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パリで開催中の「若冲」展 Posted on 2018/09/28 T.S.  パリ

現在、日仏友好160周年を記念してフランスで開催されている日本文化紹介の一大イベント「ジャポニスム2018」。その一環として、9月15日からパリのプチパレ美術館で伊藤若冲の展覧会が開かれています。若冲の展覧会はフランスだけでなくヨーロッパでも初めてのことで、メディアからも大いに注目されています。
 

パリで開催中の「若冲」展

「若冲」展が開催されているプチ・パレ美術館

 
実は、アメリカがフランス領だったルイジアナを購入してから100年目を記念して開かれた1904年のセントルイス万国博覧会に、日本郵船が出展した休憩室「若冲の間」を飾るため、川島織物の二代川島甚兵衛が伊藤若冲の「動植綵絵」10幅を綴織りで再現して(その後輸送中の船舶火事で消失)、金賞を受賞しているので、若冲の図柄自体は少なくともアメリカでは専門家の間で知られていたかもしれません。とはいえ、今から100年以上も前のことですので、アメリカでもヨーロッパでもすっかり忘れ去られていたとしても不思議ではありません。
 

パリで開催中の「若冲」展

セントルイス万国博覧会日本郵船休憩室「若冲の間」レプリカ(左)と同室内の写真(右)

 

パリで開催中の「若冲」展

奥田瑞関模写・織壁飾原画 老松孔雀図
(川島織物セルコン織物文化館、日本郵船歴史博物館、高島屋、きものと宝飾社等のHP)

 
しかし、アメリカではジョー・プライスという人が1950年代から若冲の作品を蒐集し始めましたので、その頃から若冲の名は比較的知られるようになりました。近年のアメリカのオークションでも作品が出品されたのを見たことがあります。そのことが、2012年にワシントンDCナショナルギャラリーで「動植綵絵」30幅が公開された際、会期4週間で24万人、1日当たり7,600人強という同年世界第4位の展覧会観客数を動員した背景でもあったと思われます。

伊藤若冲は1716年、与謝蕪村が生まれた年、尾形光琳が逝去した年に生まれました。子供の頃から絵を描くのが好きでしたが、23歳の時に父親が他界したため、家業の青物問屋「桝源」を継ぎますが、趣味の絵を諦めきれず、1755年、40歳の時に弟に家業を譲り、画業に専念するようになります。
「動植綵絵」はその頃から手がけるようになったようです。1755年時点で既にのちの精緻な細部描写と鮮やかな色彩表現を特徴とする「動植綵絵」を思わせる「月下白梅図」(現メトロポリタン美術館蔵)や「旭日鳳凰図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)などを描きました。
 

パリで開催中の「若冲」展

「月下白梅図」(メトロポリタン美術館蔵)

 

パリで開催中の「若冲」展

「旭日鳳凰図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

 
この「動植綵絵」シリーズは、24幅描き終えた時点で「釈迦三尊」3幅とともに京都の相国寺に寄進されます。1765年もしくは1766年のことでした。独身を通した若冲が養子に迎えようとしていた末弟が急逝したのが契機と言われています。相国寺に寄進したのは、若冲に、心の師、精神的支えとして、禅や仏教の教えを伝えた大典という僧侶がいたことも大きな理由でした。「名声を得るためではなく、法要の際の荘厳具として長く世に伝わることを望んでのこと」でしたので、寺側の謝意は菓子折り一箱であったと伝えられています。残りの6幅はその後描かれました。もともと、「動植綵絵」は釈迦の前では人間も動植物も皆平等であるとの仏教思想を体現したものですから、お寺に飾られるのは自然なことであったと思われます。
 

パリで開催中の「若冲」展

京都 相国寺

 
一般に、若冲は17世紀の中国の明時代の画家・沈南蘋や宋紫岩の弟子の宋紫石の影響を受けたと言われていますが、そのルーツは13世紀の中国の宋末・元初の画家・銭選や15世紀の明の画家・呂紀や殷宏の画風に繋がるものが感じられます。若冲がそれらの中国画家の絵を見たことがあるのかどうかわかりませんが、当時の日中文化交流の幅と深さに非常に興味が掻き立てられます。
 

パリで開催中の「若冲」展

呂紀 杏花孔雀図(台湾國立故宮博物院蔵)

 

パリで開催中の「若冲」展

殷宏 牡丹孔雀図(クリーヴランド美術館蔵)

 
若冲の絵は、一見すると、そうした中国画に似ているように見えますが、実物を見ると、その色彩感覚、緻密さは紛れもなく日本的風合いを感じさせますし、描かれた動物たちには「鳥獣戯画」以来のユーモアや、可愛さ、洒脱さがあり、後期になるにつれて図案化の要素が強くなっていくのも、極めて日本的であると思われます。
「老松白鳳図」の鳳凰の尾の先に赤と緑のハートマークがあるのも微笑ましい意匠です。「群魚図」に描かれているルリハタという魚に1704年にドイツで発見されたばかりの人工顔料プルシャン・ブルーが使われていることが1999~2004年に実施された修理の際に確認されたそうですが、新しいものをすぐ取り入れる若冲の日本人的好奇心と気質を感じさせます。なにせその顔料は1752年にオランダ船が持ち込み、1763年に平賀源内によって紹介されたばかりですので。
 

パリで開催中の「若冲」展

「老松白鳳図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

 

パリで開催中の「若冲」展

「群魚図」(宮内庁三の丸尚蔵館蔵)

 
さて、パリの展覧会はオープンして数日しか経っていませんが、既に1日当たり2000人を超える来場者があり、良好な出だしのようです。9月20日頃から普段通っている地下鉄 の駅構内にも大きなポスターが貼り出されましたので、今後さらに観客が増えていくことと思います。会期は短く10月14日が最終日です。見逃すことのないよう、なるべく早い時期に足を運ばれることを推奨します。
 

パリで開催中の「若冲」展

地下鉄構内に貼られた「若冲」展ポスター

 
 

Posted by T.S.