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滞仏日記「深夜0時に外出したいと言い出す息子への対応」 Posted on 2020/07/20 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、昨夜の夜の0時に息子がドアをノックして、
「あのね、友だちが今、エッフェル塔の近くにいるんだけど、ちょっと会いに行ってきていいよね。すぐ帰ってくるから」
と言ったので、ちょっと考え、ダメ、と返した。
「お母さんも一緒なんだ。遠くから来ていて」
「ダメ。0時過ぎてるし、君は未成年だから」
返事がないので、諦めたのであろう。静かになった。何でも許すとなんでも可能になってしまうので、時々、NGを出す。理解のある父親である時と、そうじゃない時のメリハリを付ける。そうするとダメと言った時は必ず諦める。翌朝、目が覚めると、食堂のテーブルの上に朝食セットが並んでいた。

滞仏日記「深夜0時に外出したいと言い出す息子への対応」



リュックを持って息子がやって来て、朝ごはんセットだよ、と言った。
「どうしたん、これ」
「大家族だと、お母さんがこういうのをテーブルに並べるんだ。起きた人が順番に、ホテルみたいに食べるんだよ」
「でも、うちは二人じゃん」
「なんか、いいじゃない。大家族みたいで。嫌だった?」
「いや、いただくよ。ありがと」
結構おしゃれな恰好をしている。
「出かけるの?」
「昨日、ほら、夜、会えなかった子いるじゃない。お母さんと今、パリに来てるんだよ。だから、ちょっと会ってくる」
「やっぱり、女の子なんだ。モテるね」
「そうじゃない。友だちだよ」
「ネットで知り合った子の一味?」
「一味って、グループだけど、いい子だよ。でも、会ってみたいから」
「マスク、忘れないように。今、すごく厳しくなってるからね」
「分かった」
「帰ったらすぐにシャワー浴びて、服は全部洗濯だからね」
「分かった。じゃあ、行ってくる」
息子が出かけたので、不意に一人の日曜日になった。何時に帰ってくるのだろう、と主婦みたいなことを考えた。まあ、いいか。自由だ。



息子がいないと、何もすることがない。自由業というのは不安だから、人一倍働いてしまう。どこかで自分にブレーキをかけないと、身体が壊れてしまう。よし、今日は休みにしよう、と決めた。昼ごはんは一人なので、外食をすることにした。チョーさんが経営している寿司屋が開いていることを思い出した。チョーさんは日本通の香港人だ。今、パリは9月末まで店の前の道路にテラス席を設けることが許されている。どの店もテラス席を増築して、テーブルなどを並べて営業している。日曜だから客はいない。ぼくは一人でテラス席を独占し、太陽の光りの元、サッポロビールを飲んだ。枝豆、かっぱ巻き、焼き鳥を食べた。チョーさんの奥さんのメイイェンが出てきて、きくらげのツマミと日本酒をサービスでくれた。彼女がぼくに向かって一生懸命話し始めたのだけど、ぼくより仏語が達者じゃないので意味が分からない。ごめんね、よくわからないな、と言ったら、店の中に戻り、メモ帳を持ってきて漢字を書きだした。そこでぼくらの筆談が始まったのだ。小樽、函館、という漢字、これは、よくわかる。どうやら、旅行した北海道のことを話したいようである。成吉思汗(ジンギスカン)、札幌拉麺(サッポロラーメン)、天麩羅(てんぷら)、と続いたので食べ物の話しだと分かった。はおちー?(美味しい?)と訊くと、ウイウイウイウイ、と笑顔で頷いたので、ぼくは嬉しかった。いろいろと話したけど、最後に彼女が書いた単語が「鄭和」だった。メイイェンはこの人物が昔、日本に行き、物流をして、日中交流の基礎を作ったと言った。調べたら明の武将で七回もの大航海を行った人物である。要は中国版コロンブスのような人物であった。とはいえ、鄭和はコロンブスよりも80年ほど前に大艦隊を率いてアフリカまで大航海を行っていたので、鄭和の方が先駆者だった。しかもコロンブスの艦隊が100人規模だったのに対し、鄭和艦隊は3万人規模だった。その船は宝船と呼ばれ、最大のもので、全長137メートル、幅が56メートルもあった。15世紀のことで、なぜ、このような人がコロンブスほど世界的にならなかったのか、僕は不勉強でよくわからないのだけど、なぜか、メイイェンは鄭和が日本との貿易を始めた人物だと言い続けた。調べてみるね、と言ってこの話は終わったのだけど、日曜日らしい、ロマンのある面白い話しなので、鄭和について調べてみよう、と思った。

滞仏日記「深夜0時に外出したいと言い出す息子への対応」



中国人とは筆談が出来る。筆談が出来る外国なのだ、と思うと不思議な感慨があった。ちなみに「辻」という字は中国にはない。これは国字で、日本で発明された言葉なのだ。中国人は進の略字じゃないか、という人が多いけど、クロスロードという意味だと中国の人たちに自慢するのがぼくの楽しみだったりする。メイイェンが、かっこいい、と辻の字を褒めてくれた。

息子は夜の九時くらいに戻ってきた。夕食はうちで食べるという連絡が入ってから2時間後のことである。ぼくは絶対腹を空かせて帰ってくるとふんでいたのだけど、お腹すかない、と言って自分の部屋に戻ってしまった。どうするんだ、この日本のナンミックスで作ったチャパティ! 4人前は作ってしまったじゃないか。部屋まで追いかけて行き、
「昼は何食べたの?」
と訊いた。
「なんも、食べてない」
と返って来た。
「腹ペコだろ?」
「夏バテかもしれない。暑くて」
ぼくが心配をしてドアのところに立っていると、
「人間っていうのは、いろいろな運命に翻弄されるものだね。今日は予想外にいろんなことがあった」
とフランス語で言った。親としては聞きづてならない台詞だったが、刺激しないようにした。何かがあったのだろうけど、それが人生というものだから、
「そうやって、悩んでるってことは、人間が壁を突っ切ろうとしている証拠だから、どんどん悩め」
と日本語で言い残して子供部屋を出た。息子はどうやら、大航海時代にいるようだ。未知の大陸に上陸しては、人間関係に翻弄され大人になっていく。とすれば、ぼくはさしずめ、灯台なのかもしれない。

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