PANORAMA STORIES

ふたつの言葉の間で大きくなっていく君は Posted on 2018/11/10 溝口 シュテルツ 真帆 編集者、エッセイスト ドイツ・ミュンヘン

1歳を過ぎた娘が、少しずつおしゃべりをはじめた。

ママ、パパ、ドウゾ、バイバイ、ワンワン、カアカア、バナナ……「あ、これは今日初めて言ったかな」とまだ不明瞭な言葉を拾い上げるのは、なんともうれしい瞬間だ。
 

ふたつの言葉の間で大きくなっていく君は

(一日中、ぽよぽよ、ぴゃあぴゃあ、言葉にならない言葉を発し続けている)

 
現在の我が家の「共通言語」はドイツ語だが、やはり娘とは日本語で話がしたい。現在の言語教育学では、子どもに対しては「一人一言語」かつ「母語で話すこと」が提唱されていると知ったこともあり、私は日本語で、ドイツ人の夫はドイツ語でとそれぞれ統一して娘に話しかけるようにしている。
(「君たちふたりの話していることがわからないのは嫌だ」と、夫が再び日本語の勉強をはじめたのも思わぬ副産物!)

このように我が家は2ヶ国語でことはシンプルだが、例えば同じアパートに住む隣人はチェコ人の母親とイタリア人の父親の間に3歳の男児がいる家庭。家での共通言語のイタリア語、母親のチェコ語、そしてドイツ語の3ヶ国語が飛び交うが、子どもとは恐るべきもので、すでにそれぞれを上手に使い分けている。イタリア語を話すときだけ、メロディアスに身ぶり手ぶりがつくのも可愛らしい。

ほかにも、日本人の母親とチュニジア人の父親の間に1歳の男児がいる友人家族は、両親の母国語(日本語とアラビア語)に加えて、夫婦の共通言語の英語、そしてドイツ語と実に4ヶ国語だ。子どもの将来は世界を飛び回る商社マン(担当は石油)……なんて思ってしまうのは安易な想像に過ぎるだろうが。

娘が発する言葉は、基本的に日中は私がひとりで面倒を見ていることもあり、冒頭のようにまだ日本語が中心。はっきりとわかるドイツ語は「アワ(痛い)!」くらいだ。
 

ふたつの言葉の間で大きくなっていく君は

(絵本も日本語とドイツ語、自然と両方が集まってくる。
娘は当然両言語の区別なく、気の向くままに手に取って眺めている)

 
ところで、そうやって娘の言葉を観察するなかで、面白いことに気がついた。

動物が好きな彼女らしく、いち早く「ワンワン」が口から出てきたが、義母の飼い猫を指差しては「ワンワン!」、絵本の牛やヤギを指差しては「ワンワン!」。その度に「ワンワンじゃなくてニャアニャアだよ」「違う違う、モーモー、牛さんだね」と訂正していたが、途中でははあ、と合点がいった。「この子にとっては”四つ足で毛むくじゃら”なのが全部”ワンワン”なんだな」。

つまり、彼女は「犬」という分類の前に、大きく「陸の哺乳類」を把握したのだ。試しに絵本のカエルやヘビ、魚などを見せてみると「これはワンワン……ではないようだ」というような顔をして黙り込んでしまう。

ちなみにキツツキもクロウタドリも(両方ともドイツではよく見かける)ニワトリも鳥類は全部「カアカア」。カラス単体のことではない。

彼女にとって、ワンワン=動物、カアカア=鳥の法則に気づいたところで、もうひとつの言葉「パパ」にも思いが至った。

娘は夫に向かって「パパ!」と言うが、道ゆく人にも「パパ!」、雑誌の人物にも「パパ!」と嬉しそうに指を差す。「パパじゃないパパじゃない」と笑っていたが、これはどうやら見間違えをしているわけではなく、つまりはパパ=人。「誰かいるよ!」と一生懸命に伝えようとしていると思うと、なんともいじらしいではないか(ざっくりとまとめられてしまって、夫にとっては忸怩たるものがあるようだが)。
 

ふたつの言葉の間で大きくなっていく君は

(動物の観察が日課。近くの農場のカアカア(鶏)の前で動かなくなってしまった娘)

 
人がいる。動物がいる。鳥がいる。なんというか、人が世界を認知していく過程を見ているようで、眩しいような気持ちになる。これから、この子はどんな風にふたつの言葉を使って、どんな風に彼女の世界を説明してくれるのだろう。

ちなみに、「ママママ!」も……私に向かってばかり言うのできちんと「母親」だと認識しているのかと思いきや、夫にも稀に言うところをみると、おそらくこれは「甘えたいときの言葉」。転んで痛いとき、眠いのに眠れないとき、おもちゃを取り上げられたとき……「マ」の音を出して泣けば、自分の願いが満たされると思っているという感じだ。

「君はちゃんと大事な言葉を知ってるんだねえ」

そう言っても、娘はきょとんとこちらを見上げるばかりだけれど。

娘に2ヶ国語環境の負担を強いることに申し訳なさがないわけではない。それでも、日本語とドイツ語の「両翼」で、この先訪れるであろうさまざまな障壁を軽々と飛び越えていってほしいと願う。
 

 
 

Posted by 溝口 シュテルツ 真帆

溝口 シュテルツ 真帆

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Maho Mizoguchi Stelz
編集者、エッセイスト。2014年よりミュンヘン在住。自著に『ドイツ夫は牛丼屋の夢を見る』(講談社)。アンソロジー『うっとり、チョコレート』(河出書房新社)が好評発売中。2017年、ドイツ×日本×出版をテーマに据えた出版社・まほろば社(Mahoroba Verlag)を立ち上げ。