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海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」 Posted on 2025/05/17 中村 ユキ 現代アーティスト ロンドン

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<夜明け前のジュビリー・マーケット、濡れた石畳に灯りがにじむ>

暗いうちに家を出ると、ロンドンの空はまだ夜の冷たさを抱えていた。雨がいつ降ってきてもいいように、雨具と防寒具を兼ね備えたジャケットを着ていく。
背中には大きなリュック、肩掛けバッグには懐中電灯を忍ばせている。まるで探検に向かうような装いだ。
始発の地下鉄「チューブ」に乗り込み、アンティークマーケットへ向かう。

私は日本で陶芸を学んだ後、アメリカ、そしてここイギリスで土という素材を通して現代造形作家として制作活動を続けている。
ロンドンに拠点を移してからは、縁あってアンティークディーラーの仕事を手伝うようになり、見る側・仕入れる側の視点でも陶磁器に触れる機会が増えた。
その中で、とりわけ心を惹かれたのが明治時代に作られた日本の陶磁器だった。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトンの屋外会場、夜明け前から商品がずらりと並び始める>



ある日、マーケットで目に留まったのは、ティーカップセットだった。
朝の薄明かりの中、棚に片隅でひっそりと佇むその姿に、私は思わず足を止めた。
豪華な金彩と繊細な絵付けの中に、言葉にできない静かな品格が漂っていた。
窯で焼かれ、海を渡り、そしてまるで長い間、誰の目にも触れられず、どこかで眠っていたかのような、そんな儚さがあった。

「なぜ、こんな場所に明治の日本の工芸品が?」

その疑問は、一つの物語につながっていった。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトンの片隅で静かに佇んでいた、輸出向けの手描きの豪華なティーセット>

明治時代、日本が近代国家として歩み始める中で、美術工芸は国策として世界へと発信されていった。
名工たちによって生み出された薩摩焼や九谷焼、七宝焼などの工芸品は、万国博覧会や海外輸出の舞台で、「超絶技巧」と呼ばれたほどの精密さと美しさを放ち、世界を驚かせた。
わずか30年という栄光の時代の中でそれらは次々と船に積まれ海を渡っていった。

100年経た今もなおーー
手に取った瞬間、思わず息を呑むほどの表現力と気品さを宿し、見るものの魂を深く揺さぶってくる。
その時代に凝縮された情熱と技は、海を越え、時を越えて、今も変わらず私たちに深い感動を与え続けている。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトンのアンティークマーケット、5時過ぎにはディーラーが到着し、商品を並べ始め、取引が密かに始まっている>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン 19世紀の薩摩焼、ティーポット>

ロンドンでは、あちこちでマーケットが開かれている。観光地の一角、学校の校庭、競馬場、駐車場などで、その場所はさまざまだ。
本格的なアンティークだけを扱うマーケットもあれば、家庭の不用品を車のトランクで売る「カーブーツセール」も。
なかには路上に段ボール箱を並べただけの素朴なマーケットも存在する。
プロのバイヤーはもちろん、海外からの買い付け客、地元の人々や観光客まで、さまざまな人が集まってくる。
しかしマーケットでの買い付けは甘くない。本気で「良いもの」を手に入れたいのならば、入念な準備と覚悟が必要だ。
ロンドンのマーケットは、とにかく朝が早い。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<コベント・ガーデン内のジュビリー・マーケットでは、朝早くからアンティークマーケットが開かれ、日中には観光客で賑わう>

TSUJI VILLE

夜明け前、まだ空気に夜の冷たさが残る頃、ストール(屋台)はすでに開き、バイヤーたちはまだ商品がテーブルに置かれる前から目を光らせている。
彼らは懐中電灯で細部を照らしながら、ディーラーとの交渉を始める。
そして一瞬でその品の価値を見極めなければならない。
「本物か偽物か」「ヒビや割れはないか」「修復跡があるか」「手描きか転写か」「年代はいつか」「絵付け師の腕前はどうか」「サインの有無」
器を指で弾き、音の響きから割れの有無を判断する。
「後で買おう」は禁物だ。次の瞬間には、もう2度と出会えないことも珍しくないのだから。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトンで見つけた精緻な七宝。値切ろうと粘ったら、逆にディーラーにその価値を気づかれて、値段はまさかの倍に>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン ケースの中には思わぬ掘り出し物が潜む。すべての棚をくまなく見るのが、この場所での鉄則だ>

私が知っている「本物」のバイヤーは、大胆さと洗練された審美眼を兼ね備え、計算能力と記憶力に長けている。
何よりも決断力と行動力にあふれた人物だ。
その達人から教わったシンプルなルールがある。

