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見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く- Posted on 2016/12/15 釘町 彰 画家 パリ

3年前のことになりますが、ファッションデザイナーの高田賢三さんからパリにある別宅のサロンに設置する壁画を依頼されました。
アパートの5階にあたるフロアにある楕円形をしたそのメインサロンは、大きく開かれた窓と共に、パリの街並みを見渡せる光溢れる空間です。

その空間は、インタビューを受けたりパーティーをしたり人を招く場であると同時に、何か日本的な美学に基づいた瞑想的な空間にしたいというのが賢三さんのご要望でした。
 

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

実は、時を遡ること18年前、私は賢三さんに一度だけお会いしたことがありました。

当時、まだ美学生だった私は、勉強のために数週間、パリで個展をされていたある書家のカバン持ちをしていました。そして、その方の書を賢三さんが購入された際、納品のために書家の先生と共にお宅を訪れる機会がありました。その華々しい空間に当時まだ20代後半だった私の眼は釘付けになりました。

私の憧れていたバスキアやミンモ・パラディーノといった欧米の有名な現代絵画、近代日本画の屏風、ガンダーラ美術の仏像や漢の人形など超一流の美術品が、オーナーの多忙な毎日をさらに活気づけるかのように文字通り所狭しと並べられていました。

そんな記憶を辿りながら、やがて何度か現場を訪れているうちに、白い光の中に溶け込む風景、ほとんど見えるか見えないかのように松がうっすらと見え隠れするシーンを描くという壁画の案を思いつきました。
 

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

ヨーロッパは時々濃霧に覆われます。
光の中に溶け込む風景を描くことで、室内の空間が、パリの街並みとは全く乖離した異次元の松の風景であると同時に、大きな窓から見える時に濃霧に覆われるパリの街並みのほの白い風景へと続いたりする、そういう壁画であったら面白いと思ったのです。
 



見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

松林が描かれていながら、一見霧の中のいるかのように何もない風景という、この案のエスキース(完成図の下絵)とマケット(構想試作模型)をお見せしたところ、賢三さんご本人が深く賛同して下さり、やがて制作を始めることになりました。

大画面に松を描くため、特注の筆を職人さんに注文し、最高級の墨と絵の具を用意しました。
 

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

壁画の制作は、4、5人のスタッフと共に極度の緊張感と高揚感の中、進行していきました。

制作期間中、背後から賢三さんが時折りお顔を見せ、「どうですか?」とドラ焼きやコーヒーなどを自ら差し入れして下さいました。一人朝から晩まで必死で筆をのせ続ける私には、そのちょっとしたお心遣いは心の芯まで染み入るようにとても有難かったことを覚えています。

またその時々の何気ない会話は私の肩に掛かる緊張感を解していただいたように思います。
 

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

のちに賢三さんはこの壁画からインスピレーションを受け、ご自身でされた破墨(墨によってドリッピングのようなシミを作る)によるドローイングを元に、リヨンの絨毯工房とのコラボレーションでその部屋に置くカーペットを制作されました。自然の変化と宇宙の運行を表現したそのデザインは、色合いといい形といい、壁画との組み合わせとして絶妙なものでした。

長い制作期間を経て、この空間は見事なコラボレーションとして結実しました。
 

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

最終的に、この壁画は、ある人には何もないように見えたり、またある時はそこに自然の風景が毅然と広がっていたり、と、天候や見る人の心理状態によっても変化する不思議な空間となったように思います。

見えるようで見えないもの、消えかかりながら明らかにそこに存在するもの。

時の流れと共に変化する風景。
 

見えるもの見えないもの – KENZO邸に壁画を描く-

あるものが見えないとしたら、それは今見えないだけで、もしかして全てのものは初めからそこにあり、そしてこれからもあり続けるものなのかもしれない。そう思うと、今見えないからといって、それが欠如しているのではないかと不安に思う必要はない。むしろ見えないからこそ、そこに想像の余地が生まれて結果的により豊かな世界が広がるのかもしれません。

私は眼に見えるものと見えないものの間を往復しながら、目に映るものの背後にあって、遥か過去にあって、また遠い未来にあるであろうもの、それは一体何なのだろうという問いかけをしながら、これからも絵画の制作を続けるのだろうと思います。

Photography by Yuji ONO except for photo 4 by Akira Kugimachi

 
 



Posted by 釘町 彰

釘町 彰

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Akira Kugimachi
画家。1968年神奈川県生まれ。多摩美術大学絵画学科日本画科卒。95年同大学院修了後、渡仏。2000-2002年文化庁海外派遣芸術家としてフランスに滞在後、2003年よりパリを拠点に画家としての活動を本格的にスタート。国内外の美術館、ギャラリーでの発表のみならず、建築、ファッションブランドとのコラボレーション、壁画制作、公共施設への作品設置等、様々な領域にその表現活動の場を広げている。