連載小説

連載小説「泡」第二部「夢幻泡影」第13回  Posted on 2025/10/21 辻 仁成 作家 パリ

連載小説「泡」 

第二部「夢幻泡影」第13回 

   ミルコはそのようなことを言い残し早々に出て行った。まるで舞台の場面転換が行われたかの急展開となり、残された俺は暗い舞台上に立ち竦み、真上から降り注ぐ一条のサスライトに照らし出され、じっと観客席を見つめるしか出来ない三文役者のようだった。
   俺はまず、リビングルームと寝室、風呂場などにある主な監視カメラに石鹸を塗り付け映像をぼかすことにした。それから、携帯を取り出し、会話を傍受されぬよう、ベランダに出ると、アケミの番号をプッシュした。呼び出し音が鳴り響いたが、アケミは出ない。仕方ないので「探す」機能で、急ぎ、アカリの位置を特定することになる。ここからそう遠くない東の方角に青丸が停止していた。欄干に手を突き、その場所を探す。だいたい、ここから1キロほど離れた辺りのようだった。携帯が次の瞬間振動をしたので、覗くと画面に『アケミ』と表示されていた。
   「ご無沙汰しています。大丈夫ですか? どこに潜伏しているの?」
   とアケミが言ったが、それには答えず、
   「アカリは今どこにいる?」
   と訊き返した。わずかな間が空き、
   「それがね、実家からいなくなっちゃったの」
   と戻って来た。
   「いつから?」

連載小説「泡」第二部「夢幻泡影」第13回 

© hitonari tsuji



   「わからないけれど、たぶん、昨日か一昨日くらいから、連絡がとれてない。しゅうさん、何か知っているの?」
   「ほんとかどうか、わからないけれど、ニシキが俺を呼び出すためにアカリを監禁している、という情報が入った」
   「マジ? でも、ニシキさんとアカリってものすごく仲がいいんですよ、監禁とかする? ニシキさんがアカリの身元引受人になった時期もあったし、監禁って、そんなの、マジ、ちょっと考えられないわ」
   俺はアカリとニシキとの関係を知らないが、この前、アカリ本人もそのようなことを言っていた。ハラグチ、ニシキとは仲良く、ヒロトとは短い時期、交際していた、というのだから、仮に監禁をされているとしても、危害を加えられる感じではないはず。ただ俺を呼び出すための口実かもしれない。何が真実か、分からなかったが、今は慌てず、用心深く状況を見守るのがいいだろう。
   「ともかく、アケミ、ちょっと偵察して貰えないかな」
   「オッケー、すぐに探りをいれる。何人か、ニシキさんの周りに知り合いがいるし、ハラグチさんともお茶しよって話してたから、大丈夫、心配しないで。ところで、今、しゅうさん、どこにいるの?」
   「知り合いのマンションに身を隠している」
   「その方がいいかも、ヒロトもそうだけれど、副隊長のマエバトが、顔切られたじゃない、だから、かなり逆上してる。ヒロトも退院して、眼帯付けているけど、ぶっ殺すって・・・、とにかくみんな、殺気立ってるし」
   アケミとの通話のあと、俺は燃やされた「黒点」店主の野本にもLINE電話をかけた。野本は驚き、お前どこにおるんや、と大声を張り上げた。
   「なんとか、生き延びてます。俺のせいでたぶんこうなってしまったので、ものすごく心を痛めているところで」
   「ま、しゃーない。この界隈で生きてればこういうこともある。保険がおりるから、店は大丈夫だ。でも、お前のこと俺は心配してる」

連載小説「泡」第二部「夢幻泡影」第13回 

© hitonari tsuji



   野本は、店に火をつけられた後のことを時系列に沿って、警察や保険会社とのやりとりなど事細かに説明しはじめた。焼けたのは店の正面部分だけで、幸いなことに厨房は被害を免れた。消防によってすぐに鎮火された。工事がまもなく始まり、3か月もあれば店は再オープン可能とのことだった。防犯カメラに映っていた映像を元に犯人の特定も出来、警察が放火事件として捜査をしているとのことだった。
   「でも、お前はしばらく、田舎にでもひっこんどった方がええ」
   「そうすね」
   「へんな奴らに絡まれたな。ま、しゃーないな。若いっちゅうことや」
   「はい」
   「とにかく、今は、うろちょろするな」
   電話を切った。携帯をしばらくじっと見つめながら、さて、どうするか、と言葉にしてみた。なんとなく、心の中を隙間風が吹き抜けていくような無気力な孤立感を覚えてならない。人生があの日を境に、180度変化してしまった。くそ、野郎。目の前に広がる世界を眺めながら、負け犬のように毒づいてみた。いくら叫んでも、何も変わらない。いつまでもここでじっとしているわけにもいかない、と悩んでいると、見覚えのないSMSが飛び込んできた。しかもアカウント名が「アカリ」となっている。アカリとはLINEでしかやりとりをしたことがないが、ずっと「AKARI」と英語表記を使用している。カタカナの「アカリ」は奇妙だった。「添付ファイル一個」と表示されていた。恐る恐る開けてみると、一枚の写真が張り付けられてあった。それは、薄暗い部屋の中ほどに横たわるアカリ・・・。驚き、拡大してみると、口はガムテープで塞がれ、両手首は、胸元で麻縄か何かで縛り付けられてあった。暗くて表情まではよくわからない。けれども、何もない部屋の中央で縛られ横たわっている。両足も、もしかすると縛られている可能性があったが、暗すぎて、よくわからなかった。
   何度も拡大をし、その場所の様子を探ろうとしたが、家具らしきものもなく、無機質で、一切推察できなかった。すると、続けてもう一通のSMSが届いた。急いで開くと、目を閉じ、ぐったりと眠るアカリの顔があった。口元のガムテープが痛々しい。コメントが添えられてあった。
   「アカリは預かっている。取り戻したければ、俺の事務所まで土下座しに来い。ニシキ」

次号につづく。(たぶん、明日) 

連載小説「泡」第二部「夢幻泡影」第13回 

© hitonari tsuji



辻仁成、個展情報。

パリ、10月26日まで、パリ、ピカソ美術館そば、GALERIE20THORIGNYにて「辻仁成展」現在開催中です。
住所、20 rue de THORIGNY 75003 PAROS
地下鉄8番線にゆられ、画廊のある駅、サンセバスチャン・フォアッサー駅から徒歩5分。
全32点展示。残り数点になりました。

1月中旬から3月中旬まで、パリの日動画廊において、グループ展に参加し、6点ほどを出展させてもらいます。

辻仁成 Art Gallery
自分流×帝京大学



posted by 辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。