「良い点が2つあれば買う、悪い点が2つあれば買わない」

自分の目と感性で、それを瞬時に見極めていく。
自分の「好き」に素直であることは何よりも大切なのかもしれない。
もう一つ。忘れてはならないのが値段交渉だ。素人には高くふっかけてくることが多いため、あらかじめ自分の「上限」を決めておくと冷静にやり取りを進めやすい。
そして、もしその価格を超えてしまったら、きっぱりと諦める勇気も必要なのだ。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトンで出会った九谷焼の眠り猫。値段交渉に一切応じない頑固なディーラーに、あえなく敗北>



特に私が好きなのは、月に一度開催されるロンドン西部にあるチズウィック・カーブーツセールだ。
ここでは家庭の不用品から思わぬ掘り出し物までが並び、訪れるたびに新たな発見がある。
驚くべきことに、このマーケットは学校のPTAによって運営されており、その収益は、学校のプロジェクトや生徒の活動支援に使われている。地域と学校をつなぐ大切な場にもなっているのだ。
ここで、私は思いがけず薩摩焼、有田焼、墨田焼、七宝、オールドノリタケ、エッグシェルなど、日本のアンティークと出会った。
品を手に取り、そっと裏を返すと、そこには手書きのサインや窯印が残されており、その一つ一つが歴史と職人の手仕事を物語っているのだ。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<チズウィック・カーブーツセール 地元の人で賑わう>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<チズウィック・カーブーツセールで、九谷焼の底面にサインを発見!>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<チズウィック・カーブーツセールで、薩摩焼を発見>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<チズウィック・カーブーツセールで見つけた舞楽の陶磁器。歴史が詰まった一品>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<チズウィック・カーブーツセールで見つけた隅田川焼。実用的でありながらも装飾的なデザインが特徴>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<チズウィック・カーブーツセールで見つけた、時を超えたクラシックなアイテム、蓄音機とカメラ。実際に音楽が流れて、まるで過去の時代にタイムスリップしたかのようなひととき>

より本格的な買い付けをするなら、ケンプトンのアンティークマーケットが有名だ。
月に2回、競馬場の広大な敷地を利用して開催されるこのマーケットは、まだ暗い5時前からディーラーたちが続々と到着する。
おそらく地方から何時間も車を運転してきたディーラーもいるのだろう。
開場前の朝6時30分には、一般客の長蛇の列ができ、門が開くと同時に買い手たちが一斉に走りだす。
その熱気と緊張感は、まさに競馬のスタートラインを切ったかのようだ。
広い敷地を歩き回るため、履き慣れた靴を履くことを強くおすすめする。
早朝はまだ暗いので、懐中電灯を持参し、予期しない雨に備えて傘かカッパも必須だ。体力勝負なので、スナックとお水も忘れずに。
バックパックを背負い、両手をフリーにして、梱包材も準備しておくと便利だ。支払いは現金が主流なので、十分な額を用意しておこう。そして、混雑時にはスリにも要注意だ。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン 中国のアンティーク、子供の形をした木製の枕「アヘン枕」。持っているものは「桃」?>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン かわいいお尻たち>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン ぶんぶく茶釜>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン 馬の彫刻>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン スタッフォードシャー・ドッグとキャラクター・ジャグのコレクション>

いよいよ中に入ると、そこはまさに宝の山。
屋内外に数百のブースがひしめき合い、アンティークから、家具、楽器、アート作品から思わず二度見してしまうような珍品まで、何千という品々が所狭しと並んでいるのだ。

知識を深め、審美眼を養うため、私はヴィクトリア&アルバート美術館(V&A)や大英博物館にも足を運ぶようになった。
中でもV&Aの4階にある、6万点以上のセラミックスコレクションは圧巻だ。静寂に包まれたその空間に足を踏み入れると、まるで喧騒から切り離された別世界に迷い込んだかのような感覚に襲われる。
その一角に、1867年のパリ万博に薩摩藩が出品した名品が、ひっそりと展示されているはずだ。
あまりに多くの展示品が並んでいるため、見つけるのは容易ではなかった。
特に目を引くのが、真葛香山による「高浮彫」の大壺。羽を広げた鷲が今にも飛び出してきそうな迫力で、静謐な展示室の中でもひときわ強い存在感を放ち、その完成度は現代の技術を持っても到底真似出来ないほどだ。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ヴィクトリア・アルバート美術館4階、セラミックス・コレクションの展示室。棚にはぎっしりと陶磁器が詰め込まれ、上の段は見上げても届かないほど。まるで陶磁器の図書館のよう>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ヴィクトリア・アルバート美術館4階、真葛香山の作品は彫刻的な装飾技法がひときわ際立ち、繊細さと力強さが同居する圧巻の存在感を放っている>

