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滞仏日記「父の日にぼくが考えた大事な生き方」 Posted on 2020/06/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、父の日だそうで、そうか、ぼくの日だな、と思った。実は、忘れてしまっただけかもしれないのだけど、父の日にお祝いをして貰ったことがないかもしれない。シングルファザーなので、それは仕方がないことである。息子に「父の日、ありがとう」とか言われても気持ち悪いだけなので、静かに無視されている方が楽だ。そもそも、ぼく自身、自分の父親に「父の日、ありがとう」と言った記憶がない。男同士って気恥ずかしいのである。それにしても、父の日って、なんなんだろう。いったい、どのくらいのファザーたちが、父の日を祝って貰えているというのか。父の日なんかなくなればいいのに、と思うのはぼくだけか。ところが娘さんのいる家庭とかだと、「お父さん、いつもありがとう」とか言われて、ネクタイとかもらったりするのだろうなぁ、羨ましい。ぼくも娘が欲しかった。ともかく、「母の日」に比べて地味な「父の日」なのだけど、世の中の父親の皆さん、お互いがんばりましょう。

滞仏日記「父の日にぼくが考えた大事な生き方」



話しが少し逸れるが、「父の日」だからか、思うことがある。それは年齢についてだ。フランスにいると年齢を聞かれることがほぼないし、年齢を訊くのはちょっと失礼なことだったりする。特に女性には年齢を訊いちゃいけないし、男同士でもあまり年齢の話しにはならない。ところが日本では年齢が一つの判断基準になっているのか、必ず、「何年生まれですか?」とか訊かれて、年下だったりすると、「あ、俺の方が一つ先輩だ」みたいになるんだけど、なんとかならないのこの習慣。たとえばスポーツ紙記事の冒頭に「辻仁成(60)」とか書かれる。ぼくは年齢を隠したこともないし、自分から還暦です、と言うくらいだから別にいいんだけど、この年齢を基準に話が始まる約束事がなんかね、しっくりしない。女性アーティストとかは年齢が出てなかったりして、なんで男ばっかり年齢が一つの判断基準になるのか、不思議でならない。年齢差別だと思う。高齢な人でもあかん人はいるし、若い人でも思わず敬語を使いたくなる立派な人もいる。年齢じゃない、と思う。もちろん、長く生きた人を尊敬しているけど、そういう話しじゃないよね。



それで、ぼくは一計を案じた。今日から芸名を作ったらどうか、と思ったのだ。「辻仁成(47)」である。こうしておけばどこかの新聞とかに出ても、辻仁成(47)、と紹介されるので、みんながぼくは47歳なんだな、と思うことになって、年齢からくる判断や決めつけを交わすことが出来るじゃないか。年齢って、個体差があるので、20歳過ぎたら、自分で決めていいのじゃないか、と思うのはぼくだけだろうか? 

ともかく、ぼくは今日から「辻仁成(47)」と名乗るかもしれないので、この企画が面白いと思う人はこんご、「辻仁成(47)」を広めてほしい。年齢格差社会に対するぼくのささやかな抵抗として。そして、来年も、再来年も、「辻仁成(47)」でやっていきたい。ある日、自分の人生に折り合いを見つけた場合、ぼくは「辻仁成(86)」に改名するかもしれない。つまり、人生を手なずけ、最終的に、自分のものにするために、自分の年齢は自分で決めるということである。さて、今日は素晴らしい父の日になりそうだ。これでこそ、父の日である。

※と、ここまで書いて、ふと思ったのだけど、「辻仁成(47)」がまかり通ったとして、いじわるな媒体が面白がって、辻仁成(47)(60)とか書かれたりする危険性はないだろうか、これは、ヤダヤダ…。(笑)

滞仏日記「父の日にぼくが考えた大事な生き方」