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滞仏日記「フランスで頑張る日本人料理人談義」 Posted on 2019/08/12 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、パリは静かだ。この時期、日本はお盆だが、フランスも8月15日は聖母マリアの被昇天祭で休日、バカンス中だしどこもしーんと静まり返っている。そんな人のいないパリに、ボルドーから遠い縁戚の佐藤君がやってきた。彼はメドックのワイナリーで料理を作っている。もともとは京都の老舗料亭で働いていたが、思うところがあって二年前からフランスに移り住んでいる。昼飯も一緒に食べたが、話が尽きないのでオペラ地区で夜に再集合をかけた。そこに在仏日本大使公邸で料理人をやっている工藤さんと、元フィルというフレンチで働いていたシェフの前田しんが合流し、料理談義に花が開いた。

僕が彼らに訊いたのは、「なぜ、YOUはフランスに」であった。工藤さん曰くパリの大使公邸で料理人を希望する人は多く、200倍の難関なのだとか。最初はカナダ、それから中国の大使公邸で働き、3年前からようやく第一志望だったパリに着任となった。いわば、その道のプロである。大使公邸で開かれる晩餐会などの料理をずっと作っていて、政治と料理という話が面白かった。日本大使は毎晩が晩餐会。食べることを味わう余裕すらなく、しかし食べて国家間の信頼関係を築く大変な仕事なのだとか。小食の僕には無理な仕事である。残すことも出来ないだろうし、どんなに大きな胃袋でも毎日フルコースの料理は辛い。国と国を味でつなぐ仕事をする工藤シェフの苦労話はドラマティックで面白かった。かつては大使公邸にはフレンチと和食の二人のシェフが常駐していたが、ここ最近は国の方針で日本食を押し出すために和食の料理人しかいないのだとか。大使公邸から和食ブームを広めようという意気込みであろう。

前田しんは僕がほれ込んだパリ在住のフレンチ王道シェフで、フィルで出された「ヤマウズラのパイ包み」と出会った時からぼくは前田の腕前に一目ぼれならぬ、一口ぼれ、した。185センチの長身でいかつい顔だちだが、この大男がフランス人の料理人たちを指揮して作り出す伝統的なフレンチ料理のその豪快で伝統的な味には何度も唸らされた。この男、若いころは地元札幌の引きこもりのヤンキーで、とんでもない青春時代を過ごしていたのだとか(結構、もって話しているので実際は長渕剛さん好きな好青年である)。ある日、料理人だった父親のところにスイスでの就職話が届き、一大決意をして渡欧、そこでフレンチの極意に触れ、本場フランスへと渡った。長い修行時代を得て、今は自分の店を出すために物件を物色中という身分。彼がハマった伝統的なフランス料理はもしかすると今のフランス人には出せない王道の味かもしれない。外見の迫力とは裏腹に実に計算された知的な料理を作る。この国で王道フレンチを極めんとする強面前田しんの開店が心から待ち遠しい。

本日の主役、佐藤くんとは、まず84歳の母さんから遠い縁戚の子がフランスで頑張ってるからあんた面倒みてやらんね、という連絡があり、会うようになった。ちゃんと話したことがなかったがなかなかに立派な経歴と腕前を持っており、先の工藤さんがその味を食べにメドックまで出かけたほど。彼はメドック地方の食材に惚れ込んで創作をしているが、ワイナリーで働いているだけあって葡萄の木の炭火焼きで作った肉料理を得意とする。摘草料理の料亭で働いていただけあって、その土地に育つ野菜や肉を見極め、上手に使いこなす料理人だ。土地とのつながりを大事にする佐藤君は出来ればメドックで将来自分の店を開店させるのが夢の一つのようで、こちらも楽しみである。料理好きだからこそ僕は料理人を尊敬しているし、彼らと話をしていると本当に楽しい。星を狙うのもいいが、地道に自分の味を追求している若い料理人たちとの出会いは心と舌先が盛り上がる。それこそ、僕は収穫だと思っている。長い目で美味しいを追求していってもらいたい。料理というのはまず、目で楽しみ、次に鼻で楽しみ、最後に口で楽しむもの。そのすべてが美味しいを引き出すコツでもある。最後に前田しん作「ヤマウズラのパイ包み」の写真をご覧頂きたい。サクサク、中がジューシーで肉感が凄まじい一品だ。うう、腹が減った。
 

滞仏日記「フランスで頑張る日本人料理人談義」

photo by 佐伯幸太郎