PANORAMA STORIES

滞仏日記「壊滅的な旅行業界に風雲児、熱血しげちゃん、現る」 Posted on 2020/08/25 辻 仁成 作家 パリ

某月某日、コロナ禍のせいで旅行業界は壊滅的な状況だ。とくに海外ツアーはゼロ状態で、旅行代理店はどこも開店休業状態が続いている。
そりゃあ、そうだ。たとえば、日本の人がパリに来ることはできるけど、日本に戻る時に二週間の自主隔離をしないとならない。
しかも、飛行機が減便であまり飛んでいなかったりするので、行ける国、行けない国もいろいろあり、何よりコロナ不安のせいで、行きたいけど、二の足、三の足を踏んで、とても皆さんが行ける状況にない。
日本でもGOTOトラベルをやって国内旅行を盛り上げようとしているが、感染拡大の懸念から、あまり話題が聞こえてこない。
国内旅行でも苦戦が続いているのに、日本人が海外、ましてやフランスツアーなど無理だ。
パリの日本人向けの旅行代理店はロックダウン以降、お客さんはゼロになってしまい、仕事も無い。
まあ、暫くは無理だな、と思っていたら、東京の知り合いの小さな旅行代理店の若き社長、しげちゃんから連絡が入り、辻さん、ツアーガイドをやってください、といきなり言った。
ツアーガイド? ぼくが? なに言ってんの????

滞仏日記「壊滅的な旅行業界に風雲児、熱血しげちゃん、現る」



こういう時代だからオンラインツアーとか出来ないすかね、と若き経営者が言い出したのは、ロックダウンがあけた直後のことだった。
実はこの会社、デザインストーリーズが毎年、25歳以下の若い世代を対象としてやっている、アート&デザイン「新世代賞」の協賛企業の一つで、受賞者の航空チケットを提供してくれている。
彼らの専門は海外ツアーのような大規模なものじゃなく、介護を必要とする、一人ではどこにもいけないお爺さんやお婆さんたち専門旅行会社なのだ。
なのに、若者を応援したいというぼくの意図に共感してくれ、渡航チケットを提供…。今回、しげちゃんから、パリのオンラインツアーをやれないか、と無謀な依頼を持ちかけられた時、普通だったら、バカか、お前、で終わらせるのだけど、新世代賞を支えてくれた恩義があり、むげに出来なかった。
オンラインだったら、出来なくもないな、というちょっとした希望もあった。
それに、コロナにやられているだけでいいのか、という悔しさもあった。人類の英知と気力を結集して、旅することのすばらしさを映像で日本の皆さんに届けてみたい。
パリは再び感染者が増えてはいるけど、弱毒化しており、3月4月のような厳しい状況ではない。
行き来は出来ないにしても、街には活気が戻っている。美術館や観光地は開放され、国内の人々で賑わいを取り戻しつつあるのは、事実だ。
思わず、ちょっと考えてみるね、としげちゃんに戻してしまった。
すると、しげちゃんがさらにとんでもないことを提案してきたのである。無知ほど、無敵なことはない!
「辻さん、ルーブル美術館とかベルサイユ宮殿とかエリゼ宮とかのオンライン・ツアー、出来ないっすかね? ルーブルに眠るツタンカーメンの棺の前から、ベルサイユ宮殿の鏡の間から、辻仁成が日本中のお茶の間に高画質で生中継したら、みんなびっくり仰天するんじゃないすかね。エリゼ宮でもいいです。エリゼでマクロン大統領と握手したら、日仏友好の懸け橋…」
ぼくは目が点になってしまった。
あほか、と思わず叫んでしまった。

滞仏日記「壊滅的な旅行業界に風雲児、熱血しげちゃん、現る」

「でも、辻さん、試さないで、ダメっていうのじゃ、ビジネスチャンス開けないです。誰もがやらないことをやってこそ、人は感動するし、新しいビジネスの可能性も広がるのだし、観光業壊滅的とかって、言うだけで何もしないの、わちしの生き方じゃないんすよ」
「はぁ? 」
しげちゃん、ちゃきちゃきの江戸っ子で、私と発音できない。「わちし」と自分のことを言う。めっちゃ東京訛りが凄い。美術が「びじつ」、新宿が「しんじく」、潮干狩りが「ひおしがり」、人が「しと」、必然が「しつぜん」、行きたいが「行きてえ」なのだ。パリに行きてえ、と言われ、思わず腹が立ったこともあった。



ライン電話の向こう側で熱く語るこの若い男の、ええと、何歳だっけ? 37歳くらいだろうか、一番無鉄砲な世代である。元ボクサーなのだ。強かったらしい。その勢いで、打ってくるからたまらない。
この男は5年ほど前に、自分の旅行代理店を立ち上げた。彼が最初にやったツアーは「シラス丼ツアー」であった。
都内の介護施設のご老人たち一人一人にケアする人をつけ、バスで江の島に行き、シラス丼を食べてもらう、という涙ぐましい企画。
ぼくは、「しげちゃん、やる意味はあるけど、ビジネスになるかね」と否定的な意見を言った。でも、この男はめげなかった。
そして、シラス丼ツアーは小さな成功をおさめる。旅なんかできない身体の不自由なご高齢の方々が涙を流して喜んだ。
それは本当に素晴らしい企画力であった。日本に必要なのは、こういう成功なのだ、と思った。



