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「南イタリアの離島、イスキア。緑の島」 1 Posted on 2016/10/29 八重樫 圭輔 シェフ イタリア・イスキア

「南イタリアの離島、イスキア。緑の島」 1

イタリアのナポリ湾西部に浮かぶこの島には、ヨーロッパはもとより、世界中から多くの観光客が訪れます。
 
 
1年を通しての温暖な気候、至る所から湧き出る温泉、島の中央にそびえるエポメオ山の自然や、周囲の漁場で獲れる豊富な魚介類。

イスキア島の歴史は大変古く、特に紀元前8世紀にヨーロッパで初めて、ギリシアの植民地が築かれた所として有名です。

日本でイスキアの名を耳にすることも、以前に比べ増えてきたように思います。

ここ数年で日本人観光客の姿もちらほら見かけるようになりました。
とはいえ、まだまだ知名度の低いイスキア島。
 
 
奥深いこの島の魅力を、住民ならではの視点で、少しずつお伝えしていきたいと思います。



「南イタリアの離島、イスキア。緑の島」 1

イスキアの魅力とは何だろう?
と改めて考える時、初めてここに訪れた時の記憶がまず頭に蘇ります。
 
 
僕がイスキア島に初めて上陸したのは、2001年の4月26日のことでした。
当時は今ほどパソコンも携帯も進歩していなかったせいもあり、島の情報なんてほとんど皆無。

もともと無計画な性格ですから調べる気もほとんどありませんでしたけれど・・・。

そのちょうど1年前、包丁もろくに持ったことのなかった僕は、フィレンツェの料理学校に通うため日本からイタリアに渡りました。

そこの先生が毎年バカンスで訪れていたのがイスキア島。
彼の紹介で、夏の間だけレストランの見習いをするということになったのです。

先生に手渡された手書きの恐ろしく簡素な地図だけを頼りに旅発ちました。
 
 
喧騒のナポリ市街を抜け、モーロベヴェレッロという、舌をかみそうな名の船着き場に着くと、大勢の人で溢れかえっていました。

家族連れやバックパッカー、カップル、いろんな肌の色の、いろんな人生を歩んできたであろう人たち・・・。

そして、団体でカプリ島行きの船に乗り込む日本人観光客を横目に、僕は1人イスキア島行きの船に乗り込んだのです。

「南イタリアの離島、イスキア。緑の島」 1

港を出るともうそこは別世界でした。
 
 
少しずつ遠ざかるヌオーヴォ城やナポリの町、左手に見えるヴェスヴィオ山。すれ違う大型客船やタンカー。
そのうちにカプリ島やソレント半島がくっきりと見えてきました。

陽が傾きかけた夕刻のナポリ湾の美しさといったら!
それはいつまでも心に焼きつき離れないまさに陽光の芸術でした。

その先も、ニシダ島やカーポミゼーノ、プロチダ島など次々現れる絶景を前に、「ああ、ここだろうか? 僕の新しい生活の場は」と僕の胸は高鳴ったものです。
 
 
僕が目指していたフォリオという街は、イスキア島の西部、島のちょうど真裏にありました。
港が近づくと、フォリオの街のシンボルともいえる尖塔が見えてきました。

夕空に突き刺さるその古い塔のシルエットを見ただけで、僕は一目でこの街が気に入ってしまいました。 



「南イタリアの離島、イスキア。緑の島」 1

船から降りた時には夕日は強烈なオレンジ色で、
濃い緑の植物たちは、夜に向けて深い深呼吸をしているようでした。
 
 
フォリオは思っていたよりも大きな街で、リゾート地特有の洗練されたムードの中に人々の生活が香る庶民的な面を併せ持っていました。

手渡された例の簡素な地図を取り出し、レストランの場所を確認しました。

港のすぐ傍にあるはずです。

顔を上げると、なんとそのレストランは僕の目の前にあったのです。
「リストランテ ラ ロマンティカ(Ristorante La Romantica )」それがレストランの名前です。
 
 
あまりにあっさりと目的地に到着してしまったからでしょうか。
その時点で、これから始まる新しい生活に対する不安は、殆どなかったように思います。

「南イタリアの離島、イスキア。緑の島」 1

Photography by Keisuke Yaegashi

自分流×帝京大学

Posted by 八重樫 圭輔

八重樫 圭輔

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Keisuke Yaegashi
シェフ。函館市生まれ。大学在学中に料理人になることを決め、2000年に渡伊。現在は家族とともにイスキア島に在住。