JINSEI STORIES

滞仏日記「この夏、日本で感じた不吉な予感」 Posted on 2019/07/23 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、日本滞在も長期に及んで、あと一週間ほどでパリに帰ることになったが、参議院選挙期間中であり、様々な事件が起こった時期だったにも関わらず、テレビはここのところ吉本興業さんの事件一色。そもそも、あれほどの人気芸人がお金もあるだろうにあんな闇営業に出た理由だとか、芸人たちの置かれてる生活環境とか、その後の社長さんの全国規模の記者会見にしても、昼の時間帯はどのチャンネルも社長さんの映像が流れていて、国民の関心の高さ(?)がうかがえるのは十分わかったけれど、なぜかそれがだからこそ僕にはぴんとこなかった。

むしろ、京都アニメーションの悲しい出来事には胸を痛めた。あれは放火事件とかじゃなくて、恐怖心をあおったということにおいて、一種のテロじゃないか、と僕は思う。元来、テロリズムとは特定の政治的目的を実行するために強い恐怖心を市民に植え付けようとする極限的暴力を指す。しかし時代とともにテロの概念は政治や宗教だけにとらわれなくなってきたように感じる。従来の枠に当てはまらない市民や政府への攻撃もテロと定義づけるべきじゃないか、と思うようになってきた。憎悪や恨みに対してイデオロギーの溝は拡大し続けている。そういう意味でここまで市民に恐怖をあおる今回の京アニへの放火事件はテロ(事件の解明を待ちつつも)と呼ぶにふさわしい最悪の出来事じゃないか、と思った。実際、この事件は吉本興業社長さんの記者会見よりももっともっと議論されるべき案件なのに・・・。オリンピックが来年に迫った日本で、一千万人以上の外国人が訪れるその時期に、人が集まるからこその恐怖暴力が起こる可能性があり、それはもはや政治や宗教やイデオロギーの違いだけで見極めることは難しいのだ。

フランスはシャルリー・エブド社襲撃やバタクラン襲撃の後、厳重な警戒が続いている。機関銃をぶら下げた兵士があらゆる通りにワンブロックずつ並んだ時期もあった。いまだに、重装備した複数の兵士の巡回は昼夜を問わず続いている。日本では政治的、宗教的テロはオウム事件以降姿を隠したように見えるが、形を変えたテロがオリンピックの時期に再び姿を現す嫌な可能性も排除できない。起こった後で遅かったと後悔してはならない。欧州に学び、さまざまなテロへの警戒を強める、まずは意識を育てなければ。この数年、パリの自宅の近くでテロと向き合ってきた僕が今日本の警察や市民に心の準備をしてほしいという願いは、京アニへの放火事件が僕には昨今欧州で頻発する個人テロ行為と重なったからでもある。フランスのテロも組織的なものから個人的行動へと形態をシフトさせ、防ぎにくくなっている。京アニビルが燃え上がる映像を心のどこかに持ち続け、そういう事件は対岸の火事ではないのだと問い続ける警戒感の必要性が今、日本人には必要かもしれない。日本の平和には付け入る隙がある。狙いやすい国でもある。そして一年後、いよいよオリンピックが再び日本にやってくる。 
 

滞仏日記「この夏、日本で感じた不吉な予感」