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滞仏日記「新型コロナとは何か? このウイルスの真の目的」 Posted on 2020/04/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、いったい、何が起ころうとしているのかを今日も一日、必死で考えていた。価値観が変わる、とテレビなどで語ったし、日記にもそんなことを書いたけれど、夜があけるたびに、ことはもっと深刻かもしれないと思うようになってきた。吉祥寺の繁華街を歩く大勢の人の写真をヤフーニュースで見つけ、みんな何してるんだろう、と愕然とした。ぼくがパリの穴倉のような部屋で一人未来を想像しうなだれているのがバカみたいじゃないか。この現実を前に、いったいぼくに何が出来る。欧州はちょうど復活祭(パック)の週末だが、テレビ画面に映し出されたバチカンの映像には、例年のような大勢の信者の姿はなく、たった一人、誰もいなサン・ピエトロ広場の中心を移動する法皇の姿があった。

滞仏日記「新型コロナとは何か? このウイルスの真の目的」



ぼくは外出証明書に日付と時間とサインをし、マスクと手袋をして外出した。春の陽気の中、マスクをした夥しい数のフランス人が封鎖された通りをまるで亡霊のように、行く当てもなく歩いている。しかも、誰もが社会的距離(ソーシャル・ディスタンシング)を保ち、お互いを避けるように、回避しながら歩いているのだ。

フランスは世界で四番目に新型コロナによる死者が多い国となった。ちなみにアメリカは2万人が死んで世界一位に。上位はG7の国々(スペインを覗く)で、先進七ヵ国が真っ先にこのウイルスによって大打撃を受けたことを物語っている。去年、この日記で「来年以降G7の会議が開かれることはもうないよ」と予言したが、どうやら当たりそうだ。アメリカが大変なことになるぞ、と何度もぼくは日記で警告してきたのに、ぼくの助言に耳を貸さず、トランプ大統領は米国には全然コロナなんかいないと呑気に言い続けていた。ぼくがずいぶん前の日記で「WHOのバカ」と書いた時に、WHOの関係者と思われる人たちから大量の批判メッセージが送りつけられたことがあったが、可哀想なことだな、と思った。正義感の強い人たちが利用されているのに過ぎない。内部にすこしでも気骨のある人が残って、営利主義と戦っているだろうことを祈ってやまない。

さて、本題に入る。このウイルスの正体は人間を引き裂く悪魔なのだ。このウイルスは簡単に言ってしまえば、人間と人間を引き裂く兵器のようなもの。人間という生き物は結びつきを求めて集い、集合体を構築し、その結びつきによって生まれるありとあらゆる利益で生計を立ててきた。経済などはまさしく人間を繋ぐことで成り立っている。貨幣はその媒介物、或いは価値尺度として生まれた。人間がどのように繋がっていったかで貨幣の価値や重みが変動する。多くの人間が欲望というエネルギーに動かされ、経済を膨張させた。その根本には人間と人間が結びつこうとする磁力が存在していた。ところが人間の繋がりを断ち切るのが新型コロナウイルスに与えられた使命なのである。人間と人間を引き離すという誰もが考えもつかなかった破壊力はまさに、愛に対抗する存在、現代の悪魔かもしれない。これが世界で炸裂をしたことによって、今日現在のカタストロフが起きている。人が人を遠ざけないと生きてはいけない世界の到来は、いったい人間に何を持ち込むことになるだろう。経済にとっては致死率が高すぎる。



音楽や演劇や映画などの文化にもこれまでにない衝撃を持ち込んだ。劇場でライブや演劇が出来なくなった。人が集まる空間で、文化を共有することが難しくなった。旧来の、ある種の音楽や演劇や撮影などに支障をきたしている。宗教にも大きな影響を及ぼす。韓国の大邱市の宗教団体、フランスのミュールーズの宗教団体から感染爆発が起きたことが象徴的だ。世界中の宗教施設に人が集まることができなくなる。そればかりか、政治の中枢でも感染者が出て、政治的判断に後れを生じさせている。フランスではロックダウン前に、国会でクラスターが発生した。人と人を引き裂くのが新型コロナの使命なのだとしたら、とぼくは考察した。

ワクチンが出来るのはいつだろう。ワクチンが出来ても、ウイルスが消滅することはないだろう。夏の間一瞬消えたとしても、季節性のインフルエンザのように、この悪魔は毎シーズン出現してくるかもしれない。6月までに世界にある飛行機会社の半分が倒産するという予測が出た。観光地として成り立っていたイタリアやスペインやフランスに多くの感染者が出ている。人々はローマの遺跡やバルセロナのサグラダファミリアやパリのシャンゼリゼにこれまで通り集まることが出来るだろうか。ホテルやレストラン、観光会社、タクシー会社、バス、鉄道、ありとあらゆる公共の移動手段、もちろん、クルーズ船も、これまでのように人を集めることが出来なくなる。映画館、劇場、ライブハウス、クラブ、ディスコ、繁華街に立ち並ぶ風俗店、風俗に関するビジネス全般、ありとあらゆる集会、講演会、演説会も出来なくなるかもしれない。学校もそこに含まれるかもしれない。スポーツは無観客試合が主流になり、種目によっては触れ合うことが危険なので、相撲とか、プロレスとか、ボクシングなど、試合そのものができなくなるかもしれない。会議の仕方も、授業形態も変わるだろう。受験がこれまでのような形式では難しくなるかもしれない。全てがオンラインに変更されることになり、人間と人間の間に距離と冷淡さと乖離が生まれるようになる。もちろん、ハグも、ビズも、握手も出来ない。極端なことを言えば、すべてが画面を通してのやり取りに変わる。貨幣は危ない。電子マネーに移行するだろう。レジも危ないので、ロボットや監視カメラや自動のセルフレジか、或いは両替所のような形態になる。ものの売り買いに人間が関係しなくなり、雇用も減るだろう。そればかりではない、人間味あるやり取りが消えるので、人間そのものの感情の動きも変わるかもしれない。お笑いは消えないかもしれないが、笑う基準が変質する。爆笑問題も2メートルくらい離れて漫才をやらないとならなくなり、太田光のボケに田中裕二が素早く突っ込めず、キレがなくなるかもしれない。浜ちゃんがまっちゃんを叩けなくなる。テレビも人類の流れに即して、少しだけ様変わりをするだろう。幸福というもののイメージも大きく変わってしまうかもしれない。

ぼくは車の走ってない大通りの真ん中に仁王立ちし、まばゆい春の太陽を見上げながら、そっと息子の未来を案じた。このウイルスは人と人とを引き裂くのが目的なのだ。それでも、ぼくは方法や形態が変わろうと、変わらぬ人間らしさで、みんなと繋がり続けたい。

滞仏日記「新型コロナとは何か? このウイルスの真の目的」

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