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滞仏日記「大胆予想したくない、オリンピックの行方」 Posted on 2020/02/07 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくが今ものすごく懸念していることがある。もうすぐパリに帰るのだけど、咳したり、熱があったら空港を出られないんじゃないか、マスクをしていたらタクシー乗車拒否されるのじゃないか、自宅に戻れたとしてもすれ違いざまに「ウイルス!」と言われるのじゃないか…。

アメリカではマスクをしていたアジア人の女性が傘で滅多打ちにされたというニュースが昨日流れた。日本は第二位の感染者を抱える国になっている。無事にパリに戻れたとしても、コロナウイルスがピークを迎えるという4月、5月までに日本での感染者が増えることは必至で、そうなると日本への渡航を制限する国も出来てきて、飛行機の減便、運休などがおこるのじゃないか。

日本の医療技術は現状の中国よりは高いので死者を多く出すことはないようにも思う。でも、感染者は増え続ける。息子が昨日電話で「パパ、知ってた?感染者が30人を超すとコントロールできなくなるんだってよ」と言った。子供がネットで得た知識なので、信ぴょう性はないけれど、この勢いで感染者が増えるとインフルエンザの流行と変わらない状態になるかもしれない。インフルエンザの致死率とどのくらい違うのか比較できないけれど、問題は「わからない、知らない、はじめての病気」ということが追い打ちをかけ、恐ろしいイメージばかりが世界中の人々をパニックに陥れていくという現実である。

滞仏日記「大胆予想したくない、オリンピックの行方」



あれは中国の細菌兵器なんじゃないか、というニュースも出回るようになった。そもそも武漢や温州が封鎖されるという前代未聞の状態になっている。60年も生きてきたけど一千万都市の封鎖など聞いたことがない。ウイルスを感じさせるものに近づきたくないという人間心理はぼくがパリを出た一週間前より数段高くなっている。マスクをした女性が襲撃された事件は一例だけど、黄色人種=ウイルスというイメージが出来上がりつつある。

現にフランスの地方でそういう見出しの新聞記事も出た。欧州人は間違いなくアジアに行きたがらなくなる。同時にアジアからの観光客を遠ざける。観光業、食品貿易業などに最初の打撃がふりかかる。日本政府の初動対応の遅れが今となっては悔やまれるけれど、ここから先、どんなに頑張ってもしばらくは日本の感染者の数は増え続ける。最初の感染者が出た時、日本で三人、フランスで二人だった。フランスは現在6人、日本はその十倍くらいに増えてしまった。中国での死者数、感染者数は今出ているものとは比較にならない数字だという記事も出回っている。さらには発症していなくても感染するというコロナウイルスの怖さを世界中の人々が知った。そうなると、果たして、この状況下でオリンピックが出来るのか、ということにならないか。

仮に出来たとしても、選手団を派遣しない国も出るかもしれない。コロナウイルスが終息するまで延期にした方がいいという意見に繋がらないだろうか? 冷静になって想像するに、そもそも欧米人がリスクを負ってまで日本に来るだろうか? アジア諸国の人たちも来たがるだろうか? その時の日本での感染者の数にもよるけれど、日本人だって、スタジアムに行きたがらないかもしれない。

クルーズ船が洋上で隔離され入国できない、という状況はいずれ世界中の移動手段を制限、停止させる最初の一撃に過ぎないかもしれない。ありえないとしても、武漢の封鎖がうまくいかず、上海や北京も制限封鎖が行われるといったいどうなるだろう? 中国は世界第二位の経済大国であり、同時に、世界の下請け工場の役割を担う中国が機能せずに世界は動くのか、という経済的不安も大きい。水の流れは堰き止めたら腐る。

日本の場合、暫くの間、感染者は増え続けると思うが、ここで大きな分岐点になるのは、死者が出た場合だ。この負のイメージは加速するだろう。なんとしても政府は感染を押さえる、医療の力を結集させて絶対に死者を出さないくらいの緊張感と本当の対策が必要だ。現実、コロナウイルスは空港で止めることは不可能だった。もはや水際対策のレベルで防げる相手ではないのだ。

この状態で過去を否定してもどうにもならないので、次の対策は絶対に死者を出さない医療態勢の大至急の構築であろう。国が中心となった緊急事態の危機管理体制を整え直し、国民がうつらないうつさない徹底的な消毒生活を続けていくしかない。半年後に迫ったオリンピックが中止になることはないだろうが、もしかすると状況が落ち着くまで時期をちょっとずらすことが、日本にとっても、世界の人々にとっても安心してスポーツの祭典を喜べる得策のような気もしてきた。



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