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退屈日記「3月10日の雑感」 Posted on 2022/03/10 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、三四郎は掃除機を怖がる。
三四郎にとってドイツ製の掃除機は重戦車のようなものであろう。逃げ惑う三四郎が、戦火が広がるウクライナを想像させ、ぼくは掃除を途中で中断してしまった。
ますます、出口が見えなくなりつつある混迷のウクライナ情勢だが、ここ最近、ぼくが暮らす田舎の上空をフランス空軍の戦闘機がいつになく夥しく飛び交っている。
通常訓練かもしれないが、様々な事態を想像して動いているのかもしれない。爆音はやはり恐ろしさを連れてくる。
平和とは何か、考え込んでしまった。



今朝、ロシアの体操選手が胸に「Z」のマークをつけて、表彰台に立ったというニュースを読み、こうなってくるよな、と思った。
彼らが口にする平和は、戦争が起こる度に侵攻する側の正義として駆り出される愛国心に起因しているが、これが実に厄介な対立を世界に持ち込むことになる。
ナチスのハーケンクロイツ(鉤十字)を想像してしまうロシアの「Z」マークがこれから世界分断のシンボルになるのかな、と思うと目の前が暗くなる。
大義のないまま突入したロシアの国民に、違う角度で大義を植え付けようとしている、誰ぞの入れ知恵であろう。

この対立が簡単に終わらない気がしてならない。
実は、日本とフランスの間を行き交う飛行機が実質上の運航停止状態にある。
今日、文芸春秋社の石塚さんから、「新刊の新書を辻さんのもとに送ろうと思いましたが現在、国際郵便が出来ない状況にあります。船便だと3か月くらいかかるようですがいかがいたしましょう」という連絡があった。
ぼくは、夏に日本に戻らないとならない用事があるが、この戦争が影を落とす可能性がある。
ロシアへの経済制裁は有効だとは思いつつも、空の便が止まっている今、世界経済全体の問題に発展しつつあり、制裁は当然諸刃の剣になりつつある。
ロシア経済が崩壊するのが早いか、世界経済が巻き込まれるか、そういうところにある。
けれども、援軍のない、応援を拒絶されたウクライナの命運はもっと悲惨な状態に置かれているのだ。
小児病棟が空爆されたという報道まで届いた。
先行きの見えないこのニュースから、人々が目をそらしたいと思っても仕方がない。
戦争など教科書の中の出来事だと思ってきた戦後生まれの人々は、いったい、どこに希望の光を見つけることが出来るだろう。



三四郎を抱きしめた。
昨日は、三四郎が浜辺を走るところを手製の自撮り棒で撮影をしたが、大西洋の向こう側に沈む夕陽が悲しかった。
まさか、自分が生きている間に、これほどの戦争が起こるとは思ってもいなかった。
核兵器を放棄したウクライナをめぐって、これから世界に核武装の気運が高まるだろう。
全世界の国々が平等に核武装をすればもしかしたら戦争が止まるかもしれない、と考え、ぼくは苦笑した・・・。
6500発の核弾頭を持ったロシアを止めることのできる国はない。
それまでウクライナが持つとも思えない。
小児病棟が空爆されるような悲惨な出来事が毎日、ニュースで速報され続ける。
そして、世界各地に独裁者が登場し、ぼくらが享受してきた自由が侵略されていくのかもしれない。
ぼくは思う。これは人間の尊厳に対する戦争なのである。
ここで目をそらし、この独裁者らに負けてしまえば、人間は終わる。
ぼくは三四郎を抱きしめながら、幼い子供たちのためにも戦争を止めないとならない、と思うのだった。

退屈日記「3月10日の雑感」

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