日々のことば
自分流・日々のことば「つまずくもご縁」 Posted on 2025/05/28 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
ぼくがいつも人との出会いにおいて大切にしている「ことば」があります。
「躓く石も縁」
こう書いて、(つまずくいしもえん)と読みます。
たとえば道で躓くことってありますよね、なにか石とか枝とかにあたって、ま、石が多いわけですが、ふと足をひっかけた路傍の石でさえも、数ある石の中から、自分を躓かせた世界でたった一つの石なんだから、まあ、何かのご縁があるんだろう、と昔の人は、優雅に考えていた、ということわざですね。笑。
そこから転じて、殺伐とした世の中だけれど、なんらかのことで出会ったのだとしたら、ここには何か意味がある。不思議な縁がある、と思いなさい、ということになります。
人間って、いったい生きているあいだに、何人の人と会うのでしょうか?
ぼくはノルマンディの田舎に引っ越しましたが、そこで新しい出会いを持っています。
周辺の人たちが「絵を描いている日本人は君かね」という感じで、ほんとうにふらっと顔を出していくので、思わず、親しくなっていくのです。
「何か困ったことがあったら、言いさない」
そういう優しい言葉をかけてくださる人もいます。
今まで、数えきれない人たちと出会ってきました。新しいご縁は途切れることがありません。
なんでなんだろう、と考えます。
友だちは少ないぼくですが、少なくともこんなフランスの田舎にいても、一人、二人、新しい顔見知りが増えていくんですよね。
そして、そうやって、知り合った人たちは、その後のぼくの人生に、出会った意味を明かしていきます。
この人と出会ったのは、今日のこのことのためだったのか、とたとえば、数年後に気づかされたりするわけです。
なので、ぼくは、慎重になりながらも、そのご縁を大切にしようと思って受け入れているのです。
ここ最近、知り合いが、どうしてもその知り合いを紹介したい、という話しが続いていて、お会いする機会も増えました。
でも、持続しない出会いもあるんです。
その瞬間だけ顔見知りになる出会いみたいなもの、これもまた多いですね。袖振り合うも他生の縁、という別のことわざがありますが、まさに、袖を振り合っただけのようなご縁、です。
ただ、そういうのも、数年後、ある瞬間に、再接続することがあります。
何か気になっていて、一度は、出会いは持ったものの、そのままになっていたのだけれど、長い年月のあと、必然のように再会をする、というものです。
限りある一生の中で、こうやって出会っていった人たちは、きっと意味を持って出現した人たちですから、そのメッセージを誤読しないように、悠然と向き合うべきでしょう。
だから、躓くような出会いであっても、そこに意味を探すことは、大事なことかもしれません。
因縁とは悪い意味でとらえられがちですが、物事というものはすべて、その「はじまり=原因」とそれが結んでいく過程の「出会い」とによって、動かされているものであり、それは、そういうもともと定められている運命によって生じる、と思う必要があるのかもしれません。
「この人は何をぼくに伝えるためにここに出現したのか?」
「あの人はなぜあんなことを言い残していったのか?」
「その人はなぜいまぼくの前で幸せそうに笑っているのか?」
縁が何を自分に連れてきたのか、きちんと考えることが出来る時、人間は成長しますね。
その因縁を、よい方へも、悪い方へも動かしていくのは、結局、自分次第ということになるわけです。
躓いた石の意味をどうとらえるのか、・・・。
さ、今日も精一杯生きたりましょう。
えいえいおー。
今日のひとこと。
「躓く石も縁」
大切なお知らせ。
・辻仁成の個展開催
7月9日から、三越日本橋本店、コンテンポラリーギャラリーで、
7月23日から、岡山天満屋本店美術画廊にて、
10月13日から、パリ、マレ地区にある画廊、20THORIGNYで2週間、開催いたします。
・日々のことばを、生放送ラジオで、ツジビルは毎月3回、5の付く日にオンエアー中。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。