私はアンティークマーケットを歩くたびに思う。
陶磁器という形の中に封じられた記憶や美意識、そして作り手の想い・・・。
それらはただの物質ではなく、時を超えて語りかけてくる。アンティークとの出会いは、過去とつながる小さな扉を開く瞬間だ。
そこには歴史があり、物語があり、そして何よりも、自分自身との対話がある。ロンドンという深い歴史を誇る街で、ひとつひとつの品に耳を澄ませながら、時間の流を感じてみてはいかがだろうか。
それはまるで、大海原で後悔しながら小さな宝石を見つける旅のようだ。

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<オールド・スピタルフィールド・マーケット 天候に左右されることなく、常に活気に満ちた場所>

海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<オールド・スピタルフィールド・マーケット 博物館のように美しいディスプレイが目を引く>



海を越え、時を超えて「 ロンドンのアンティークマーケットで巡り合った明治の美」

<ケンプトン アンティーク・トランク>

ケンプトンアンティーク(Kempton Antiques)
https://www.sunburyantiques.com/kempton/
毎月第2および第4火曜日に競馬場の施設内で開催
朝6時30分開始
入場料:5ポンド (8時以降の入場は無料)

チズウィック・カー・ブーツ・セール (Chiswick Carboots Sale)
https://chiswickcarbootsale.com
1月を除く毎月第1日曜日に開催6.30am until 12.30pm
入場料:1ポンド

オールド・スピタルフィールド・マーケット(Spitalfields Market)https://oldspitalfieldsmarket.com/events/antiques-market
最寄り駅:Liverpool Street
毎木曜日の8am – 5pmに開催
入場無料

ジュビリーマーケット(Jubilee Market)コベントガーデン内
Antiques & Collectables Market – Every Monday from 5am to 5pm.
https://www.coventgarden.london/shop/markets/jubilee-market/
毎週月曜日
最寄り駅:Covent Garden
朝5時から夕方5時まで開催
入場無料

ポートベロマーケット(Portobello Market)
www.portobelloroad.co.uk
毎週土曜開催 6:00-16:00頃まで  
最寄駅: Notting Hill Gate 
入場無料
毎週金曜日。土曜日はポートベロマーケットからゴルボーンロードまでフリーマケットが開催されている。観光客よりも地元の人々に利用されることが多いこのエリアでは、服をはじめとした中古品を取り扱っており、特にお得な掘り出し物を探している人には最適な場所。

ハックニー・フリーマーケット(Hackney Flea Market Ltd)
https://hackneyfleamarket.com
Hackney Flea Market Ltdは、ロンドン各地でビンテージ・フリーマーケットを企画するイベント会社。人気のポップアップイベントを複数展開している。開催日と開催地は不定期なのでサイトでチェックしてください。
チケット予約購入要
犬連れ可能

バーモンジー・マーケット(Bermondsey Market)
https://bermondseysquare.net/bermondsey-antiques-market/

金曜日 開催 5:00-14:00 頃まで 
最寄り駅:London Bridge / Bermondsey 
テムズ川沿い。コンディションの良いアクセサリーがそろっていることで定評がある。

グレイズ(Grays)
www.graysantiques.com
10:00-18:00(土・日休) 
最寄り駅:Bond Street ボンド・ストリート近く。クオリティの高いアンティークがそろう、インドア・マーケット。

ヴィクトリア&アルバート美術館コレクション(V&A)
https://www.vam.ac.uk/collections
コレクションへは入場無料

大英博物館 コレクション(British Museum)
https://www.britishmuseum.org/collection/
コレクションへは入場無料だが要予約

自分流×帝京大学

Posted by 中村 ユキ

中村 ユキ

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Yuki Nakamura
ロンドンを拠点に活動するアーティスト。ワシントン大学で美術修士号(MFA)を取得後、シアトルで23年間にわたり制作活動し、その後ロンドンへ拠点を移す。ウェストミンスター大学にて創造的実践の修士号(MRes)を修了し、2025年9月より同大学のセラミック・リサーチ・センターにて博士課程に進学予定。博士研究では陶芸とデジタルテクノロジーの交差点を探る実践的アプローチに取り組む。アーティスト・コレクティブ「ART BEASTIES」のメンバーとして、ニューヨーク、シアトル、東京などで展覧会を開催。ポロック・クラズナー財団助成金やアーティスト・トラスト・フェローシップを受賞し、数々のパブリックアート作品も手がけている。