JINSEI STORIES

滞仏日記「息子に無視され、バカにされても、じっと辛抱の親心と秋の空」 Posted on 2020/08/21 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、それにしても長すぎる夏休みだ。ロックダウンもあったし、コロナのせいで休校が続いているので、3月15日以降、息子と朝昼晩とずっと一緒に過ごしてきた。半年も二人っきり、あんなでかい奴に家でごろごろされて、朝昼晩と食事を作らないとならず、違った意味で大変な時代になったものだ。「女心と秋の空」「男心と秋の空」を言い換えて「息子心と秋の空」ということか。とにかく、不機嫌な時と機嫌がいい時の落差の激しいことといったらない。
「なんか食べる?」
「いらない」
「サンドイッチあるけど」
「だから、いらないって! しつこいよ」



一昨日の日記に登場した息子は、素直で闊達で元気な優しい青年なのだけど、今日の日記の息子は同じ人間かというくらいに不機嫌で刺々しい。どこの家も思春期の子とはこのようなものなのだろうか、と心配になる。昼食を食べに行きつけの中華レストランに行ったが、ブスっとして、はれ物に触るような感じなのだ。ここで、何食べる、と訊いたら、怒られる。今、考えてるよ、と言われるに決まってるから、ほっとこう。ほっとけばいい。
「パパってさ、…」
不意にメニューをみながら息子が言った。
「なに?」
「…なんでもない」
「なんだよ、言えよ」
「パパって、ほんと、おしゃべりだよね。ペラペラペラペラ、よーく喋る」
「は? いつ?」
「この間も、和食屋で昔の友だちにばったり会ったら途端に兄貴風吹かせて、止まらなくなって。昔のこととか、誰も聞きたくないのに、マシンガンみたいに喋って、みんなドン引きしていたのわからないの? 普段仏語が通じない憂さを晴らすみたいに喋りたくなるのはわかるけど、恥ずかしかったよ」
カチーン。カッチーーーーン。

しかし、痛いところを突いてくる。先日、知り合いの和食店で食事していたら、渡仏直後に仲のよかった人がいて、確かに、ペラペラ喋った。息子は黙っていた。その時に、言えばいいじゃん、と思ったけど、思い出すように批判をしてくる。
「パパだって喋りたいんだ、いいだろ」
「パパの歌にあったよね、ZOOだっけ? 喋り過ぎた翌朝、落ち込むことの方が多いって、あれ、自分じゃん」
カッチーーーーーン。
「いいけど、言わないでいいことまで喋り過ぎ」
くそっ。
「じゃあ、言うけどな、お前は調子のいい時と不機嫌な時の差が激しいんだよ。外面がよくて、家ではむっつりだ」
「何言ってんの? 自分じゃん」
「お前に神経使ってクタクタなんだよ。パパにもちょっとは気を使えよ」



昔、うちの父がそうだった。外面がいい人だったので、お客さんがいなくなると、すっと鉄仮面の顔に戻った。自分に疲れているのが伝わってくる。お客さんが来ると満面の笑みになりやたら腰が低くなる。そこまで媚びなくてもいいんじゃないの、と子供ながらに心配になったものだ。一緒なのだ、と言ったら息子が怒るかもしれないけど、ぼくの前では基本、不機嫌。誰かがいるとめっちゃナイスガイになる。

店主のシンコーさんがやって来て、新学期だね、もう準備は出来てるの? と言った。メニューを覗き込んでた仏頂面が、振り返りながら、その僅かの隙に、手品のように、満面の笑みに一変してみせた。すげー。
「はい、もうだいたい、準備出来ています」
嘘つけ、まだなんもやってないじゃん! なんだ、そのアイドルみたいな笑顔! 
「そうなんだ。学校はコロナ禍でも開くんだね」
「これ以上家でゴロゴロも出来ませんし、気を付けてやっていきます」
「偉いね、美味しいもの食べてってね」
「はい!」
シンコーが去ると、満面の笑みがメニューに戻るまでの僅か一秒間ですっと消えた。寒。うちのおやじにそっくりじゃないか。隔世遺伝だ。

でも、本人に悪気が無いのはわかる。だから、彼が自ら何かを言いたい時には、パパ、ちょっといい? とすり寄って来る。でも、こちらが何かを相談に行く時は、超面倒くさそうな顔をされる。
「あの、今、メイライが言ったフランス語の意味が分からないんだけど」
「・・・・」
「セパフォルセって言ったでしょ? どういう意味?」
「・・・・」
「あ、じゃあ、いいや」
「何? 聞いといていいやって、どういうこと? 失礼じゃないの?」
カッチーーーン。
そこで、同じ質問を繰り返すと、首を斜め45度に傾け、そんなこともわからないの、という顔をされる。もうこの時点でぼくは後悔しているし、ちょっと教えてくれても良さそうなものなのに、と腹立たしくなる。このストレス。いったいぼくのこのイライラを誰が分かってくれるというのだろう。



9月1日から新学期がはじまる。いよいよ、息子君は高校二年生になるのだ。高校一年生はまだ子供の延長で、高校三年生からは大人の仲間入り。高校二年生というはその端境期のような、ちょっとセンシティブな時期だったりする。ますます、この子のコントロールが難しくなる。しかし、みんな最終的に自分の人生は自分で決めていくのが人間だから、親が騒いでも仕方がない。この時期の子供たちはみんなストレスを抱えているのだ、と思え。親にしかその矛先を向けることが出来ないのだ、と思え。ともかく、あと10日とちょっとで新学期が始まる。そこまでの辛抱だ。学校がはじまったら、ぼくらの生活にも新しい変化が訪れる。

滞仏日記「息子に無視され、バカにされても、じっと辛抱の親心と秋の空」

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