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ニースに恋した画家、マティス Posted on 2021/11/27 Design Stories  

「色彩の魔術師」と呼ばれた20世紀を代表する画家、アンリ・マティス。
パリでは市立近代美術館、オランジュリー美術館などでいくつかの作品を鑑賞できるが、印象派とはまた違ったダイナミックな作風にいつも目を奪われてしまう。

マティスが目指した作品のスタイルは、「ピュアで穏やか、心をほぐし和ませる芸術」だった。まるで音楽のように見る人の心を癒し、幸福感を与えるために描かれたという。

パリを拠点に創作活動を続けていたマティスは、旅を好む人でもあった。
しかし、彼はパリの喧騒に疲れてしまい、40代の後半から安住の地を探すようになる。
そんなマティスが恋に落ちた街が、南仏ニースであった。
冬の避寒地として上流階級の人々に人気だったニースの太陽に魅せられ、84歳の生涯を閉じるまで終の棲家としてこの地で暮らした。
「この光を毎朝見られると思うと、その幸福が信じられなかった」と、後に語っている。

ニースに恋した画家、マティス



ピカソが早熟の画家なら、マティスは大器晩成型の画家だ。
光り輝く南仏から得たインスピレーション、そしてこの地に集まった多くの芸術家との交流がなければ、マティスは「マティス」となっていなかっただろう。

ニース北部、シミエの丘には、17世紀の趣を残した美しい邸宅が立ち並ぶ。その一角にマティス美術館がある。
イタリアの影響を色濃く受けた赤茶の外壁、黄色に彩られた窓。青空とのコントラストが映える館は、それ自体が素晴らしい景観を作り出している。

ニースに恋した画家、マティス

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館内には絵画、デッサン、彫刻、マティスが愛用していた品などが展示されており、制作を開始した1890年から亡くなる1954年まで、年代別に、画風の移り変わりを辿って理解できるように工夫されている。
所蔵作品は約1,000点。常設展示場とその地下に新しく作られた企画展示場に分かれていて、小規模ながら、かなり見ごたえのある内容だ。

そしてマティスは人生の後半、「切り絵」に魅せられた。
アトリエで精力的に絵画を描く一方、色が塗られた紙をハサミで切り取り、それを貼り付ける技法「切り絵」に取り組んでいたのだ。
ニースのマティス美術館は、晩年最後の切り絵大作『花と果実』があることでも良く知られている。

ニースに恋した画家、マティス

© François Fernandez
© Succession H. Matisse pour les œuvres de l’artiste

それではなぜ、「切り絵」なのか。
第ニ次世界大戦中、ニースがイタリアに占領されると、70代のマティスは22キロ離れた小さな町ヴァンスに疎開した。
がんを患い、体力をなくしていたマティスだったが、疎開先の美しいヴァンスでは色彩と純粋に向き合い続けたという。

晩年にさしかかり、シンプルさを追求する画家マティスにとって、切り絵は理想的な表現法だったのだ。

ニースに恋した画家、マティス



19世紀から20世紀にかけて、急速な近代化や戦争などを背景に、文学や美術においては「ここではないどこか」への憧れが表現されるようになった。
モネは庭を、マティスは南仏の光を。
二人の共通点をしいて言うならば、「理想の空間を自ら作り上げた」という点だろうか。

マティス美術館にも所蔵されているが、彼は特にテキスタイルへのこだわりが強かったらしく、アフリカの布や、ヴェネツィアの椅子なども集めていた。
「自分にフィットした場所を選ぶ」というのは、現代の暮らしにおいても重要視される感覚であって、マティスはそれを後回しにしなかった画家だ。

絵画はよく、描かれた時代背景を念頭に入れながら鑑賞すると理解が深まるという。
マティスが「マティス」となった、南仏ニースの暮らしぶりを知ることは、彼の作品を紐解く上でも大きな助けとなるだろう。
豊かな自然と向き合い、ニースで画家としての境地に達したマティス。
芸術家たちの心を掴んだ美しい面影が、今もそこかしこに残っている。(聖)

ニースに恋した画家、マティス

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デザインストーリーズ編集部(Paris/Tokyo)。
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