JINSEI STORIES
滞仏日記「ついに息子くんは引っ越して行った。息子よ、たっしゃでなァ」 Posted on 2022/08/31 辻 仁成 作家 パリ
某月某日、いやはや「トラックが動かない」というとんでもない状態になったパリの運送屋さん。
息子はやることがなくなり、仲間たちとIKEAなどに生活用品を買いに行ったようである。で、そのまま、帰ってこなかった。
「ここの鍵がこっちにあるけど、どうするの?」
「いや、なんか、明日、引っ越しが早いなら、こっちにいてもいいのかな、と思って。悩んでいる。もう、寝ちゃう?」
「そろそろ寝るけど、君は、どこで寝るの?」
「寝袋がある」
「ああ、いいよ。じゃあ、そうしなよ。パパがこっちから運送屋さんらを送り出すから」
と言って、おやすみ、をしあったのであった。朝起きたら、深夜に、
「今から戻ってもいい。なんか、落ち着かないんだ」
とメッセージが入っていた。
しかし、時、すでに遅し、朝の8時であった。あはは・・・。
「大丈夫だった? 寝れた? もう引っ越し屋さん来るよ」
「うん、大丈夫。了解」
一人暮らしが慣れないのであろう。なんとなく、わかる・・・。寝袋だし。
八時半過ぎに引っ越し屋さんが4人やって来た。
たかが子供の部屋を引っ越すのに、4人、というのは大げさである。でも、早く片づけたいのであろう。
小一時間くらいで、荷物はすべて辻家を出て行った。う、なんか、寂しい。部屋の片隅に、いろいろなものが残っている。
それはもう使わないゴミなのだけど、すべてに想い出があるので、ゴミとは言い切れない・・・。
「トラック、今、こっちを出て、そっちに向かったよ」
SMSを送ったら、返事がすぐに戻って来た。
「おけ」
ぼくは三四郎とうどんを食べに行った。食べたのはぼくだけど、サンシーは大人しく待っていた、足元で・・・。
公園のベンチに座り、明日の地球カレッジ(定員に達しており、しめきっております。来月をお楽しに)の進め方について、ちょっと考えを巡らせた父ちゃん講師・・・。
自分が作家になった頃のことを思い出したりしながら、そうだよね、小説を書くのは難しいものね、どういう風にアドバイスをするのがいいだろう・・・云々。
作家デビューする前のことを考えて懐かしくなった。
あの頃はミュージシャンだった。音楽活動の合間に、原稿用紙の升目を埋めていたっけ。小説が大好きだった。空想するのが好きだった。あれから三十数年の歳月が流れている。ぼくは空を見上げた。木々の向こうに、あの日と同じ、初秋の太陽が瞬いていた。
マーシャルの八百屋に大量のフィグ(いちじく)が・・・。一つ、頂きました。あはは。一つね。
引っ越し屋さんのでかい大人たちがどかどかと家の中を動き回るので、三四郎も臨戦態勢なのであーる。あはは。
帰り道、息子に電話をした。
「どう?」
「うん、終わった。今ね、荷物を箱から出して、片づけている」
「大丈夫そう? 」
「うん、なんとかなる。でも、まだ、フライパンもないし、洗濯機もない」
「だね。時間がかかるね。しまちゃんとか、手伝いに来てくれないの?」
「来ると思うけど、毎日は、無理だから」
「あはは。そうだね。でも、とりあえず、今日は自分のベッドで寝れるじゃん」
「あ、ええと、今日、夜、そっちにごはん食べに行ってもいい?」
「え? いきなり、ま、いいけど、・・・」
一瞬考えた。確かに、引っ越し初日から自炊というのもね・・・、寂しいのもあるだろう。昨日は床で寝たから、寂しかったのかもしれない。
一人暮らしが慣れないのは学生時代のぼくもそうだった。ま、しょうがないか・・・。
「いいよ。なんか、うまいもの作ってやる」
と、なった。
ということで、マーシャルの八百屋に立ち寄った。
「何があるの?」
「キノコが届いているよ」
ふり返ると、セップ茸、シイタケ、プルロット、ジロール茸などが山積みであった。逆に、他の野菜はまだ市場が本格的に稼働してないのか、品薄状態。
「じゃあ、キノコ、一通りください」
「オッケー」
肉屋で、鶏肉と子羊を買った。何か、うまいもの、を作ってやりたい、と思った。父ちゃんの愛情料理だ。いつでも、帰ってこい。
「あら、あなた」
呼び止められたので、振り返ると、ご近所では有名な大婆さんであった。95歳、ヨークシャーテリアと二人暮らしである。今日は、マダム一人であった。
息子が独立して、今日から一人暮らしを始めたのだけど、いきなりごはんを食べに戻ってくるみたいでして、と伝えると、クスクスと、笑われてしまった。
「そのうち、戻ってこい、と言っても帰って来なくなるから、大丈夫よ」
「そんなもんですかね」
「私の娘なんか、もう、ずっと寄り付かないのよ」
「寂しいですね」
「だって、あの子ももう74歳だから」
「え?」
あはは、と笑いだした元気な95歳であった。うちの母さんより7歳も年上なのだから、超元気で、びっくり。
そうか、そのうち、寄り付かなくなるのか、・・・。
じゃあ、今のうちだね、と思った父ちゃんであった。
※ 上からセップ茸ごはん、左、仔牛のメンチ、シイタケとプルロット茸と鶏肉のクリームソース炒め、なり。美味かった!!!!
つづく。
ということで、今日も読んでくれてありがとうございます。
ついに、息子君は、一人暮らしをスタートさせることになりました。もうすぐ、アルバイトも再開し、学校のオリエンテーションなどもあり、少しずつ、忙しくなって、確かに、帰って来いよ、と言っても寄り付かなくなるのでしょう・・・。
トランクの中から、福岡の本屋で買った「パリの空の下で、息子とぼくの3000日」を取り出し、ベッドに寝っ転がって、昔日を懐かしんだ、父ちゃんでした。
ちゃん、ちゃん。