PANORAMA STORIES

ベルリンで生きる、ある母の物語 Posted on 2019/08/18 エロチカ・バンブー バーレスクダンサー ベルリン

40年間、子供を産むつもりもないままバーレスクダンサーを続けてきた。だけど、私が夫と家族を作ると宣言した途端、まるでその時を待っていたかのように私の体に宿った我が子。女の子だったら名前はルナと決めていたのに、陣痛が始まった途端、夫はその子を”Solar”と名付けてしまった。ミドルネームにはペルシャ語の「野バラ」を。輝くお日様の下、咲き誇るワイルドローズのような・・・。
 

ベルリンで生きる、ある母の物語

どんなご縁があってか、娘はLAで生まれた。しかも、助産婦さんの力を借り、自宅分娩で。「母親って、お産の痛さなんて我が子の可愛さで忘れるものなの」なんて、誰が言ったの? それはまるでゴヤの描く巨人がどしんどしんと5秒ごとに体内で暴れ、脳天から体を真っ二つに裂く、そんな痛さだった。今でも決して忘れない。彼女が私の体内からつるんと出た時、ブルーの瞳は大きく見開いていて、この子はすでに世の中を見抜いているのではないかと私をドキドキさせた。 横たわるベッドから、窓枠に咲き誇るブーゲンビリアやハリウッドの丘を覆いつくす夕焼けをみていると、痛みはほんの少し遠のいた。生まれたての我が子の百合の花のような匂いを嗅ぐと先の不安も癒された。ほんの束の間・・・。

出産を経験し、私の体形は変わってしまった。それでも、バーレスクショーの世界に出来るだけ早く戻りたいと私は思っていた。ベビーシッターを雇うのが珍しくないアメリカで、他人を家に入れたくないと言い張る夫との対立は続く。踊ることができず、家族3人だけの暮らしが私を苦しめていった。母を選ぶかダンサーに戻るか、私の葛藤は続いた。私と娘を世の中から切り離し、独占しようとする愛情深い夫に私は辟易していた。
 

ベルリンで生きる、ある母の物語

私はきっと生まれながらの踊り子なのだと思う。踊っていないと自分を保てない人間。夫の制止を振り切り、私は娘を産んでからわずか2ヶ月目にしてショーを再開してしまう。わがままを言い、奪うように赤子を連れ輝くベガスへ舞い戻った。

再びステージ立つ日々を送っていた私の元に、母が危篤との知らせが舞い込んだ。今度は二つになったばかりの娘を連れて、日本へ帰国することになった。久々の日本はちょうど梅雨の時期で、庭の木々の濃い緑が麗しく、乾燥しきった私の肌と心を癒した。認知症とガンを患っていた母だったけれど、初孫の顔を見たとたん、回復の兆しが・・・。思いもしなかった、母と娘と私の、女3人で過ごす日々、仕事も夫もいない生活に、なぜか私は癒しを覚えた。朝目覚めるといつもソーラの笑顔がそこにあり、歌を口ずさむ母がいたのだから・・・。

ところがそこへ夫がやって来た。ひとりぼっちに耐えられなくなった夫が、別居2年目にして日本へ移住という、これまた予期せぬドラマ。認知症が進む母にとって、青い目の言葉の通じない外国人との同居は母に負担を与えたに違いない。でも、仕方がなかった。この奇妙な四人の生活が暫く続くことになる。私は東京でバーレスクショーを企画、バーレスクイベントTOKYO TEASEは思いのほか成功をおさめた。

介護と仕事と子育てと妻。けれども、不器用な私にこれらを全てこなす度量があるわけがなかった。私の精神不安はマックスに。そこに大震災が襲いかかり、パニックになった夫は娘を連れて一族が暮らすヨーロッパの、移民を受け入れる土壌があり他の町より生活が安価なベルリンへ移ることを決めた。私も従うことになった。選択を迫られ、娘をとった私・・・。娘は四つになっていた。
 

ベルリンで生きる、ある母の物語

たったの4歳にして3カ国も移り住んだ娘。その娘の笑顔が少しずつ寂しそうな面影に変わったのは、ベルリンに移って間もない頃だった。移住後も、私だけ仕事や母のことで日本とベルリンを行き来する生活。夫との仲は壊れ、夫は娘を独占しだし、私は家の中で孤立していくようになった。

母が亡くなり、帰る家がなくなった。娘は奪われ、家を追い出され、お金もなく四面楚歌になった私はベルリンでひとりぼっちになってしまう。そう、たったひとり難民になった。

近頃、外国人の母親が私のように家を追い出され、途方に暮れて子連れで帰国を決行するという子供連れ去り問題をよく耳にする。ドイツは離婚後も共同親権だし、シングルマザーにも社会保障がしっかり与えられているので、今までこの問題を聞いたことがなかった。私に関して言えば、そんな事件も法律も全く知らず、逃げても結局同じだと思い留まった。
 

ベルリンで生きる、ある母の物語

あれから4年。私はひとりでベルリンに居残っている。夫はシングルファーザーとなり、娘と別の道を生きている。いつの間にか、娘ソーラは12歳になった。会うと4歳の頃のあの恥ずかしそうな笑顔を思い出す。

「ママ、私の好きな歌はね、God is Woman」

自分が12歳の頃よりずっと大人びて見える。彼女は時々会う私を見て何を思い、感じているのだろう。彼女の母親像は世の中のそれとは異なるかもしれない。でもね、母は強くなってしまった。罪悪感は微塵もないと言えば嘘になる。それでも私は独り進まなければならない。この私を選んで生まれてきたお日様の子、ソーラを心より誇りに思う。雨風に吹かれても根を張って美しさを失わない野バラのように。わき起こる問題は笑顔で蹴っ飛ばして。 私は今日もベルリンの天使になれるかな? あのバーレスクのステージの上で。
 

ベルリンで生きる、ある母の物語

 
 

Posted by エロチカ・バンブー

エロチカ・バンブー

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Erochica Bamboo
バーレスクダンサー。日本の各都市のクラブやキャバレーでショー活動した後、2003年にラスベガスにある世界で唯一のバーレスクミュージアム、Burlesque Hall of Fameで開かれるバーレスクの祭典で最優秀賞を獲得。それを機にLAに拠点を移す。2011年よりベルリンへ移りヨーロッパ、北欧で活動中。ドイツのキャバレー音楽ショー”Let’s Burlesque”のメンバーとしてドイツ各地をツアー中。