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滞仏日記「いろんな人との出会いで父ちゃんは息子を育て上げることができた。新型炊飯器が我が家にやってきたその日」 Posted on 2023/11/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、在仏20年の父ちゃんだが、離婚の時期はまじで大変であった。
というのも、子供を託され、子育てをしながら、生きていかなければならくなったのだが、日本のマスコミが誹謗中傷記事をだし、それを信じた人たちから、いまだに、悪口を言われ、メンタルの弱い父ちゃんは胃潰瘍になり、子育てができないくらい大変な日々に追い込まれていたのだから・・・。
その後、時が流れ、息子が大学生になったら、マスコミの皆さんは、黙った。あはは。
「ツジさんは、あのころ、四面楚歌でしたものね」
と今日、カフェーで中村悦郎が言ったのだ。
その通り、子供を育てないとならない、マスコミに「ひどいやつだ」と言われ続け、反論もできず、ひたすら辛抱をした父ちゃんだった。辻語録はこのころにスタートする。
『人の悪口、誹謗中傷、はスルーしましょう! 辻語録第一章第一節』
もちろん、世の中には、ちゃんと実際を見てくれている人もいて、その中の一人が、ジャルパックの中村悦郎さんであった。
「でも、あのころ、辻さんは生まれたばかりの息子さんを抱っこしながら、この子が大学生になり、社会に出ていけるようになるまでは、パリに残って頑張るんだって、言ってましたよね。よーく覚えております。その通りになったですわ。育てきりましたですね」
ぐすん・・・・。

滞仏日記「いろんな人との出会いで父ちゃんは息子を育て上げることができた。新型炊飯器が我が家にやってきたその日」



誹謗中傷だらけの時期でも、ぼくから離れることもなく、「何かあれば力になりますので、言ってください、子育て大変でしょうが、お役にたてることがあればしますので」と言ってくれたのが、この人であった。涙ですねー。
オランピア劇場ライブの、チケット販売とランチ会を仕切った張本人でもありました。
その中村悦郎さんが、定年退職することになり、おととい、メールが届いたのである。
「お世話になりました。定年退職になります。辻さんがちょうどパリに出られるタイミングで勝手ながらご挨拶がてら引継ぎをさせていただければと思っております。2003年1月の来仏から来年でちょうど満21年をパリで過ごしたことになります。時間のある時にご様子をお知らせいただければ幸いです」
ぼくにとっては恩人のような人物であった。ぼくのライブはほぼ全部観劇されているのだ。

滞仏日記「いろんな人との出会いで父ちゃんは息子を育て上げることができた。新型炊飯器が我が家にやってきたその日」



その中村悦郎氏が日本に戻る、というので、今日、感謝会(引継ぎも含め)を開いたのであった。関係各位、全部で、5人の出席者となった。
思えば、68歳の中村悦郎さんとはじめて航空チケットの受け渡しのために待ち合わせたのは、ボンマルシェデパートの真ん前にある老舗カフェの「Les Oiseaux」(レゾワゾーと発音する)であった。
ところが、待てど暮らせどやってこない。おかしいな、と思って電話をすると、
「あの、どこにもその店がないんですわ」
広島の人なので、発音が広島風なのだ。
「どこにいます? 何が見えます?」
「目の前にカフェの看板が」
「なんて書いてあります?」
「れすおいせあうえっくすという看板ですわ」
「どこやろ? それ、フランス語読みだとレゾワゾーになりません?」
ぼくの席から、カフェの玄関の前で空を見上げている小柄でやせており、メガネをかけたアジア人の中年男性が、見えた・・・。
それが出会いの瞬間であった。

滞仏日記「いろんな人との出会いで父ちゃんは息子を育て上げることができた。新型炊飯器が我が家にやってきたその日」



「中村さん、21年間、お疲れさまでした。ところで、はじめて会ったとき、フランス語、全くしゃべることができなかったじゃないですか、もしかして、今も、しゃべることできませんよね?」
「それが、その通りですわ。友達がまずいませんから」
21年間、オペラ地区の日本食レストランのはしごで、生活してきたというのである。なかなか、20年もパリで暮らして、仏語をぜんぜん話せず、フランス人社会に背を向けて、やっていける日本人は珍しい。
しかし、中村悦郎がやってのけたのであーる。
彼は英語力と人柄だけで、定年退職まで生き切った貴重な人物。
とにかく、面倒見がいい人だから、オランピア劇場のランチ会に出席された方々がみんなファンになった、というエピソードも残っている。
ランチ会を開催したホテルの女社長、マダムLも、
「もーあの人、最高、めっちゃかわいいのよねー」
と大絶賛なのであった。
なぜ、この男が持てるのか、今一つ分からないのだけれど、
「ちょうど、今日、ランチ会に来てくださった方からクリスマスカードをいただきまして」
と、みんなの前で、そのカードをひけらかしたりするのであーる。うわ、すごい!
嬉しそうに、にこにこしているのだった。
「退職されたあとは、どうされるんですか?」
興味が沸いたので、聞いてみた。
「いや、もう、いっぱい計画があります。まずは、ローカル線にのって、日本一周をするのが楽しみなんですわ。国際線とかTGVとかばっかりでしたからね、ローカル線」
「奥様と?」
「いいえ、一人ですわ。あはは」
あはは。
21年も、単身赴任でパリにいて、奥様は大丈夫だったのか、聞いてみたら、
「いや、わしのようなものがおらんで、息子と妻はのんびり生きておりました」
となぞの返事であった。
中村悦郎には中村さんにしかわからない世界があるのだろうが、すくなくとも、パリにやってきた多くの日本人が彼に助けられ、救われ、いい旅の思い出を持つことができたのは事実。きっと、奥様もそれをわかって、遠くから応援してきたのであろう。
「でも、中村さん、できれば、奥さんもさそって、二人で日本をめぐってくださいよ」
「あ、ま、照れますが、かないと相談をしてみます。あはは」
とめがねの奥で優しそうな目がしなっていたのであった。
「レゾワゾーは一生忘れません」
「いや、辻さん、あれはわざとですよ。わざと。人間、インパクトが大事ですから」
一同、大笑い。
実に憎めない人なのだ。21年間、お勤めご苦労様でございました。

滞仏日記「いろんな人との出会いで父ちゃんは息子を育て上げることができた。新型炊飯器が我が家にやってきたその日」



滞仏日記「いろんな人との出会いで父ちゃんは息子を育て上げることができた。新型炊飯器が我が家にやってきたその日」

つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。
そして、中村悦郎感謝祭の直後、ついに炊飯器が事務所に到着したのです。
というのは、在仏歴20年超の父ちゃんですが、渡仏直後に羽田空港で買った少し年代物の炊飯器をいまだに使っていたので、内釜に傷が目立つようになり、体に良くない、というのを知り、買い替えたのでした。3合までしか炊くことのできない、独り者用の小さな炊飯器ですが、息子君も自立したので、ぼくにはちょうどいいサイズ感なのです。今後、大活躍しますから、名前をつけたら、また、お知らせします。あ、悦郎にしようかな!!!笑。えっちゃん、で、決定です!!!!

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