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滞福日記「じじいは引っ込んでろ! みたいな衝撃を受けた、博多の夜だった」 Posted on 2022/07/15 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、福岡に来てから知り合った大学生、22歳、23歳、32歳の若者たちと橋の上で立ち話をした。(32歳の人は彼らの先輩)
帰り道、夜景を見ながら、風に吹かれて、寂しかったし、息子と世代が近いので、今時の日本の大学生のことを知りたくて、ちょっと長話になったのであった。(若い子たちだけど、違和感なく、その中に交じっている父ちゃんであった)
橋のあちこちにストリートミュージシャンがいて、演奏をしていた。
ちなみに、この子たちもミュージシャンなのであーる。
福岡のミュージックシーンの話しから、自然と、息子の話へと話題が流れた・・・。
K君が、
「辻さんのエッセイ本、本屋さんで見ました。息子さんどんな子なんですか?」
と好奇心の旺盛な質問を繰り出してきた。
ヒップホップの音楽制作やっている、ビートメーカー(プロデューサー)なんだ、と伝えると、彼らの目が輝いた。へー、フランスのヒップホップってどんなのだろう?
フランスと日本の音楽シーンの違いなど、話が盛り上がったのだけど、・・・その流れで、何気なく、
「ところでS君K君、君らのお父さんはいくつ? ぼくくらいでしょ?」
と軽い気持ちで訊いてしまったのが、大失敗であった。
「46です」
という衝撃的な返事がS君から戻ってきた。
「にゃに!」
横にいたK君も、48歳です、と言いだした・・・。
「あへ」

滞福日記「じじいは引っ込んでろ! みたいな衝撃を受けた、博多の夜だった」



十斗が18歳だから、ま、せいぜい、ぼくよりもちょっと下くらいだろうと思っていたら一回り以上も、年下じゃんか!!! 
どうなってんだよ、日本のお父さん、と衝撃を覚えた父ちゃん。
すると、年長のD君、32歳が、
「辻さんとぼくのおやじは同じ年ですよ」
と言い出した。
このD君、福岡界隈では有名なハードメタルバンドをやっていた子で、このチームのリーダー格でもある。
で、D君パパは昔、めんたいパンクをやっていたのだとか・・・。(勝手に、ラフィンノーズを思い浮かべた父ちゃん・・・)
最近までラーメン屋さんを経営されていて、つい最近、引退したというので、ひっくり返ってしまった。
「君たち、辻さんは衝撃を受けているから、この話はここまでにしよう」
とD君が余計なことを言いやがった。
D君、別に、ぼくは衝撃なんかうけてないもーん。ぜんぜん、衝撃ないもーん。←出た。
「大丈夫です、辻さんはその辺のおじいさんたちとは全然違いますから、見た目もうんと若いし、性格も全然、俺らとかわらないし」
は? こら、今、なんて言った? おじいさんだとォ・・・・・。
ひゃああああああ、今、飛び込んでいいすか? 那珂川に今、この瞬間、ここから飛び込んでいいすか????
「飛び込むぞ、こら!!!!」
と叫んでいた、父ちゃんであった。どう思います? こいつら。

滞福日記「じじいは引っ込んでろ! みたいな衝撃を受けた、博多の夜だった」



でも、いい子たちなのである。
みんな、外でもマスクをして、仕事も出来るし、偉い子たちなのだ。きっと46歳のお父さんたちがちゃんとしているのであろう。46歳か、くううう、わか・・・。
ちなみに、フランスでは、小学校のお迎えに集まる親御さんの中に、60代70代ののパパさん、ママさん(50代とかの高齢出産のママさん)が普通にいる。そういう環境でぼくも普通に同世代のパパ友とつるんでいたので、気にしていなかったが・・・・。
確かに、ぼくは息子と45歳の年の差がある。

ぼくは若者たちと別れて、コンビニで、サトウのごはんとか、納豆とか、豆腐とかを買って、家路についた。
その道すがら、なぜか、背中が曲がり、皺が増え、白髪だらけになったような気分になった、父ちゃんなのであった。
思わず、交差点の信号待ちをしている最中、背筋を伸ばして、負けないもーん、とつぶやいていたのであった。
生きていると、落ち込むことの方が多い、実に残酷なはなしである。

滞福日記「じじいは引っ込んでろ! みたいな衝撃を受けた、博多の夜だった」

自撮りで、若ぶる、気さくな父ちゃん・・・。くうう、さびしー--。誰か、愛を愛を愛をオールナイトニッポン!



さて、それは昨日のことで、今日は、昼から福岡市内の音楽スタジオで、一人でライブの練習をやった、おじいさん、いや、父ちゃん・・・。(個人練習、二時間で千円という安さ)
コロナの状況がちょっと気になるが、ビルボードは天井が高く広い会場だし、ほぼほぼアンプラグドのバラード中心の曲構成だから、ま、中止になることはないだろうけど、こればかりはわからない。
ともかく、自分が感染しないように、最大限気を付けて、最強FFP2マスク(90枚持ってきた)で乗り切っている。飲み会などは控えているのであーる。
ところで今日は、若い子たちの影響を受けてか、自分が20代の頃に作った曲を、スタジオで歌ってみた。
ECHOES時代の曲に「友情」という曲があって、最近、好んで歌っている。
本編はピアノ、ウッドベース、パーカッション、クラシックギター構成だけど、アンコールは一人でやろうかな、と思っていて、ECHOES時代の曲が中心になるだろう。
どの曲を歌うかは、その時の会場の雰囲気と自分の気分で選ぶけど、アンコールがかかるかどうかもわからないので、今は密かに練習中・・・。
「友情」はそれこそ25歳くらいのぼくが作った歌なのに、今、なんでか胸にささる。
「ともだちでいられたら、
あの頃のように、
愛が憎しみにかわることもない、とぼく。
離れることもできず、
近づくこともできない。
紙一重のところで、
友情を守っていた」

滞福日記「じじいは引っ込んでろ! みたいな衝撃を受けた、博多の夜だった」



8月の8日、大阪のビルボードが最初のライブになるけれど、無事にライブが出来ますように、と願いながら、今日は筆をおきたい。

つづく。

ということで、読んでくれてありがとう。
息子が「ECHOES、大好き」と言ってくれたので、改めて最近、聞き直している父ちゃんなのです。フランスの若い歌手の子、有名な子(今は秘密)が、「ZOO」を歌いたいと申し出てくれていて、なんでも、今、フランスは80年代の日本の音楽ブームなのだとか・・・。実現すると、素晴らしいですよね。まだ、忙しくてミーティング出来てないのですけど、秋以降、方法を相談することになりそう・・・。愉しみ。
さて、父ちゃんからのお知らせです。
そんなぼくら父子のエッセイ、「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」がずらりと書店に並んでいます、3刷です。こちらは、丸善ラゾーナ川崎店さんだそうです。話題書コーナーに、こんなに!!! 
ありがとうございます。負けないもーん。

滞福日記「じじいは引っ込んでろ! みたいな衝撃を受けた、博多の夜だった」

それから、7月28日は父ちゃんのオンライン・講演会「一度は小説を書いてみたいあなたへ」と題してお送りします。
一生に一度でいいから小説を書きたいけど、敷居が高くて、と半ば諦めかけている皆さん、そんなことはありません。ぼくがどうやって作家になったのか、どうやれば一冊書けるのか、など、講演会形式でお話をしたいと思います。
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第6回 新世代賞作品募集