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滞仏日記「仰天。カフェのギャルソンが、勝手に三四郎にチーズを与えた!」 Posted on 2022/02/27 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、受験生の息子と赤ん坊の子犬に、今日もぼくは振り回されている。
もっとも受験生の方は食事を与えること以外に何かしないとならないことはもはやない。もっぱら、三四郎の世話に明け暮れている。
それでも辻家にやって来た頃に比べると、めったに吠えなくなったし、カフェに行ってもぼくの膝の上でじっとしているし、よく食べるし、ポッポ(うんち)も適度に硬くて立派だし、ともかく、赤ん坊犬にしては各段の成長なのである。
そういえば、フランスの保健相から三四郎のID書類が届いた。三四郎のブリーダー、シルヴァンからは三四郎の家系図も届いた。
それによると、三四郎の兄弟は6匹で、彼は末っ子なのだ。
子犬なのに、何代も遡ることが出来るのだから、すごい。
三四郎が売れ残っていたのはやはり、他の犬に噛まれて、それこそ外には出せない時期が長かったからに違いない。
先日、放送された番組「冬ごはん」の中の幼い三四郎の鼻にはやはり二か所の噛まれた穴があり、ブリーダーさんもをそれを隠そうとしていた? (気のせいかもしれないけれど、今思うと、なかなか抱っこさせてもらえなかったし、顔を覗こうとすると、さっと抱きかかえて、話をはぐらかしていた)
ともかく、その痕も、今はもう綺麗さっぱりなくなっている。
逆を考えると、噛まれて外に出せなかったからこそ、売れ残って、今、ぼくのところにいるのかもしれない。

※家系図、左側の上がお父さん、下がお母さん。なんと三四郎の先祖は五代前までさかのぼることが出来る!!!

滞仏日記「仰天。カフェのギャルソンが、勝手に三四郎にチーズを与えた!」



今日、ぼくは3回カフェに行った。
朝、昼、晩と毎回、違う散歩コースを歩いている。
それぞれの散歩コースの中継点に、行きつけのカフェがある。
朝に行く、エッフェル塔傍のカフェは、渡仏直後によく通っていた老舗のカフェ。
昼に立ち寄るデパート、ボンマルシェの真ん前にあるカフェは10年くらい前からの行きつけ。
夕方のカフェは、新たに見つけた散歩コースにある、たまに立ち寄るカフェだ。
でも、どのカフェも老舗で、ギャルソンたちが素晴らしい。ほかにあと、二軒くらい行きつけがあり、カフェを起点に、気分でコースを変えている。
「うわ、来たな。サンシー、ボンジュール」
とAカフェのギャルソン、ジェロームが言った。
パリのカフェで犬が入れない店はほとんどない。
レストランも拒否されたことがない。
犬の飼い主にとって、フランスは非常に恵まれた環境と言える。
わんちゃんのために水を出してくれるところも多い。

滞仏日記「仰天。カフェのギャルソンが、勝手に三四郎にチーズを与えた!」



今日、ぼくがちょっと油断をしているすきに、ジェロームが三四郎にエメンタール(チーズ)を与えていた。ぎょぎょぎょ。
驚き、目の玉が飛び出しそうになった。
というのも、ぼくは今まで、一度も、人間が食べるものを三四郎に与えたことがないし、与えたくなかった。
美味しいものを食べると、それが欲しくなる。そうなると子犬だし、健康が心配。
与えない、と決めていたのに、じぇろー――――。
「え? そうなの? でも、大丈夫だよ。カルシウムだし。うちも犬飼ってたけど、与えていたよ。エメンタール、大好きだったよ」
三四郎の顔を覗くと、興奮している。もっと食べたい、とジェロームの手を舐めている。
「ダメ。とにかく、ぼくは与えないことにしているのだから、飼い主の許可をとってね」
ジェロームと三四郎が、やれやれ、という顔をしたのだけど、三四郎はついに、禁断の食べ物を口にし、そのリッチな味わいを知ってしまったのである。
気を付けなきゃ・・・。

滞仏日記「仰天。カフェのギャルソンが、勝手に三四郎にチーズを与えた!」



昼のカフェでは、周囲のお客さんらが「きゃー」と集まって、「さわらせて」大会になってしまった。
どこぞのアイドルかと思うような大人気ぶりである。
その帰り道でも、スペイン人一家が動画の撮影をし始めるし、最初は嬉しかったのだけど、これが毎回だと、ふーん、ぼくじゃないのね、となって心の狭い父ちゃんは腐るし、だんだん、面倒くさくなってきた。
そもそも、落ち着いてお茶が飲めないじゃないかァ。

滞仏日記「仰天。カフェのギャルソンが、勝手に三四郎にチーズを与えた!」



家に戻り、散歩に疲れたサンシーが寝たらぼくは仕事場に行き、文章教室の課題がたまり始めたのでそれに目を通し、(量があるので、結構、大変)マーキングしたりしながら、次回の教室の準備などをやっていると、くーん、と呼ぶやつがいるので、無視していたら、わんわん、と吠えだしたので、マジか、と三四郎の部屋に顔出すと、椅子の上で得意顔になって尻尾ふってる子犬が一匹。
どこだどこだ、どこにした、と見回すと、玄関ドアの前にポッポがごろん・・・。
わざと、やっちゃいけない場所でやって、自分はここにいるよ、の大アピールである。
またしてもぼくは這いつくばって、ポッポの片づけ。匂い消しの消毒シートでごしごし。
「ダメじゃん。こんなことしちゃ」
頭に来たので、怒って振り返ると、口にボールをくわえて、待ってたよ、わんわん♪
やれやれ~。

夕方。サンシーが何か変なものを食べていることに気が付いた父ちゃん。
犬だからしょうがないけど、食べられるものは何でも口にしてもぐもぐやっている。
プラスティックだったり、木切れだったり、紙屑だったり、親は心配でならない。
散歩の時などは、口の中に手を突っ込んで食べてるものを強制的に取り出している。
でも、今日は中島君(エリック)が掃除したばかりで何も落ちてないはずなのに・・・。
「サンシー、いったい何、食べてんの?」
慌てて、彼の口の中に指をつっこんだら、コリっとした小さな透明の石のようなものが出てきた。ん?
「なんだこれ?」
ネットで調べたら、どうやら乳歯のようである。
生後五か月から七か月の間に、乳歯が抜け替わる、とそこには書かれてあった。
「サンシー、乳歯が抜けたのか。おめでとう」
三四郎はきょとんとした顔をしていたけれど、父ちゃんは嬉しかった。
息子が出てきて、透明な歯を覗き込んだ。うわ、これは歯だね、と言った。
それはぼくにとって何よりの宝物なのであった。
小さな陶器の中にしまうことにした。
なんとなく、にやにや嬉しい親バカの父ちゃんなのである。

つづく。

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