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退屈日記「これからどうやって生きていこうと夜の浜辺でかんがえた」 Posted on 2022/09/01 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、片付けなどをしてから、夕方、車を走らせ、久々、田舎の家へ向かった。
三四郎はもう車に酔うこともなくなり、おとなしく助手席で寝ていた。
海に着くと、リードを外して、自由に走らせた。
夜だったが、浜辺を、そして海を喜んでいる。
やはり、同じようにリードを外されたワンちゃんたちが数匹いて、彼らとさんちゃんは浜辺を走り回っていた。
ぼくは少し離れた砂の上に腰を下ろし、無邪気に遊ぶ三四郎を眺めた。
この子に頼られていることがぼくの救いでもあった。
「さて、これからどうしたものかな」
と考えた。

これから、というのは、もうすぐ63歳になる自分の「これから」である。
この勢いで仕事や創作ばかり続けて生きても、一生だが、頑張るのにちょっと疲れたのも事実である。
パリに子供たちとやってくる若い女優さんのニュースを読んだ。頑張ってほしいな、と思った。きっと、パリの人々は優しくこの家族を迎え入れてくれる、とぼくは思った。傷ついた人には優しい街でもある。

退屈日記「これからどうやって生きていこうと夜の浜辺でかんがえた」



退屈日記「これからどうやって生きていこうと夜の浜辺でかんがえた」

太陽が沈んだ先の海は赤い。
でも、間も無く真っ暗になる。光りあるうちに光の方へ進め、という言葉を思い出した。
たぶん、それは今の自分であろう。まだ、光はあるのだろうか、・・・。
この数年の間に、世の中は大激変を通過した。フランスは3度のロックダウンを乗り切った。
その感染症の時代にぼくは田舎暮らしを決意し、この近くの村で、三四郎と出会った。
一人で生きていくのは不安である。太陽が立ち去った後の暗い海を眺めながら、思った。
さて、ずっと一人で生きていけるのだろうか? 

フランス語だって覚束ないのに、今は元気だけれど、そう考えると不安になる。
けれども、人間みんな、大なり小なり抱えないとならない不安もある。こういう寂しい時は、どうしたらいいのだろう、と思った。
今のぼくには、創作欲はあるが、若かった頃のような、無謀なパワーがない。枯れているのだ。ぼくは苦笑をした。
こういうことを考えている時点で、オワコン、である。
さいきん、映画とか他の仕事でも、若い人たちからリスペクトのない扱いを受ける。もうちょっと、敬意を持てよ、と昨日もとある人に、メールを送った。

退屈日記「これからどうやって生きていこうと夜の浜辺でかんがえた」



正直、ぼくも若ければ、戦うことができるのだけど、身勝手な世界を相手にがむしゃらになる気力がもう、残り少ないのだ。情けない、自分に、苦笑しかでない。
誰か、話し相手が必要だな、と思った。仕事ではなく、プライベートのこと、特に、老後とか、同じような気持ちで相談できる相手を探さないと、思った。探すというのも失礼な言葉である。出会う、が正しい。
今日、昔の編集者さんから、不意に便りが届いた。
地球カレッジに参加し、元気な辻さんを見て昔を思い出しました、という内容だった。
不思議なことに、ぼくはその人と一緒に作った著作を今日、再読していたところだった。
会いたいな、と思ったのだけど、西フランスの浜辺にいた。苦笑した。
もう、そんな昔に戻ることはできないな、と思った。    

退屈日記「これからどうやって生きていこうと夜の浜辺でかんがえた」



つづく。

ということで、今日も読んでくれてありがとう。
いろいろと考える年頃ですね。昨夜は浜辺に遅くまで開いているクスクスレストランにいき、羊を食べました。三四郎が、欲しそうな顔をしていたので、恐縮しました。あはは。
さて、お知らせはありません。
特に、本も出ないし、ライブも今のところないのです。寂しいですね。また、明日。



自分流×帝京大学

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