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自分流塾「生き方がわからない、とぼくの若い友人が言う」 Posted on 2021/03/21 辻 仁成 作家 パリ

なにをやっても面白くないし、なにをやってもうまくいかない、生き甲斐がない、と若い友人が嘆く。
ぼくもたまにそう思うことがあって、逆に、そういう時、自分の中で生きる目的があいまいになっているのだな、と気づかされる。
たぶん、多くの場合、生きる目的ではなく、生き方ばかりを探してたりする。
上手な生き方を発見したとしても、その人生が豊かになるかはわからない。
へたくそな、不器用な生き方でも、豊かな一生を生きた人は大勢いる。



生き方は「買い方」「食べ方」「寝方」「話し方」「仕事の仕方」「友達との付き合い方」などと同じように「仕方」なんだけど、仕方とは、やり方、ものごとをやる方法のことだから、そんなの無限にあって当たり前だろう。
食べ方も話し方も人間の数だけあるし、生き方も同じで無限だ。
でも、生きる目的はもしかするとその人には一つしかないかもしれない。
もしくはあっても限られたものだろう。
生き方がわからないのは、なんで生きるのか、どう生きるのか、が定まってないからだ。
どう生きるべきか、これは人間の根本命題である。
そこを考えることが生きることの意味の中心を成していく。



しかし、生きる目的というものはずっと同じではない。
人生にはいろいろなことがあって、いろいろな出来事が降りかかってきて、振り回されて、軌道修正とか、気づきとか、後退とか前進とかを繰り返すので、その目的そのものが変化していくものだったりする。
何のために生きるのか、どう生きるべきか、という根本命題は人生のあゆみの中でも変化していくものだろう。
その変化もまたとても重要だったりする。
その変化は自分が生み出していることだったりする。
なので、ぼくはずっと考えている。
なんで生きるのか、どう生きるのだろう、と自問し続けている。
この問いかけが、なぜ、今自分が生かされているのかを教えてくれたりする。



なんのために生きているのかわからない、と悲観する必要はない。
そんなものわかってる生きてる人間なんてほとんどいないのだから…。
むしろ、こう考えてほしい。
生き方がわからない、なんで生きてるのかわからない、どう生きるべきかわからない、ということは、つまり、そこに問いかけがある、ということだ。
ここにある小さな苦悩は実は大きな可能性を持っている。
自分が生きる意味を見つけ出せないという悩みは、同時に、そこへ向かう力が内在している証拠でもある。
そして、上手に生きられないという不器用さはその人の真面目さの現れでもある。
悩んでいる時、人間は必ず成長している。
迷っている時、人間はちょっと停滞している。
しかし、その成長はずっと続くものだと思ってほしい。
ぼくは61歳だけど、まだまだ未熟な人間なので毎日、落ち込んでいる。
ふと思うのは、この落ち込んでる自分には、跳ね返す力もあるということだ。
なんで生きているのかを探すこの生涯を切に生き切ってみたい、と思う。
その一瞬一瞬の中に、人生があるのだと思えば、生きる目的を探す意味が浮き上がる。
今日も精いっぱい生きたろう、と自分に言い聞かせている。

自分流塾「生き方がわからない、とぼくの若い友人が言う」

自分流×帝京大学
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posted by 辻 仁成

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Hitonari Tsuji
作家。パリ在住。1989年に「ピアニシモ」ですばる文学賞を受賞、1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。ミュージシャン、映画監督、演出家など文学以外の分野にも幅広く活動。Design Stories主宰。