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リサイクル日記「人にどう思われようが関係ない生き方もある」 Posted on 2022/06/08 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、生きているといろいろな矢が飛んでくる。普通に生きていても大変なんだけど、このような時代になると、いらぬところからストレスがやってくる。たまらないね。

ストレスのない人間なんかぼくの周りにはいない。二十年に一人くらいの割合で「生まれて今日までなんにもストレス感じたことないです」という人に会うけれど、これは例外。こういう人はマイペース過ぎるわけで、もしかすると、周囲に凄くストレスを与えている可能性もある。しかし、ほとんどの人はストレスを感じるのが普通で、中でもストレスを抱え込む人は辛い。じゃあ、なんでストレスが生まれるのか。なぜ、ストレスを感じるのか。それが分かれば、ストレスを減らすことができる。

リサイクル日記「人にどう思われようが関係ない生き方もある」

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ストレスの一番の理由は人間だ。他人と関わらなければストレスを感じることは減るだろう。でも、この星の中で誰ともかかわらないで生きていくのは至難の業、すくなくとも職場にしても学校にしても生活をする以上は誰かと関わりを持つのが人間。生きていればそれなりに誰かと接するわけで、しかも、少しでもいい人生を願わない者はいので、そうすると思いを叶えるためにどうしても無理をしてしまう。こうしたい、ああしたい。嫌われると仲間外れになるからなんとか好かれたい。神経すり減らすことになるし、周囲と揉めたくないので自分の意見を全面に押し出せなくなる。当然、ストレスが生まれる。だから誰かに何かを期待するようにもなる。期待通りになることはほぼ無いのに、期待するからいっそうストレスが増す。じゃあ、どうやったらストレスは減るのだろう。

リサイクル日記「人にどう思われようが関係ない生き方もある」



ストレスは人生の付随物だ、と最初に認めることが必要かもしれない。次に期待しない生き方へとシフトしていく。ぼくは最近、一切期待をやめた。年も年だし、諦めることが出来るようになった。(本当に、諦められると楽になる)自分で全部やる、と決めるとそもそも自由になる。みんなに好かれようと思わなければ、無理をしなくて済むので、ストレスは減る。頑張らないとできないことは引き受けない。人格を否定されたり、誰かの踏み台になるような人生はストレスになるのではなから近づかない。これだけのことで結構、気が楽になる。誹謗中傷を受けたり、悪口が聞こえてきても、気にしない。その人たちはたぶん自分にとって必要のない人間なんだから、関わる必要もない。たった一度の人生なのに、他人に振り回される時間もない。

たしかに、強くないと出来ないことかもしれないけれど、ものは考えようで、この際だから強くなろう、と決めてしまう。孤高に生きるということかもしれない。人間界のどろどろの中にいないと不安だから、みんな頑張っちゃう。思い切って強い人間になればいい。絶対できる。周りに振り回されて自分を偽り、期待して何もやらなくなれば、結局失うのは自分の魂だ。期待しそうになったら「いかんいかん。期待するな」と言い聞かせればいい。かくいうぼくも昔は期待ばっかりしていた。正直、今もまだまだ強い人間にはなり切れていない。よく落ち込むし、結構、人間不信に陥る。「また、騙された」と言っては息子に「パパは人間を見る目がない」とバカにされている。なるほど、それは自分が招いたことでもある。期待はことごとく実現しなかったじゃないか。そりゃあ、そうだろうな、と今更だけど思う。みんな自分のことで精一杯、出来れば自分がかぶりたくはないのだから、当然で、期待した方が悪い。ならば、コツコツと孤高に生きて行けばいいんだよ。人にどう思われようが関係ない。そう思えば、ちょっとは楽になる。だいたい、生きて死ぬのは、俺の勝手だ。短い人生なのに、誰かにとやかく言われるようなものじゃないね。

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