PANORAMA STORIES

ル・コルビュジエの余白 Posted on 2016/12/07 児玉 義明  建築家 ジュネーブ

「7時間の時差があるのよね。そっちはいま何時? 10時? そっか、バスで移動中だったのね。ラインもメールもなかったから心配していたの。ところで、今日が何の日か知っている? 9月5日よ。ええ、ごめんなさい。あなたがバスの中だってことはよくわかった。建築家のみなさんも一緒なんでしょ? でも、ちょっと切らないで。
どうしても思い出してほしくて・・・」

「輝美、あとで電話するよ。こっちから、その、今バスがサヴォア邸に到着したとこなんだ。
パリ郊外、ポワッシー地区の、それこそ日本でもよく見かけるような住宅地の一角に、20世紀の最高傑作の一つ、サヴォア邸が建っている。だだっぴろい芝生の真ん中にぽつんと。なんの特徴もない、それこそただの白い箱なんだよ。でも、それが素晴らしい。いいかい? 85年前、彼はそれまで重厚な作りが主流だったフランス住宅様式に一石を投じた。ライト、ミースと並ぶ3大巨匠の一人だよ。世界遺産に登録されたばかり、上野の国立西洋美術館、あれを作ったル・コルビュジエの代表作、サヴォア邸が今、目の前にある。これからみんなで見学しなきゃならない。
本当に僕は興奮しているんだ。バスを降りなきゃ。聞こえてる?」

ル・コルビュジエの余白

「ええ、聞こえています。あなたって本当に、変わってる。仕事と家族とどっちが大切なの?」

「輝美、ル・コルビュジエ以前の西欧建築はレンガなどを組み上げる重厚な石造りが中心だった。
なのに彼は鉄筋コンクリートに着目した。85年も前にだよ。柱、スラブ、階段を組み合わせたドミノシステムによって建物が宙に浮いたようなデザインを考案した。当時の人々に計り知れない衝撃を与えた。鉄筋コンクリートによって連続窓が実現し、建物内の空間にこれまでにない潤沢な光りが降り注ぐことになる・・・」

「ええ、知っているわよ。あなたの妻ですから、どれだけル・コルビュジエが凄かったか。あなたがどれほどル・コルビュジエに傾倒しているのかも知っています。でも、私はアントニ・ガウディの方が好き。
110年前の集合住宅、カサ・ミラの方がずっと想像力に溢れていると思うけど・・・。
あなたと20年前、一緒に見たわよね、覚えている? バルセロナに旅行したでしょ? それが何の日のことだったか、まさか忘れちゃったの? 20年前の今日のことよ」

ル・コルビュジエの余白

「輝美、かけ直していいかい? サヴォア邸の中に入った。階段は階を遮断するものだと彼は言った。それで区切りを排除し、彼はスロープを採用した。デザインと思わせないデザインが彼の発見だったと言えないかな? 
ガウディはデザインの塊だった。執拗なデザインの凄さで人々を魅了してくる。その対極にあるのがル・コルビュジエだ。確かにガウディは素晴らしい。ああ、覚えているよ、一緒にバルセロナに行ったね。素晴らしかった。
ガウディの世界遺産登録は1984年。衝撃的かつ宇宙的なガウディのデザインに対して、ル・コルビュジエのデザインは特別さを感じない、実に対照的、普通の連続と言えるだろう。
そういう点では君の言う通り、ル・コルビュジエはあまりに普通でつまらない。
でも、ちょっと待って、普通が普遍的な存在になる過程がこれまた皮肉っぽいのだけれど、だからこそ世界遺産登録に2回も落選したのじゃないか? 僕はそこにこそ意味があると思っている。
ガウディの作品は派手で、独創的で、その分、わかり易い。でも、ル・コルビュジエはそうじゃない。
すまない、輝美、行かなきゃ。かけ直していいかな? みんな中に入って行く・・・」

ル・コルビュジエの余白

「あなた、ええ、かけ直してちょうだい。でも、一つだけ訊いてもいい? 今日が何の日か、あなたは覚えてないのね? 20年前の今日、私たちはバルセロナにいた。一緒にガウディを見上げ、あなたは同じように興奮していた。私はその日、幸せだった。あれから20年、あなたがどんなに頑張ったのか私は誰よりも知っている。
会社を大きくし、子供たちを育てあげた」

「輝美、僕はガウディにはなれないけど、ル・コルビュジエにはなれるかもしれない。
そういう直感だけはあるんだ」

「いいえ、あなたはル・コルビュジエにもガウディにもなれないわよ。あなたはずっと私の夫でいるの。
私のことだけをいつもどこにいても忘れずに覚えている優しい夫でいなきゃいけない。3人の子供たちのよきパパであってほしい。地に足がついた幸せを持たない建築家には素晴らしい家は設計できません。
素晴らしい建築家とはそこに住む人間たちのことを誰よりも思いやれる人物なのよ。
それは別に凄いことじゃないのよ。気を衒ったことじゃない。あなたにはそういう建築家であってほしい。
奇抜な家ではなく、ゴージャスな家ではなく、ハイテクな家ではなく、私はただ家族と快適に暮らせる居心地のよい愛のある家に住みたいの。そういう小さな白い家に住みたいし、そういうものをあなたにこれからも建築してもらいたい。私の個人的な印象だけど、きっとそのサヴォア邸もそうじゃないかしら。
真っ白なコンクリの建物。ある種、近代的という言葉をうんざりするくらい再生し尽くした設計。
でも、ル・コルビュジエの家って、その余白が素晴らしいんだと思う。
あなたのパートナーとして私なりに勉強してきた。丘の中腹に立つ彼の白い家の余白には、そこで暮らす人々のたくさんの思いが書き留められているのよ。そういう家を作った人だと思う。
私がル・コルビュジエに一目置くのはその余白にたくさんの思いを描くことができる家を彼が設計したから。
余っている白よ。だから人々はそこで暮らしそこに自分の思いを描くことができたんだわ。
でも、ある種の人々は彼を偉大にし過ぎた。残念ながら、私はそこまで彼を評価できない。
彼の建築は革命的だった。でも、時代を作ったに過ぎない。流行が去って、時が流れた先から彼のやったことを振り返った人たちが彼を称賛したに過ぎない。誰かが彼の仕事を世界遺産にした。
でも、正直言うと、住みにくそうな家だな、と主婦である私は思うのよ。彼の役割は85年前に終わっていたのじゃないかしら? 余白を生んで、そこに人々が何かを書き残して、終わったように思う。
でも、家なんだから、それでいいのよ。でしょ?   
ガウディは建築じゃなくて芸術だからこそ時を超えることができた。
根本的な違いがある。あなたにはこの違いを直に感じてきてほしい。そして、あなたはあなたにしかできない家を想像してほしい。誰かを崇めるのではなく、サヴォア邸で、あなた自身の誠実を拾い集めてきて。・・・今日が何の日か、あとでいいから思い出してね。
じゃあ、楽しんできてください。私はあなたの帰りをここで、あなたが設計したこの白い小さな東京の郊外の家で、待っています」

ル・コルビュジエの余白

Photography by Yoshiaki Kodama

Posted by 児玉 義明 

児玉 義明 

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Yoshiaki Kodama
建築家。44歳、2002年に小さな設計事務所を妻と設立。3人の子供の父親。代表作、世田谷の介護施設S、西麻布のホテルH改築責任者。小淵沢T山荘のキツツキの穴を塞ぎ評価を得る。受賞、多数。