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ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼 Posted on 2018/06/20 吉田 マキ 通訳・コーディネーター ヴェネツィア

ヴェネツィアの学校は、すでに長い3か月超の夏休みに突入した。
子どもたちは祖父母とリドのビーチで日中を過ごし、若者は刺激を求めて夜の街に繰り出す。といってもこの時期は、夜の10時前にようやく暗くなるので、11時でもまだ宵の口という感じだ。

街は観光客であふれている。サンマルコ広場につながる道やリアルト橋付近は、つねに芋洗い状態の混雑となる。
この多すぎる人の波は、訪れた観光客自身をウンザリさせるだけではない。観光向けの過剰なシフトで、八百屋や金物屋や本屋といったふつうの店が次々と姿を消し、住民にとって暮らしにくい街になっている。改装された後に入るのは、キッチュなお土産屋かバール、レストラン、ホテルと相場は決まっていて、高騰する家賃はさらに住民を追い出していく。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼

島への入場を定員制にしたらどうかという案は数年前からあるが、現実的にはむずかしいだろう。とりあえずの策として、週末や祝日などには、街への玄関口であるローマ広場とサンタルチア駅近くに、開閉式のドアが設けられ、観光客の流れを分散させる試みがはじまった。
いまやテーマパーク化しつつあるヴェネツィアで、街とはなにかを考えさせられてしまう。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼


ローマ広場に設けられた開閉式の門

 
サン・ジョルジョ・マッジョーレ島は、そんな世俗の悩みと混雑をよそにいつも上品にたたずんでいる。
サンマルコ広場の対岸に位置するこの小さな島を、みなこぞってカメラに収めるのだが、実際に訪れる数は少ない。(いまのところ)
島の名前となっているサン・ジョルジョ・マッジョーレ教会が、ここに最初に建てられたのは10世紀。現在の教会は、16世紀に建築家パッラーディオの指揮で建設がはじまった。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼

教会内には、ティントレットの最晩年の作品『最後の晩餐』がある。
意表を突く構図、光と影のコントラスト、見守る天使たちといい、彼がそれまでに描いたどの「最後の晩餐」よりも先鋭的な作風だ。
すでに75歳、亡くなる少し前とは思えない力強さがこの作品にはみなぎっていて、描くことに最後まで挑み続けた姿勢を見る気がして心を動かされる。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼


ティントレットことヤコポ・ロブスティ『最後の晩餐』1592-1594
365×568㎝ 油彩、カンヴァス

 
ここにはヴェロネーゼの『カナの婚礼』もあったというが、他の多くのヴェネツィアの宝物と一緒にナポレオンに持ち去られ、今はパリのルーブル美術館にあるらしい。
ヴェネツィア人はそんな話を聞くたびに、昨日のことのように悔しがる。コロンブスの頃までさかのぼって、「あの時ヴェネツィアが、西廻りの航路にもっと目を向けていればなあ」とため息をつく。
気持ちは分かる。確かにそれを分岐点として、ヴェネツィアは徐々にではあるが力を落としていくからだ。とはいえ、1100年も独立を誇った国である。盛者必衰、それもまた美しきかなと思う。でもそれは敗者に美を見てしまう日本人の、地元人にはなり切れない感慨かもしれない。

1800年3月ピオ7世は、このサン・ジョルジョ・マッジョーレ島でローマ教皇として選出された。ローマはナポレオン軍に包囲されており、この教会が教皇選挙のための枢機卿会議の舞台となったからだ。
その時すでにあったこの鐘楼に、新教皇も登ったに違いない。ローマに思いを馳せながら、財政や政治的問題が山積みの教皇庁を立て直すべく、決意を新たにしたのだろうか。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼

それから150年以上の間、サン・ジョルジョ・マッジョーレ教会は武器庫などとして使われるくらいで、ずっと放置され続けてきた。それを戦後、修復し島全体を文化や芸術の研究機関としてよみがえらせたのがジョルジョ・チーニ財団だ。ジョルジョ・チーニは、財団の創設者ヴィットリオ・チーニの、若くして飛行機事故で亡くなった息子である。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼

鐘楼からの360度のパノラマは素晴らしく、今日も踊るような心地よい風が吹き抜ける。
聖ジョルジョが見守るこの島には、息子ジョルジョが風のように形を変えながらも永遠に生き続けてほしいという、親の切なる願いが込められている。
 

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼

ヴェネチアの孤島、サン・ジョルジョ・マッジョーレ島の鐘楼


鐘楼からの眺め

 
 

Posted by 吉田 マキ

吉田 マキ

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Maki Yoshida
神戸出身。90年にイタリア、ペルージア外国人大学留学。彫刻家および弦楽器創作アーティストのイタリア人との再婚により、娘を連れて2003年よりヴェネツィア在住。夫の工房助手の他、通訳、コーディネーター、ガイドなど。