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滞仏日記「バレンタインデーに北マレで僕は考えた」 Posted on 2019/02/15 辻 仁成 作家 パリ

 
某月某日、昨日はバレンタインデーだからか、パリはそこかしこの美術館とか公共施設とかがハートマークでライトアップされて美しかった。暴動デモの話題が世界を駆け巡っているパリだけれど、黄色いベスト運動だけじゃなくデモはしょっちゅう行われているし、中身も多岐に渡れば、実際にはデモだけじゃなく連日大規模なお祭りごとが催されていて、観光客は激減しているけど、お構いなしにフランス人の若者たちは盛り上がっている。一晩中美術館などの施設が解放(Nuit Blanche)されたり、パリ市の路上がコンサート会場(Fete de la musique)化したり、マラソン大会なんてしょっちゅうあるし、ローラースケートの大集団が警察に引率されながら走り回ったり、カーレースやツール・ド・フランスとか、毎日どこかでお祭り騒ぎ。とにかくフランス人は外に出るし、企画が好きだし、参加意識の強い国民性だからかパリは毎日いろいろな顔を見せてくれるので飽きることがない。息子が友達たちのフェット(パーティ)に出かけたので、アーティストの友達が主催するマレ地区のバレンタインパーティに顔を出すことにした。バーで一人飲んでいると知り合いのスペイン系webサイト編集者のナタリーとばったり出くわして、あら、珍しいわね、と言われた。「つまらないね」と僕が肩を竦めると、ナタリーが「何か美味しいものを食べに行かない」と言い出し、即席カップルは早々にパーティ会場を後にした。

そういえば今日はバレンタインデーだった。ここはパリなので当然だけど、チョコレートは誰からも貰ってない。その上、数年ぶりに会った編集者と北マレを歩いている不思議。「バレンタインデーなのに」と僕が言うと、ナタリーは苦笑した。「日本のバレンタインはどんな感じ?」「日本はチョコレート屋さんが盛り上げている」とだけ説明しておいた。フランスは男性が女性にバラ(基本はバラだけど、花であればいいらしい)を贈る日なのだ。フランスの女性たちは決して花を男性に贈ることはない。花は男性が女性に贈るものと決まっている。でも、最近は少し変わって来て、カップルによってはプレゼントを交換したりするらしい。ま、チョコレートを女性が男性に贈るという日本の習慣は「うまくやりやがったな、チョコレート業界」という感じ。マーケッティングの妙に感動すら覚える。売れないボジョレーワインをボジョレー伯爵が「解禁日」を作ることによって世界的な話題作りに成功したことに似ている。「踊りたい消費者」で僕はいいと思っている。

気が付くと僕らはテロでたくさんの編集者が殺害されたシャルリー・エブド社の前にいた。後方にはもっと多くの犠牲者を出したライブハウス「バタクラン」もある。この周辺は大規模なテロで大勢が命を落とした地区でもある。ナタリーはこの近くに住んでいる。テロがあった直後、怖くて外に出られなかったと言う。でも、「人々はすぐに戻って来た。バタクランも同じ場所で再開され連日満員の入場者なのよ」と遠くを見ながら呟いた。89人も死んだ会場に戻って来るフランス人のテロとの向き合い方はすごいと思う。銃撃されたカフェなども閉鎖ではなく、すぐに再開をし、人々はまるでテロと戦うかのようにわざとテラス席に陣取った。日本人の僕には理解できにくい行動だったが、そういうことがテロと向き合うフランス人らしい姿勢なのであろう。そこにこそフランス人気質を見た。北マレは革命が起きたバスティーユから目と鼻の先である。複雑な歴史が僕の脳裏を掠めていく。

ナタリーが行きつけのアルゼンチンレストラン「Patchanka」に連れて行ってくれた。グーグルの評価、4.9という物凄いレストランである。前菜にセビーチェと呼ばれる南米名物の白身魚のマリネを、メインに炭火焼きの牛肉を頼んだ。セビーチェは酸味でマリネされた結構分厚い南米のお刺身。絶品であった。炭火焼きの牛肉は世界最高峰のアルゼンチンから、フランスにはない適度な脂身のある赤身肉で、赤身肉は時差ボケ解消のために良いと言われているので頑張って食べた。途中からナタリーのスペイン系の男友達も合流、途端に賑やかなスペイン語が店内で響き渡りだした。「パパ、もう帰ってるよ」と息子からSMSが入ったので僕は途中で席を立つことになる。パリはいろいろな顔を持っている。真っ暗な路地裏で若い女性たちがポルトガル語で話し込んでいた。僕が住む左岸とはぜんぜん異なる、どこか南米を思わせる庶民的な狭い路地が続いていた。パリの政治的な中心部じゃなく、なぜ、こういう場所がテロの標的にされたのだろう。ナタリーが告げた「あの若いテロリストたちはここで仕事を持って連日馬鹿騒ぎをやるフランスの私たちのような中間世代に怨みを持ったのよ。私たちが憎かったのよ」が耳奥に焼き付いた。
 

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