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自分流塾「神が作ったシナリオ」 Posted on 2021/02/08 辻 仁成 作家 パリ

幼稚園児の頃に、なぜぼくはヒロシ君やユウコちゃんが考えていることが分からないのだろう、と思ったことがあった。
まわりを見合わすと、ぼくの両親も、弟も、先生たちも、クラスメイトのことも誰一人、何を考えているのか分からなかった。
で、人間は自分のことしかわからない生き物なのだ、と結論付けることになる。
それは、小さな頃の大発見でもあった。
ぼくがその時、イメージした「自分」というのは、眼球の指令室に小さな自分がいて、そこから世界を監視しながら巨大なロボットの自分を操縦している、というマンガ的イメージ…。
それから半世紀以上の歳月が流れたけど、おおよそ、この原理に変更はない。「自分対他人」という構図は幼稚園児の頃からずっと一緒である。

自分流塾「神が作ったシナリオ」



小学生になった頃、ここに神様の意思が介入することになった。
というのは、ある日、同級生の子を好きになるのだけど、もちろん、この子が何を考えているのか分からないばかりか、会えない時に、この子がどこで何をしているのかなぜ自分にはわからないのだろうと考えるようになった。
学校に行くと会えるのだけど、下校時間以降は雲隠れしてしまうのを不思議がった。
その時、ぼくが考え出したのが「神が作ったシナリオ」という仕組みである。
つまり、ぼくはぼくという舞台世界の上で演出家によって動かされているのだけど、そこに時々登場をするエミコちゃんも、やはり同じだ。
で、彼女は神の演出により、朝の9時にぼくのステージに登場する。出番ということである。で、夕方の4時くらいに退出する。そのあと、どうなるのだろう、と辻少年は考えた。
神様は出演が終わったエミコちゃんを出演者ボックスの中に仕舞うのである。
そして、次の出演時間まで待機させる。これがぼくが小学生の時に考えた「神が作ったシナリオ」による人々の出し入れの原理ということになる。
半世紀以上経った今も、この概念はさほど変更されていない。
昨日、高校時代の柔道部仲間、国際弁護士の中村勉から10年ぶりくらいにメールが届いた。あら、珍しい、と思った。
中村はこの10年、いったい、どうしていたのか、と思うのが普通だが、ぼくは余計なことを考えず、神様の待機ボックスで眠っていたのだね、と考えておしまい。
そんなわけはないのだけど、そう考えると、一瞬で不思議は雲散する。

自分流塾「神が作ったシナリオ」

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中学、高校と成長をしていく中で、世界と自分ということを意識するようになった。
この世界はいったいどういう仕組みで動いているのか、ぼくはわくわくしながら考えるようになる。
なんで自分は東京で生まれたのだろう、とか、なんでぼくはアメリカ人でもアフリカ人でもないのだろう、とか、人間の果てがどこにあるのか、地球上にいる人間全てとなぜ繋がることが出来ないのか、などなど、疑問も果てしなかった。
たとえば出会える人よりも圧倒的に出会えない人が多いのはなぜか、などについて考えるようになる。
これらの疑問はやがて「人間とはなんぞや」という、ぼくが生涯抱えることになった根本命題へと連動していく。
果てしない世界のことを意識すればするほど、ぼくは内なる自分は何か、というところに回帰していくのであった。



「人間とはなんぞや」というこの疑問が不思議なことにぼくが生きる「動機」の一つになっていく。
そして、ここからぼくの「ロック」やぼくの「小説」が生まれるようになる。
しかし、長い年月「人間とはなんぞや」と考え続けているのだけど、だんだんその仕組みがわかりかけているのも事実で、しかし、分かってしまうと生きる動機を奪われてしまうので、近頃は分からないふりをするようになった。
いつまでも分からなければ、ぼくは生きる推進力を維持することが出来るけど、いわゆる悟ってしまうと、人間はそこで詰む。
悟らないようにするのが今は得策、…。
とある病院の重病患者の病室にはシュールな絵が飾らわれてある。患者に「この絵はなんだろう?」と疑問を持たせることで、生きることを支えるのだという。
なるほど、とこの話しを聞いた時、腑に落ちたのは、まさに、自分の人生が「人間とは何ぞや」に生かされてきたからに他ならない。
少なくとも60年はぼくの生きる原動力は「人間」であった。
ならば、分からないまま最後まで「人間ってなんだったのかな」と思いながらこの世界を去るのも一つの手だな、と思いはじめて、クスクス、微笑んでいる。
つまり人間には、わからないこと、知らないこと、が大事だということだ。
わかったふりをせず、いちいち、へー、そうなんだ、すげー、と感動できる人間でいられることが単純に若さの泉なのかもしれないね。

自分流塾「神が作ったシナリオ」



自分流というものは、まさに言葉の通り、自分の流儀なので、物事を動かす時のやり方は千差万別ということである。ぼくのこういう考察も、ぼくのオリジナルであり、ぼくらしい考え方、やり方ということになる。
人間の数だけ、人間らしさは、あるわけだから、小さなことを言われても、気にすることはない。
もっと、大きな世界から自分を認めていくことが大事になっていく。
自分流塾、次回もお楽しみに!

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posted by 辻 仁成

辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。