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滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」 Posted on 2024/02/14 辻 仁成 作家 パリ

滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」

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滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」

某月某日、今日はモンマルトルの丘を歩いた。
有名なサクレクール寺院周辺を散歩しながら、ツジビルの動画生配信を行った、父ちゃんなのであった。
20代の頃、すでにぼくは油絵を描いていたこともあり、19世紀末に、このあたりで活躍していた若き画家たちの拠点、モンマルトルを一目見たい、とやってきたのだった。
そうそう、その時、怖そうなおじさんたち十数人に囲まれ、「金出せや」、と脅されたこともあったっけ・・・。
記憶があやふやで、お金をとられたような気もするし、警察に助けられたような記憶もあるし、あいまいなのだが、少なくとも、当時は、危険な地域であった。
なので、今日は、ボディーガード的に事務所のスタッフさんに護衛してもらいながらの配信となったが、あまりに観光客が多すぎて、結局、はぐれてしまい、最後まで一人での配信となった。あはは。
昔に比べれば、とっても、安全な場所になっていました。笑。
晴天に恵まれ、素晴らしい映像の撮影ができた、と思う。
御覧いただきたい、古き良きパリがここにあります。

滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」

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19世紀末から20世紀初頭にかけて、このあたりは世紀末芸術の中心地でもあった。
画家、詩人、小説家、音楽家などが集まって、夜な夜な意見交換が行われていたのだ、とか。
そういうものに、ドラマティックな憧れを持っていた当時のぼく(今はない)は、そこが、どんなところか見たくてしょうがなかったのである。
このあたりにはLa Bateu-Lavoir(洗濯船)と呼ばれるアパルトマンがあり、モディリアーニやピカソらはそこにアトリエを構え、根城にしていた。
日本にも、昔、「洗濯船」という文学の同人誌があった。詩人の木戸さんがやっていたのじゃなかったか。ぼくは、木戸さんの同人誌から先に洗濯船を知った。
洗濯船という響きがあまりにかっこよくて、いろいろと調べたら、モンマルトルに行き当たった、という次第である。
ここでピカソが1907年に、あの有名な「アビニョンの娘たち」を描いている。
キュビズムが誕生した場所でもある。
しかし、もともとの洗濯船は1970年に火災で焼失してしまった。

滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」

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La Bateu-Lavoir(洗濯船)では「土曜の夜に集まって、哲学、芸術、世界について、無政府主義、絵画の革命、文学など、あらゆることが話題になった」というのである。(モーラフの日記より)
その時代にぼくがこの辺で生きていたら、間違いなくその輪の中に入って、熱弁をふるっていたことであろう。絵に浮かんでしょうがない。
まるで映画のような世界だけれど、今も、テルトル広場には大勢の似顔絵画家がいて、観光客の絵を描いていた。

滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」

あのゴーギャンも洗濯船に立ち寄っている。
いやはや、当時の芸術家たちは寂しかったのかもなァ、と今の時代のぼくは思う。
ぼくはもはや誰とも屯することはないし、ぼくは文壇とか入りたいとも思わないし、むしろ、嫌われているので、入れても貰えない。あはは。
父ちゃんは、我が道を行く、人なのだ。
なので、古き良き時代を想うにはいいが、そこから頭一つ飛び出すのは大変だったろうな、と想像している。
そういえば、この時期、左岸のモンパルナスには小説家や哲学者、画家などが集まってやはり、文化的集落を形成していたようだが、個人主義を貫くフランスの芸術家たちが徒党を組むというか、夜な夜な集まって、議論していたというのが、不思議でならない。不思議だ。

モンパルナスの文学村には、アメリカのヘミングウエイなどもやってきた、というのだから、面白い伝説ではないか。
芸術の泡のようなものを想像してしまう。
時代の吹き溜まりのようなものに思えてしょうがないが、その儚さも含めて、「洗濯船」という名前が、強い存在感を放っているところが興味深い。
こういうものすべてをひっくるめて、当時の芸術のある種の志向を見た気がする。
ともかく、そういう文化運動の拠点でもあったモンマルトルの丘は、観光地側と、住宅側とに分かれており、実は、あの丘の向こう側が今は、旬、おしゃれな地域として、若いパリジャンたちに愛されているのだ。
おしゃれなカフェやレストランなども、モンマルトルの反対側に広がっていたりする。



今日はテルトル広場から、サクレ・クール寺院の正面に回り、歓楽地ピガールの方へとのんびり下って、散歩をしたのである。映画「アメリ」などのロケ地としても有名な場所だった。
モンマルトルの丘の南のふもとから、ケーブルカー(フニクレール)が上り下りをしていた。
古き良きパリが今も生きている、モンマルトルであった。
だんだんになった展望広場では、静止した時間を楽しむ観光客がくつろいでいた。
ぼくもその中にいた。
天気予報では曇天となっていたが、配信中は、ものすごい青空で、自分の忙しさを忘れてしまうほど心地よく、実際、しゃべるのを忘れて、青空を見上げていたのだった。
ふふふ。
パリ旅行を計画されている皆さん、やはり、モンマルトルの丘は外せませんぞ!

滞仏日記「モンマルトルの丘を歩きながら、ユトリロやルノワールに思いをはせる」

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つづく。

今日も読んでくれてありがとうございます。

はい、それでは、お知らせをまとめて!

●小説「十年後の恋」集英社文庫版が1月19日全国発売。
●小説「東京デシベル」がイタリア、Rizzoli社から刊行されました。
●2月28日から、新宿伊勢丹のアートギャラリーで個展、詳細はこちら☟
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●6月30日、パリ・ライブ決定(詳細、待って)
●7月3日、リヨンでライブ!!!
・ジャパンストーリーズのインスタ、はじまりました。
https://www.instagram.com/japan.stories?igsh=MTA2dWFjODdsZnNrZA%3D%3D&utm_source=qr
新しいデザインストーリーズのインスタも再始動しています!
https://www.instagram.com/designstories_paris?igsh=cHlpdGFvdWkyYmdj&utm_source=qr
・それから、ぼくのなりすましが、ファイスブックで暗躍していて、問題が起きている、というので、皆さん、フェイスブック、ぼくのなりすましには、近づかないように、友だち申請とかしないでくださいね。要注意です。
以上です。

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