日々のことば
自分流・日々のことば「考えすぎてはいけません」 Posted on 2025/06/06 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
毎日、いろいろあって、気が重いですな。
ぼくも生きているので、思いもよらないことが不意に訪れ、驚くほどたいへんな悩みに突き落とされることがままあります。
あります。
人間ですから、生きているから、ふりかかることは子供のころには想像が出来なかったほど、多いわけです。
そして、残念なことですが、生きているかぎり、こういう苦悩はなくならず、付きまとうというわけです。
朝っぱらから、人間は悩んでいます。
しかし、あまり、考えすぎると、悩みすぎると、逆に、人間は余計なことを考えてしまい、悪い方へと向かうことがあるのです。
昔の人は言いました。
「分別過ぐれば愚にかえる」
この「分別」とは考えるということ。
考え過ぎると、愚かなことになるぞ、という戒めです。
なるほどね、そういうこともありました。
ぼくは、まあ、けっこうな年齢なんですが、それでも、悩み多き若者です。笑。
他人から付きつけられる難題だけじゃなく、身内からもいろいろと言われるのが、めんどくさいことに、人生というものです。
その時、こういうことを一生懸命解決しようと考えるわけですが、考えすぎちゃいかんよ、という教えですね。
どうにもならないこともあるので、時が解決するのを待つ方がいいこともあります。
踊ったり、走ったり、友だちとわいわい騒いでいるうち、つまり、そうこうしているうちに、一生なんて終わってしまいますから、苦しむだけ無駄なんですよ。
「分別過ぐれば愚にかえる」
いいじゃないですか、この際、考え過ぎるのをやめてみましょう。
ぼくは、頭の中に「消えろスイッチ」を持っているので、そういう時には、ボタンを押します。えいっ!
消えます。
一つ、いかがですか?
類義語に、
「過ぎたるは猶(なお)及ばざるが如し」
という孔子の論語を由来とされることわざがありますね。
どんなことでもやり過ぎてしまうと足りないのと一緒じゃよ、という教えです。
やり過ぎはダメ、ということです。
ほどほどがいいぞ。
まあ、時にはやり過ぎないといけないこともありますが、そういう時にこそ、自分に、呟くといい言葉ですね。
中庸ということば、ご存じですよね。
アリストテレスも、同じようなことを言っています。人間の考えや行動のやり過ぎと足りないの間、中間(メソテース)がいいんだ、と。メソテースの英語訳が面白いですね、Happy Meanなんだとか、日本語の訳は、儒教のことばから、中庸、があてはめられたというわけです。
だから、論語の中にも出てきますよ。「中庸の徳たるや、それ至れるかな」、ここから「中庸」は、儒教の中心概念の一つになっています。なるほどね。
中庸、つまり、過不足なく偏りのない徳、いいですねー。
前に書いた「足るを知る者は富む」にもつながります。
ま、中庸の豊かさを満喫しましょう。
くよくよしてもしょうがない、ずっと、なんとかなってきたじゃんね、だから、ほどほどに生きていましょう、ということ。中庸をとる。
「分別過ぐれば愚にかえる」
考えすぎたらバカ見るで、ということだから、眉間の皺を広げて、口角をあげて、ま、ええか、なんとかなるやろ、と大きく構えて、真ん中を堂々と歩いていけばよかとです。
はい、今日も精一杯、生きてください。
えいえいおー。
今日のひとこと。
「過不足なく偏りのない徳」
大切なお知らせになります。
・辻仁成の個展開催
7月9日から、三越日本橋本店、コンテンポラリーギャラリーで、※ 初日、7月9日だけ、混雑をさけるために、入場抽選があります。それに関して、以下のURLからご確認ください。
また、10日以降は、入場整理券は不要ですが、会場混雑緩和のために入場制限をさせていただく場合がございます、と画廊さんからご連絡頂きました。2週間ありますから、のんびり、ご来場ください。
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https://www.mistore.jp/store/nihombashi/shops/art/art/shopnews_list/shopnews0696.html
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7月23日から、岡山天満屋本店美術画廊にて。
10月13日から、パリ、マレ地区にある画廊、20THORIGNYで2週間、開催いたします。出没しますよ!
・日々のことばを、生放送ラジオで、ツジビルは毎月3回、5の付く日にオンエアー中。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。