思って、歯を食いしばっている。
母さんが生きていて、息子たちが元気であることが救いでもある。
BS「冬ごはん」は笑顔で料理の自撮りなんかをやってるけど、その裏側で、現実の問題が押し寄せてくる。
そんな異邦人のぼくをパリは静かに包み込んでくれる。
古本屋に立ち寄り、積み上げられた偉大な作家たちの本を眺めた。
そこの店主が、アジア人のぼくをじっと見つめている。この人、仏語読めるのかしら、という顔をしている。笑。
人の一生というのはいったいなんだろう、と積みあがった哲学の墳墓を見上げながら、考えた。

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」

※ デュマとか、シャークスピアとか、いったい、いつの人たちか、という作家たちの作品がこうやって、今、この現代でも、目の前に積まれている。すごいことだと思う。

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」



マロニエの街路樹のまだら模様をじっとみながら、生きては死に、入れ替わっていくこの世界の人々のことを思った。
50年前のパリも今と何も変わらないのに、50年後のパリもきっと何も今と変わってないだろう。
電気自動車ばかりになっているかもしれないけれど、歩いている人の恰好が宇宙服になることもない。マスクはしているかもしれないな、もっとモダンなマスクを・・・。
犬はつながれて散歩をしているだろうし、ロボットではなく、人間が犬とこの道を歩いているはずだ。
もしかすると、百年後もパリはこのままの姿をとどめているかもしれない。
古い建物の外側は残され、中はリニューアルされていくにしても、パリ全体の素顔は変わらないのだ。でも、そこに、ぼくはいない・・・。
この日記を読んでいるあなたもいない。
新しい人間が、ぼくやあなたのように、この世界に存在し、もしかすると、マロニエの街路樹の木肌を見つめながら、人間なんて切ない生き物だ、と思っているのかもしれない。
AIが牛耳る世界になっても、人間の心は無機質にはならないだろう。
ただ、人間の恰好をしたアンドロイドが高齢者をケアして、一緒に散歩をしているかもしれない。
そのアンドロイドたちはおじいさんやおばあさんの記憶を正確に理解し、思い出話に、優しく付き合うのだろう。
時には涙を流してみせるかもしれない。
しかし、その液体は業者が仕込んだ涙なのである。

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」

滞仏日記「ぼくはアンドロイドではない。黄昏のパリを歩く詩人なのだ」

つづく。



自分流×帝京大学

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