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滞仏日記「はじめまして、ぼくが父ちゃんです」 Posted on 2019/08/08 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、奇妙な旅であった。僕と息子を乗せた愛車は一路、西へ向かってA10(フランスの国道)を時速130キロで走行していた。正直、気乗りしない旅でもあった。
「じゃあ、パパはどうしたらいいの?」
「どうもしないでいいよ。パパは部屋で仕事をして、たまに散歩をして夏休みを満喫して。僕はその間に彼女と会って二人の時間をもちたい」
「とりあえず、3泊予約したけど、いいかな? パパもパリで仕事があるし」
「うん、ありがとう。とりあえず、この会ってるあいだに二人で話し合う」
「なにを?」
「なにって、お互いを知るための3日間だよ。僕らはこの1年、ネットの世界だけでずっと会って来た。でも、もうそれじゃ、我慢できないことがわかった。だから、会って、いろいろと確かめたいんだよ」
何を試すのか、わからなかった。そもそも、なんでそんな遠いところの子を恋人にするのか、と言いたかったが、そればっかりは出会ってしまったのだから、しょうがない。親がとやかく言うことじゃない。好きになったのだから、仕方ないじゃないか、と僕は僕に言い聞かせるのだった。未成年だからホテルに一人で滞在することが出来ないから僕が駆り出されたに過ぎない。僕としては出来るだけそっとしておく。しゃしゃり出ないようにする。そもそも、僕は嫌いなんだ、そういうおせっかいな親にはなりたくない。それが僕の美学だ。でも、しょうがなく、運転している。ほんとうだ。僕はしょうがなく運転しているのだ、と自分に言い聞かせながらハンドルを握りしめ、アクセルを踏み込んでいた。

朝、9時過ぎにパリを出て、途中、正午に高速の休憩所で食事をし、そこからまた200キロほど走って、午後3時過ぎにその子が暮らす村から一番近い都市に到着した。慌ててネットで探したエアービーアンドビーは中心部の飲食街のクレープ屋さんの2階であった。到着すると驚くべきことに家の前にその子が待っていた。
「パパ、エルザ」
息子が指さす方を見ると3人組の若い女性たちがいる。真ん中の子が走って来て、いきなり路上で息子に抱き付いた。僕は驚いた。おい、おい、ここは公道だぞ! しかも初対面で! その子の連れの2人の女の子たちが歓声を張り上げた。2人の女子は少し離れた場所でガッツポーズを決めている。道行く人たちがほほえましい顔で4人を振り返っている。蚊帳の外のパパは荷物を抱えて、道の端っこでたたずんでいる。
「パパ、夕方までには帰ってくるから。あ、エルザ」
「はじめまして、エルザです」
彼女は片言の日本語で挨拶をした。僕は強張りながらも笑顔を向け、進歩的な父親を演じてみせた。右手にスーパーの大きなビニールバック、左手にパソコンの入った旅行バックを抱えていた。だから、握手さえ出来ない。あまりの不意打ちだから、気の利いた言葉さえ出ない。
「夕食までには戻ってくるね。ここでしょ? このクレープ屋さんの2階」
え? あ、そうだけど・・・。エルザに同行していた2人組が僕をじっと見ていた。僕がちょこんとお辞儀をすると、愛らしい笑顔を向けてきた。田舎の子たちだからか、パリの子のようなすれた感じがしない。いい子たちなのかな、と思った。
「行こう」
息子がエルザの手を引っ張って歩き出した。女の子の手をこんなにも堂々と引っ張ることが出来るんだ、とまずは自分の息子の行動力に驚いてしまう。そうだ、こいつはパリジャンだった! スタスタと歩く2人の後ろをエルザの友人の若い女の子たちがくっついていく。この子たちは後見人なのだろうか? なんで初デートが4人なのかもわからない。でも、いや、それ以上に、この全ての展開が新鮮過ぎて、太刀打ちできない。太刀打ちできない僕は瞬きも出来ないまま、彼らを見送ることになった。

落ち着け、父ちゃん。まずはチェックインをしようか。
 

滞仏日記「はじめまして、ぼくが父ちゃんです」