JINSEI STORIES

滞仏日記「引っ越しの見積もりをしながら、今日までの道のりを懐古する」 Posted on 2022/09/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、息子の引っ越しがひと段落したので、今日は、我が家の方の引っ越しの見積もり業者さんがやって来た。フローリアンという若いおじさんであった。
一つ一つの部屋を一緒に見て回った。三四郎があとからくっついてきた。
「寝室のクローゼットにけっこう、服が山積みです」
「あー、いっぱいありますね」
「ぼくね、捨てきれないから、20年前、30年前のTシャツとか、いまだ大事に持っているんです」
「へー、物が増えて、困りませんか?」
「でも、もったいなくて、まだ着れるのに」
「駅前に行けば、大きな衣服リサイクルのボックスがあるから、誰かに譲りたいなら、そこがいいですよ」
「ああ、そうですね。ありがとう」
ECHOES時代の衣装まで、とってあるのだ・・・。どうしよう、捨てきらない。
「あと、ハンガーに吊るされている服はそのままにしておいてください。ボックスにそのまま吊るして移動させますので」

滞仏日記「引っ越しの見積もりをしながら、今日までの道のりを懐古する」



「ここは仕事場です」
「本がいっぱいありますね、あれ、あなたの名前の本が・・・」
「あ、作家なんですよ」
「わ、ぼく、小説好きなんです。文学おたくなんですよ。へー、凄いなァ」
フローリアンが目を輝かせたので、「白仏」を一冊、掴んで、読みますか、と言ったら、喜んでくれた。余計なことをしたかな、と思ったのだけど、これがあとで功を奏した。
となりのサロンにある大きなソファをぼくは捨てたかった。思い切って、頼んでみた。
「ムッシュ。うちは、基本、お客様のものを捨てたり、預かったりはしないんです。でも、ご著書を頂いたので、特別に、特別ですよ、私どもの方で引き取らせてもらいます」
「いいんですか? 嬉しい。じゃあ、ついでに、この棚と、この椅子もいいでしょうか?」
フローリアン、ぼくの本を抱え直して、もちろん、と言ってくれた。ラッキー。
「ギター、たくさんあるんですね」
「あ、作家兼ギタリストなんです」
歌手とは言えなくて、ギタリストにしておいた。えへへ。本当だし・・・。
「ギタリスト兼作家ですか、へー。だから、こんなに楽器もあるんだ。アンプが3台、ギターは4、5本ありますね、どれも、貴重品ですよね?」
「ギターは大事なので、前日に自分で運びます」
「あの、ちなみに、どんなジャンルの音楽やってるんですか?」
仕方がないので、横浜ビルボードのライブ動画を携帯でちょこっと見せてあげた。
「わ、ぼくの好きな世界だ。こういうちょっとアコースティックなロックって、大好きなんです。日本人ですね」
「はい」
「やべー、日本大好きなんですよ。とくに80年代の日本の音楽」
今フランスで、80年代の日本のロックが実は流行っているのだった。
「ぼく、80年代です」
「おおお、やべー」
「あの、この天井の照明なんですが、取り外しと取り付けはお願いできますか?」
「普段はやらないんですけど、出来る子が一人いますから、やらせましょうか」
ぼくは棚にあったECHOESのCDを一枚取り出し、差し出した。
「えええ、いいんすか? ECHOESっていうグループなんですね」
「どうぞ、どうぞ。いろいろとやってもらえるから助かります」
フローリアン、めっちゃ興奮している。42,3歳という感じかな。この世代のファンをフランスで増やしたいなァ、と思った、62歳の日本の父ちゃんであった。

滞仏日記「引っ越しの見積もりをしながら、今日までの道のりを懐古する」

滞仏日記「引っ越しの見積もりをしながら、今日までの道のりを懐古する」



食堂の食器棚を二人で見上げた。足元に三四郎がいる。
「これ、こちらで、全部、箱に詰めましょうか?」
「高いでしょ?」
「やらせてもらいますよ。無料で(CDと本を持ち上げ、にやっと笑った)」
「いいんですか?」
「今度、ライブとかあるなら、観に行きたいです」
「ありますよ。来年、5月ですけど、パリで」
「待って! チケットは買います」
「あはは、ありがとう。助かります」
ぼくらは握手をした。
見積もりの計算がその場で行われ、ぼくが想像していたよりもちょっと安い金額で、おさまりそうであった。
巨大なソファなどを全部処分してくれるし、グラスなども詰めてくれるし、天井のシャンデリア風照明の取り外しと取り付けもやってくれることになった。
いろいろと停滞していたので、物事がスムーズに捗って、良かった。
三四郎が、マットの上でごろごろしている。この子はずっとついて来る。
「息子が一人暮らしを始めました。狭いアパルトマンに引っ越すので、半分くらい捨てなきゃならないんです」
「手伝いますよ。お任せください」
「めるしー」
「ムッシュ、そういう人生のタイミング、ありますよね。ぼくらは引っ越し業者だから、毎回、人々のドラマと出会います。ムッシュが描く、引っ越し小説、期待しています」
ぼくらは笑顔になった。
「それは、グッドアイデア!」

滞仏日記「引っ越しの見積もりをしながら、今日までの道のりを懐古する」



つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
今日は地球カレッジも無事に終わり、今から、三四郎と海に行きます。田舎の家がどうなっているのか、行くまでわからないけど、休みなしで映画とライブに明け暮れたので、ちょっと身体と心を休めるために、2,3日、休みますね。退屈日記はのちほど、「海」からお届けしまーす。
さ、行こうか、サンシー、レッツゴー!

滞仏日記「引っ越しの見積もりをしながら、今日までの道のりを懐古する」



第6回 新世代賞作品募集
自分流×帝京大学