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退屈日記「フランス人の家に招かれる時の心得」 Posted on 2020/08/12 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ぼくらが滞在する村から車で25分くらいのところに、古くからの知り合いが暮らしている。夕方、連絡をしたら、ちょうど今、いるから息子君と遊びにおいでよ、ということになり、出かけた。ぼくよりも一回り年上の二人だが、気が若く、アーティスト系なので気が合う。出版から映画、そして専門が演劇なので、文化の話しをしはじめると昔から止まらなくなる。彼らは数年前に、パリを離れて、田舎に家を買った。森に囲まれた一軒家で庭にはリンゴの木が聳えている。

珍しく、息子がついてきた。5年ほど前に、4人で一度、日本でてんぷらを食べたことがあった。その時のことを息子もよく覚えていた。
「辻さん、フランス語上達したねー。昔はぜんぜん喋れなかったのに」
ステファンが微笑みながら言った。すると愚息が、いやー、ぜんぜん、ダメですよ、だいたいぼくが通訳していますから、と余計なちゃちゃを入れやがった。

退屈日記「フランス人の家に招かれる時の心得」



普段はいつもぼくが料理をするのだけど、たまにこうやってお招きを受けるのは、やっぱり、嬉しい。フランスは「家に招かれる」というのがとっても大事なのだ。家に呼ばれるというのは「本当の友人の証」とされる。フランス人の家に招かれる時、特に気を使う必要はないのだけど、ここは日本人と一緒で「手ぶらというわけにもいかない」のかな。そういう場合、だいたい、フランスだとワインとかシャンパンを一本持っていくと喜ばれる。

フランス人は男も料理をするし、作りたがる。今日はサンドリンヌだけじゃなく、ステファンもぼくらのために腕を振るってくれた。彼が作ったアボカドとコリアンダーとトマトが入ったワカモーレ、とっても美味しかった。ステファンがサンドリンヌを口説いた時、「最初に作ってくれたのがボンゴレのスパゲッティだった」らしい。自慢されてしまった。

ぼくがシングルファザーになった時、彼らもすごく心配してくれた。彼らも二人とも離婚経験者だったので、うちの子のことでいろいろとアドバイスをしてくれた。二人はそれぞれの連れ子たちと、最初から一緒に暮らした。こういうのを「複合家族」とこちらでは言う。離婚が多いので、離婚した者同士で新しい家族を作るのだ。ステファンはサンドリンヌの娘さんのことを自分の娘のように可愛がっている。サンドリンヌはステファンの息子を自分の子供のように心配している。そうそう、フランス人はとにかく、子供を心配する。大人に対しては離婚しようが、何をしても、口出しはしないのだけど、子供問題だけは誰もが結構お節介してくる。困ったことがあれば、いつでもその子を預からね、とサンドリンヌに言われたことがあった。何気ない優しさも友人だからである。



二人ともフランス人だけど、ご主人のステファンはスペイン系、奥さんのサンドリンヌさんはユダヤ人なのだ。フランスという国は面白く、そもそも、フランス人の中のフランス人みたいな人にはあんまり会ったことがなく、イギリス系とか、ポルトガル系とか、イタリア系とか、ロシア系とか、ドイツ系とか、ユダヤ系だとか、みんなどこかにルーツを持っている。そのルーツをたどる話しがまた面白い。サンドリンヌはいつも祖国イスラエルのことを教えてくれる。エルサレムとテルアビブは東京と大阪みたいに正反対らしい。大阪好きな息子は「ぼくはテルアビブ派かな」とアピールしていた。一度、サンドリンヌに案内されて「嘆きの壁」を見に行きたいね、という話しで盛り上がった。それが実現できる日はいつのことであろう。

退屈日記「フランス人の家に招かれる時の心得」



「どうするんだい?」
とステファンが息子に将来のことを質問した。いい質問だな、と思った。なぜなら、彼はずっと自分の将来について悩んでいたからだ。経験豊富なステファンにアドバイスを貰えたら、親としては助かる。すると、息子が驚くべきことを言った。
「ステファンさん、ぼく、弁護士になろうと思っています」
ぼくは飲んでいた赤ワインを噴き出しそうになった。な、なんやと!
「それはいいね。どういう弁護士?」
「出来れば国際弁護士になって、日仏の企業を繋ぐ仕事がしたいな、と思っています」
「それは素晴らしいわ」
とサンドリンヌが言った。自分の生い立ちを考えると、日本人であることを生かせる仕事がベストじゃないかと思ったのです、と息子は力説していた。ここでちゃちゃをいれると、へそを曲げるので、笑い出したかったが、黙って聞いておくことにした。
「立派になったわね」
サンドリンヌが言った。息子は優等生みたいな顔で、微笑んでいた。

その夜、ぼくと息子は離れのゲストルームで並んで寝た。
「お前、いつから弁護士になるって決めたんだよ。びっくりさせんな」
すると息子は、
「昨日、決めたんだから、知らなくても当たり前だよ。友だちと話し合って、弁護士が向いているんじゃないか、って言われて、その気になった。100%決定じゃないけど、とりあえずそこへ向かう」
と言った。
「簡単じゃないぞ。日本の仕事をするなら漢字を勉強しろよ」
「うん、もうパパのフランス語をバカに出来ないね」
お、楽しくなってきた。日本語なら、本職だから、これで親の面目躍如ということになる。

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