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滞仏日記「今度はママ友パパ友のおもてなしを受けることになった」 Posted on 2020/08/28 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、ロックダウンによる後遺症ともとれる軽度のやる気が出ない病によってベッドでごろんごろんと過ごしていると、トントン、とドアをノックする音がした。息子だった。あ、昼だ。ご飯の時間だった。何にも作ってないことに気が付き、慌てて起き上がる。
「ごめん、昼飯、すっかり忘れていたよ。まだ、調子が出ないからさ、ぐずぐずしてた」
「いや、そうじゃないよ。ご飯は炊いといた。冷凍庫に魚のフライがあったから、今、オーブンであたためているし、ごはんのことは心配しないで」
へー、と思った。昨日、体調悪いと夕食の時に訴えたのが功を奏したようだ。
「でも、話しはそれじゃないよ」
「・・・」
「パパ、猫はもう大丈夫?」
「猫って、・・・アレルギーのこと?」
ぼくは猫アレルギーによってバンドマン時代、二回死にかけたことがある。大げさではない。一度は病院に担ぎ込まれたのだ。
「ふぁみを一時隠すと言ってる」
「ふぁみ? 」
「アレクサンドルのところの猫だよ。種類は知らないけど」
「ああ…。でもなんで?」
「今、ロベルトがミラノからパリに戻っていて、ほら、この間、リサがうちでご飯食べたじゃない。ママ友のパーティで。だから、今度はリサとロベルトがパパを家に招いて、食事をふるまいたいって。パパ、ちょっとここんとこ元気ないからさ。いいんじゃないの、行こうよ。ぼくも行くから」
息子がニヤっと笑ったので、多分、アレクサンドル君にぼくがダウンしていることを話したのだろう。それをアレックスがリサに伝え、ロベルトと協議して、じゃあ、うちでご飯を、という流れになったのじゃないか、と推測した。



「ふぁみね。ふぁみふぁみ…」
またしても、泣きそうになった。というのは、息子はリサの家にもう何十回と泊っている。彼のパジャマや歯磨きセットも置いてある。しかし、ぼくは行ったことがない。リサとロベルトが我が家で食事をしたのは、一度や二度じゃない。離婚の後、ぼくと息子が二人切りになってからもう十数回は食事に来ている。でも、ぼくは招かれたことがない。理由は猫がいるからだ。その猫をどこかの部屋に隠すから、夕食を食べに来てくれ、ということだった。

思い出されるのは、7年前、ぼくと息子はロベルトとリサに招かれ、ロベルトのお父さんの別荘があるイタリア南部のイスキア島に招待されたことがあった。航空券も、ホテルもすべてロベルトが手配した。親しい仲ではあったが、今ほど、親密というわけでもなかった。ただ、その時は離婚直後で、ぼくが廃人同然だった。何も口に入らず、寝込んでいた。この二人の友人はぼくのことを心配して、南の島に連れ出したのである。そして、彼のお父さんの家で、スパゲティを作ってごちそうしてくれた。二人が作ってくれたのはトマトのパスタだった。作り始めて一時間もかかった。普段料理をしないロベルトがぼくと息子のために一生懸命作っているその後ろ姿が、寄り添うリサも、今だに脳裏に焼き付いてはなれない。

滞仏日記「今度はママ友パパ友のおもてなしを受けることになった」

銀行員のロベルトは料理のプロじゃない。でも、離婚でボロボロだったぼくのために一生懸命作ってくれたトマトのパスタ、そうそう、涙をこらえながら必死で食べた。息子の前で泣くわけにはいかないので、うつむいて食べた。その時、涙が一粒、パスタの上に落ちた。その時の写真があるから、少し、見てもらいたい。イスキアは本当に美しい島だった。

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あの頃、なんでか知らないけど、味方がほとんどいなかった。ぼくが息子を育てることになった後、誹謗中傷が続いて、あれは実に地獄だった。自己嫌悪の毎日だった。死にたいと思った。でも、息子がいたので、死ぬわけにはいかなかった。

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みんなに背を向けられていた時、なぜだろう、リサとロベルトが本当に優しくしてくれた。友だちは大事だ、と思った。きつかった時期だからこそ、優しくされたことが、ぼくにとっては財産となった。イスキアの空の青さを今も忘れない。生きようと思った瞬間だった。心を改めて、この子を育てようと決意したのもその瞬間だった。ロベルトとリサがいなければ、今のぼくは無かった。あの日から、ぼくは生まれ変わった。イスキアがぼくを変えたのだ。

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小学5年生だった息子は、週明け、高校二年生になる。だから、ロックダウンの後遺症なんかでいつまでも寝込んではいられない。この程度のことに、負けるわけにはいかない。
「パパ、いつがいい?」
「いつでもいいけど。来週から学校じゃん」
「そう。だから、今日か、明日は?」
「え? 今日は無理だ。しげちゃんとZOOM会議やらないとならないんだ」
「しげちゃん?」
「あの、ほら、元ボクサーの旅行会社のお兄さん」
「ああ、あの人ね。じゃあ、明日は?」
ということで、不意に明日、ぼくはリサとロベルトに招かれることになってしまった。息子が微笑んでいた。こいつ、と思った。気が付くと、大事な人が自分にはいた。誰にでもぼくはいい顔が出来ないし、不器用だけれど、なぜか、本当に大事な仲間だけは離れないでそばにいてくれる。その人たちとは魂の根本の部分で繋がっているのだ。有難い、と思った。こういう時に、有難い、という言葉を使うのだ。

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※手前がアレクサンドル、奥が愚息(笑)、二人とも大きくなったなぁ。今、アレックスは2メートル弱もある。

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「パパ、もしかするとね、ふぁみを抱けるかもしれないよ」
「そうかな?」
「調べたんだ。子供の頃に動物アレルギーでも、大人になるとほとんどの人が治るんだって。ぼくはきっとパパはふぁみに好かれると思う。だから、抱っこしてあげたらいいよ。パパは動物には愛される性格だから。動物は人間の心を癒すよ。試してみよう」
ぼくらは笑いあった。そうなのだ、ぼくは犬猫にだけは本当に愛される人間なのである。明日が楽しみになった。泣かないように頑張ろう、と思った。そういえば、イスキア島で出会った猫たちはぼくの前で寝転がって、お腹を見せてくれたものだ。愛される人間でいたい。

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