ぼくは、そういう、何があっても自分を曲げない、めげない、折れないしげちゃんが好きだ。
ゴールデン街なんかに何度も飲みに行ったりして、彼の人間味はよく理解出来ていた。
ある日、新世代賞をやるので、応援してほしい、と言ったら、まだ成功もしてないくせに、航空券をうちで持たせてください、と言い出した。
第一回目の受賞者中村暖君、第二回の立花和弥君のチケットは彼が用意した。辻仁成、恩義を返せる人間でいたい…。

ところが、しげちゃんのこの提案をまともに受け取るパリのスタッフは誰一人いなかった。
ロックダウンを経験したぼくらかすると、あまりに世間知らずのシラス丼的な発想だったからだ。
ぼくの頭の中を羽根を生やしたシラス丼が過った。シラス丼のチラシを彼が彼のオフィスでぼくに見せてくれた日のことが忘れられない。
バスの写真の中央に、どんとシラス丼の写真、小さく下の方に、介護の方に寄り添われた車いすのお爺さん、お婆さんたちの笑顔…。
「みんなで美味しいシラス丼」というコピー。それはそれで感動的だったが、ルーブル美術館やベルサイユ宮殿はいくらなんでも背伸びし過ぎだろう、と思った。
でも、夏になってすぐ、しげちゃんから「お爺さんとお婆さんたち、一度でいいからルーブルやベルサイユ宮殿に連れて行きたいんすよ」と無謀な連絡が入った。
ぼくは正直、逃げ出したかった。それで、「分かった、やるけど、ちょっと時間かかるかもね」と誤魔化すことになる。
さて、困った。これは、まじで困った。

しかし、ぼくの忠告など彼は聞き入れず、パリの関係者を口説き続け、ついに今日、ぼくはパリの中心部、パレロワイヤルのカフェで、しげちゃんが見つけたガイドさんと撮影を担当するというカメラマンさんとでミーティングすることになったのだ。
それも、夕方くらいにいきなりオペラまで行ってください、とラインがあって、ぼくは昼寝をしていたのだけど、行ってください、お願いします、としげちゃんにしつこく言われ、慌てて起きて、出かけることになったのだ。やれやれ。

フランス政府公認資格を持つという凄いガイドさんからベルサイユ宮殿のパンフレットを見せられた。
たしかに、この企画が実現するなら、お爺さん、お婆さんだけじゃなく、海外に行けなくて悶々としているパリファンの皆さんにとっても、画期的なことだとは思う。
しかし、だ。それにしても、現実的ではない。バカにするわけじゃいないが、ガイドさんもカメラマンさんもしげちゃんのことを知らなすぎる。やれやれ。

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みんなの熱意ややる気を削ぎたくないので、ぼくは彼らに、もっと実現的な提案をすることになった。
ベルサイユ宮殿やルーブル美術館よりも、もっと現実的な撮影地の提案である。施設は敷地に入るだけで、一歩踏み入るだけでも、3750€もの撮影代金が派生する。赤字になってまでやることじゃない。
もちろん、しげちゃんは成功させることに意味があると思い込んでいるので、利益は二の次なのである。
「ルーブルとかヴェルサイユとかエリゼとか、気持ちはわかるけど、ぼくらはもっと現実的なオンラインツアーをやらないとダメだよ。失敗は許されない。だから、現実的な…」
力説していたら、ぼくの携帯が鳴った。みると、しげちゃんからのライン電話であった。
嘆息を零しながら、ぼくが携帯を掴むと、元気な声が飛び出してきた。
「辻さん、わちしです! ミーティング、どうすか?」
「うん、いい感じだよ。現実的な話し合いとして、撮影のよりよい候補地が見つかって、でね…」
ぼくが言い終わらないうちに、しげちゃんが、「実は、辻さん」と話を遮ったのである。
「フランス政府に、撮影依頼のレターを送りました。辻さんが案内人するって…辻仁成が」
言ってる意味が分からなかった。
「速達で送ったからもう着いてるはずです。フランス観光開発機構ってとこに送りました。フランス語の名称は忘れました」
「なに?」
「フランス政府に、わちしが、ルーブル美術館、エリゼ宮、ヴェルサイユ宮殿の撮影許可を依頼したんですよ。もしもし、もしもーし」
「ちょっと、待って。いったい、どこに送ったの? しげちゃん。いったい、君、何語で依頼をしたの? シラス丼ツアーじゃないんだよ」
「辻さん、わちし、日本語でしましたー」
「しげちゃん…」
あかん。≪続く≫

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※右側の打ってる方が、しげちゃんである。

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Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。