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滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」 Posted on 2022/08/16 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ご存じの通り、2019年、「真夜中の子供」というタイトルで映画撮影がスタートしたのだけど、運営会社の社内問題もあり、そこにコロナ禍が直撃して、映画は曖昧に中断、中止となった。
その会社がどうなったのか、ぼくにはわからない。連絡もない。
その後、ご存じのように、フランスはコロナの猛威に襲われ、三回のロックダウンを経験する、過酷時期に突入した。映画の話は封印されてしまった。
映画のことは忘れていなかったが、絶望しかなかった。
ところが、2022年になり、コロナがやや落ち着き始めた頃、福岡でインディーズの映画製作をやっているという相川という人物から、
「辻さん、あの原作がどうなっていますか? もう一度メガホンを持ってもらえないでしょうか?」
と連絡が入った。ぼくは驚いた。

滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」



すでに、原作契約は切れている、とお伝えすると、
「福岡の有志でやらせてもらえないでしょうか? ただ、予算はないんです。辻さんにお支払いするお金もありません。福岡でほそぼそとインディーズ映画をとっている若いチームがいます。その子たちと辻さんとでやってもらえないでしょうか? 」
と来た。
予算を聞いて、ぼくはびっくりした。あまりに少ない、冗談でしょ???
「いいえ、本気です」
「・・・」
「辻さん、でも、みんな本当に映画が好きな福岡の子たちだから、いなくなることはありません。お金はないけど、時間は湯水のようにあります。中洲の人たちの中にも、あの原作を映画にしてほしい、という意見がいっぱいあります。小さな所帯ですけど、お願いします」
訊くと、20歳から30代前半の若者たちの集団であった。(しかし、海外の映画祭にも出品している、力と未来のある子たちであった)
「真夜中の子供」の時は、経験豊かなプロのチームだった。しかし、相川さんの情熱は強かった。平田さんというもう一人のプロデューサーはECHOES世代で、ガッツあるおじさん。
ZOOMなどを使って、彼らや、若いスタッフらとミーティングを繰り返した。素晴らしい笑顔だった。本当に映画が好きなので、参加したい、という子たちばっかり・・・。
もちろん、ぼくはやりたかった。

滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」

滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」



「でも、前のフィルムは権利問題もあり、子役も成長してしまい、つながらないので、使えないです。なので、一から全部、撮りなおさないとなりません。全く新しい新作映画になります。タイトルも原作とは変える必要があります」
なるほど、でも、それしかないな、と思った。
ぼくはしばらく、考えることにした。そして、春の終わりに、決断をした。
「愛する福岡と台上がりまでやらせて頂いた博多山笠のために、ぼくはメガホンをとります。ぼくはとりあえず、旅費も、宿代も、食費も全部自腹で参加します。ぼくもちょっとは福岡に関係する人間ですから、手伝わせてください」
過去のフィルムは一秒も使わない、まったく新しい映画になった。新しい人たちと、一から原作に忠実にやることになった。今度は、ぼくがシナリオを書いた。というか、原作に忠実にエッセンスを抜き出し、撮影が開始されたのだ。
蓮司役の主役の子も、4年近い歳月が経ち、15センチほど、背が伸びてしまったので、彼で撮影をすることが不可能だった。どうしようか、と悩んでいたら、彼に4歳年下の弟がいることが判明、会ったら、瓜二つ!!!
「やるか?」
「うん!!!」
ということで、蓮司役に大抜擢されたのであーる。これは奇跡であった。
そして、初代蓮司は成長した後の役で出演することになった。
ううーん、中洲の神様、ありがとう!!!!
こんなことが起こるだなんて、これは奇跡か!!!
ということで、いきなり、クランクインとなった。
それにしても、父ちゃん、バイタリティー、あるねー、あはは。ビルボードからのクランクイン!!!

滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」

滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」

※ 原作は河出書房刊。

滞日日記「新作映画「中洲のこども」の撮影快調。なぜ、新作映画になったのか」



7月はこの準備期間であった。ぼくがボランティア活動をしている、と言っていたのは、この映画のことである。
博多の祭りを歴史に残せるような、文芸作品にしたい。
お金はないのだけど、映画を愛する地元の人たちには無限の時間と地元愛があった。ここから一年ほどの歳月を費やして、撮影は続く。
ということで、まだまだ暑い夏の後半戦、ぼくは福岡の映画人たちと、この作品に一から挑んでいるのだ。
タイトルは「中洲のこども」となった。いいタイトルである。ぼくが決めた。
まだまだ、長い戦いになるのだけど、なんとか完成させたいと思っている。

つづく。

ということで、またまた、映画制作が始まってしまいました。
「映画ナタリー」に出た記事はこちら。
https://news.yahoo.co.jp/articles/55631aa6702bf65b21a0e05695831478d392dc91
これは長い戦いになるでしょう。福岡、博多の皆さん、寛大な応援をよろしくお願いします。ぼくは中洲界隈にいますので、見かけたら、「中洲愛!」と声かけあっていきましょう。完全な自主映画ですが、役者も含め、スタッフもほぼほぼ99%福岡および九州の人間です。しかも、めっちゃ若いチーム。一番年下は、18歳のぼくの息子になりますかね。えへへ。

地球カレッジ



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