PANORAMA STORIES

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」 Posted on 2020/11/02 辻 仁成 作家 パリ

小田急線の東北沢駅から世田谷代田の1,7キロの区間が地下化されたのは知っていたけど、じゃあ、その上はどうなっているんだろう、とずっと気になっていた。
(地下化になる前、開かずの踏切で、一時間に3分しか踏み切りあかないときがあった。あれには参った。笑)
ぼくは大学生時代から下北で遊び、暮らし、大人になってからは事務所や仕事場を持ち、いわば、ここはぼくの東京における聖地なのであった。
下北駅が近代化するというので危惧する仲間たちもいて、そういう一部が反対運動もしていたのを覚えている。
たしかに、個性のない駅前地区になったら嫌だなあ、とずっと心配していた。
ぼくにとってシモキタはニューヨークにおけるイーストビレッジのような地区なのだ。
ところが、前回お話をした友人の伊東さんと懐かしの下北巡りをやったところ、シモキタは旧下北沢の香りを残しつつ、より若い人たちに愛される新シモキタに生まれ変わっていたのであった。

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」



下北沢駅を中心に東北沢から世田谷代田までが帯状に「市民の憩いの場」となって、保育園、学生寮、若い店舗経営者を応援する長屋、そして温泉旅館まで連なっている。
下北駅から世田谷代田へ向かう中心部は緑地帯の公園が出来るのだという。
その駅前だけど、あの歴史的な駅改札口はもうなくなっていた。
実は、そこでぼくは人々をスケッチして「ZOO」の歌詞を作ったのだ。
「愛を下さい」というルフランは改札口から出てくる、様々な動物に似た人々の全体的なイメージから生まれ出たフレーズであった。
つまり、ECHOESの代表曲「ZOO」はシモキタ生まれということになる。間違いない。そこでぼくは小説「海峡の光」「白仏」「冷静と情熱のあいだ」なども書いた。
シモキタは辻の聖地だった。
当時の店舗もまだ残りながら、エキウエと呼ばれる駅ビル商店街はどこか赤道直下のアジア的風情を醸し出していた。
駅の外に出ると、東北沢方向に駅前広場が、こんなに広い土地がどこにあったのかと思うほどのスペースが広がっていた。
時代の移り変わりもあるので、あの懐かしいシモキタがなくなるのは寂しいことではあるけれど、普通は市民の反発を覚えるような新しいビルが聳えたりするのを、小田急さんはよく考えてくださっていた。
へー、ここで遊びたい。ここで出会いたかった、とぼくは嬉しくなった。
実際、前よりもまして、若い人で溢れかえっていた。
しかし、少し見回すと、すぐ隣には世田谷の住宅地が広がっている。
空を隠さない低層階の駅ビル、そして、ザ・日本の原風景、何もかも安心感がある。

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「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」



電車が地下に潜って出来たスペースに「下北線路街」という実にシモキタらしい名前が付けられていた。
まだ出来立てなので、真新しいのは仕方がないが、20年、30年と時をはぐくむことでこの空域は東京を代表するエリアになるのだろう。
ここから数多くの芸術や文学や音楽が間違いなく誕生するはずだった。間違いない。

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」



中でも、ぼくが一番感動をしたのは「長屋」と呼ばれている集落である。
10坪の店舗の上が10坪の住居になっていて、そこで暮らしながら、若い野心家たちが路面店を経営出来る。
そこには、「日記屋」なんてのもあった。
世界中の日記を売ってる。面白すぎて、へーーー、と叫んでしまった。
コロッケカフェってのもある。コロッケばっかり売ってる喫茶店である。
キッチンだけを3時間単位で貸してる店もあり、その日は4人家族が借り切ってキャンプみたいなことをしていた。
子供たちはお父さんと走り回り、お母さんが丸見えのキッチンで料理していて、いやぁ、ほのぼの!
出来たら食べて、遊んで語り合い、片付けて帰る、というスペース。聞いたことないーーーーーーーーーーーい。楽しそう、借りたい、と思った。
辻料理教室がやれるよ!

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」



下北線路街のコンセプトというのがあったので、読んだら「出会う」「まじわる」「うまれる」を支援しているのだとか。なるほど。
10坪+10坪の長屋は住居兼店舗で、なんと、15万円の家賃だとか。
あまりの優しさに、感動してしまったし、ぼくがもしも20代だったら、ここでECHOES
ブックカフェでも経営したかった、メンバーと。
イベントが出来る「空き地」という広場もあった。夏祭りとかフォークフェスとか出来そうだな、と思った。
映画館が出来るという噂も耳にした。
映画、音楽、文学、そして芸術が融合した、なんだよこんなのずるいじゃん、という空域に仕上がっていた。
旧下北沢の歴史をリスペクトした世界観、ありがとう。

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」



そこを歩いていると、小さな子供たちが走り回っていて、ああ、この子たちがここで人生を学んでいくんだな、と想像出来て、ちょっと目頭がうるっとしてしまった。
完成された街じゃなく、老若男女みんなでこれから育てていく街なのだ、と思った。
建設中の学生寮は高校生から大学生まで様々な学生たちが暮らすだけじゃなく、なんと、そこでしか学べない寺子屋のようなことなんかも計画中らしい。
世田谷代田駅前にある古風な温泉はすでにオープンしていて、年内は地元の方々で満室なんだとか。
覗いたけど、レストランは浴衣を着たお客さんで満席。温泉はタンクトーリーで運んでくるという入れ込みようで、いやはや、ここで全てが楽しめるじゃないか。
大人から子供まで遊べる場所、そして学べる場所に、シモキタが生まれ変わっていたのである。

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」



今の時代、若い人の未来は大変だ。
コロナ禍をはじめ社会不安だらけの世界になってしまったからである。
でも、この下北線路街には間違いなくある新しいエネルギーがある。それをぼくは「希望」と名付けたい。

「下北がいつの間にか、面白くイメージチェンジしていた。下北線路街を歩く」

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Posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。