PANORAMA STORIES

月の向こう側 ―蘇州・明月湾探訪記 Posted on 2023/08/20 岸 志帆莉 文筆業、大学研究員 中国・江蘇省

 
湖のほとりの小さな村に一週間ほど滞在していた。
蘇州・太湖に浮かぶ西山島。
その南端に明月湾という名の古村がある。
三方を山に囲まれ、下弦の月のような形をしていることから明月湾と呼ばれるようになった。
 

月の向こう側 ―蘇州・明月湾探訪記



 
石畳の小道には、伝統的なつくりの白壁の家々が立ち並ぶ。
明や清の時代の建物が多く、築500年以上の民家も現存する。
それら家々の合間に、人々の素朴な生活の営みが息づいている。
川で洗濯をする人や、蓮の花を売る人、石畳の上でザクロを頬張りながら談笑する人々。
時が止まったようでありながら、人々が連綿と紡いできた生活の流れを感じられるいにしえの村だ。
 

月の向こう側 ―蘇州・明月湾探訪記



 
ここは春秋時代から月見の名所として知られ、呉国の王・夫差が美女の西施(せいし)を連れて月見をしたエピソードが語り継がれている。
西施は楊貴妃などと並び、中国四大美人に数えられる女性だ。
言い伝えによれば、もともとは呉の隣国である越の出身で、その美しさを買われ、呉を打ち破るための策略として呉王・夫差のもとに送られた。

国策のために故郷から引き離された彼女は、自らに与えられた任務をまっとうした。
次第に夫差は西施にうつつを抜かすようになり、政治をおろそかにした結果、呉の滅亡につながったと伝わる。
 

月の向こう側 ―蘇州・明月湾探訪記



 
明月といえば、唐の李白に「静夜思」という詩がある。

牀前明月光
疑是地上霜
舉頭望明月
低頭思故鄕
(李白「靜夜思」) (注1)
 
床の前には明月のひかり
地上の霜かと見紛うほどに
こうべをあげて明月を望み
こうべをたれて故郷を思う
(拙訳)

しんとした秋の夜、床の間には一瞬霜かと見紛うほど白く明るい光がさしている。
顔を上げて月を望むと、はるか故郷が思い出され、知らず知らずのうちにこうべを垂れていた、という詩だ。

中国では、月を見るとき、遠く離れた誰かも同じ月を見ていると発想する伝統がある。
恋人の場合もあるけれど、遠く離れた家族や故郷が連想されることが多い。
中国の人々にとって、月は離ればなれになった人同士をつなぎ、心をひとつに結ぶ仲介者のような存在だ。
 

月の向こう側 ―蘇州・明月湾探訪記



 
そんな中国の発想を受け継ぐ作品が和歌にもある。

天の原ふりさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも 阿倍仲麻呂

19歳で留学生として唐に渡り、玄宗皇帝などに歴仕しながら半世紀以上もの時を唐で過ごした仲麻呂の歌には、日本人の心と中国的な価値観が深くとけあっている。
和歌という器に中国的な望郷心をのせ、故郷・奈良への想いを詠んだこの歌は、日中の懸け橋として生きた仲麻呂という人そのものを表しているようだ。

李白の詩にも、仲麻呂の歌にも、相手もきっと同じ月を見てくれているはずだと願う強い気持ちが感じられる。
でもその願いの裏側には、一抹の不確かさが見え隠れするようでもあり、しんと寂しさが訪れる。
 

月の向こう側 ―蘇州・明月湾探訪記

 
ある日の夕暮れ、宿の主人が私たちを外へ連れ出してくれた。
太湖にせり出した古い石の埠頭から空を眺めると、沈んだ夕日を追いかけるように満月がのぼっていた。
広々とした湖の表面には光の筋が落ちていた。

西施はこの場所で、呉王・夫差と月を眺めながら誰を思っていたのだろう、と考える。
呉が滅亡したあとの彼女の生涯については、はっきりとわかっていないことが多い。
故郷の越に戻って幸せに暮らしたという伝説もあれば、危険分子とみなされて長江に沈められたという伝説もある。

太湖の表面にゆれる光の道は、だれかの故郷へ続いているようでもあり、あるいはまったく知らないどこかへと続いているようにも見えた。

注1
「静夜思」は日本では別のバージョンが親しまれているが、ここではあえて中国で親しまれているほうを紹介した。
 

自分流×帝京大学



Posted by 岸 志帆莉

岸 志帆莉

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東京生まれ。大学卒業後、出版社で働きながら大学院で教育を学ぶ。その後フランスに渡り、デジタル教育をテーマに研究。パリ大学教育工学修士。現在は大学オンライン化などをテーマに取材をしつつ、メディアにエッセイや短歌作品などを寄稿。2023年より中国・江蘇省に拠点を移す。