日々のことば
自分流・日々のことば「幸福と孤独」 Posted on 2025/07/01 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
幸せというものは、人ぞれぞれ、なかなか難しいものがあり、ひとことでこれが幸せだって決めつけられないものがありますね。
「辻さんはどういう時に幸せを感じますか?」
と、聞かれることがたまにあります。
でも、こうだ、と答えることってなかなか難しいですね。
だいたい、後になって、あの時は幸せだったかな、と思うことが多いですし、幸せって、その瞬間は気がつきにくい、ものなんじゃないでしょうか。
幸の薄いぼくも昔、車で家に戻る途中、ああ、帰ることができる家があるんだ、なんて幸せなんだろう、と心底思ったことがありました。
その時のことだけは、記憶に鮮明に残っています。ぼくは一人で運転をして、家に戻る途中でした。
ハンドルを握りしめていたんです。
口許が緩んでいた、と思いますよ。
どこからか、幸せだ、という気持ちが湧いてきて、この幸せがなくならなければいいのだけれど、と思ったんです。
もちろん、なくなりました。
でも、その時に思ったことがあります。
幸せって、自分一人だけのものじゃない、ということです。
手前味噌で申し訳ないですが、ぼくの少し前の歌に「孤独をラッタッタ」という曲があります。
キッチンで作ったんです。独りぼっちの夜に。
その歌の4番の歌詞に
「自分ひとりだけ幸せになれたやつなんか知らない」
というのがあります。
つまり、幸せって、基本は、二人以上の成員で構成されるものなのかな。いや、はっきりとはわかりませんが、相手がだれかいることで、幸せを実感することが出来るんだと思ったわけです。
「いいや、俺は独り者だけれど、幸せだ」
という人もいるでしょうが、その一人がかかわる世界が不幸だったら、幸せにはなれないわけで、やはり、みんなで、周囲も相手もあって、幸せというものはうみだすものなんですよね。
「幸せだなー」
と思う時、そこにはたぶんに相手がいたり、縁のある世の中があったり、家族がいたりするわわけです。
その上で、幸せなんじゃないでしょうか。
まわりをみんな無視して、敵視して、自分一人だけ、幸福だ、という人にはさすがに会ったことがないです。
幸せは共有するものであり、もちろん、それは相手が動物かもしれないし、様々でしょうが、幸せになるためには、自分以外の何かとの幸福の分かち合いが必要な気がします。
「孤独をラッタッタ」をぼくがいつ作ったのか、もう、思い出せないんですが、今は寂しいけれど、それでも前進したいよね、という気持ちが「ラッタッタ」につながっているのかな。
小さな幸せをかきあつめて、今日をなんとか乗り切るのが自分の毎日ですが、でも、いつか幸せになりたい、と思わない日はないですよ。それは願って生きています。
はい、今日も精一杯生きたりましょう。
どうぞ、あなたが幸せでありますように。
えいえいおー。
今日のひとこと。
「自分ひとりだけ幸せになれたやつなんか知らない」
今日のごはん。
「太麺カルボナーラ」
個展のお知らせ。
いよいよ、もうすぐですね。個展、迫ってきましたよ。
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「Le Visiteur」展、
東京、7月9日から21日まで、三越日本橋本店、コンテンポラリーギャラリーにて。
岡山、7月23日から28日まで、岡山天満屋本店、美術画廊にて。
パリ、10月13日から26日まで、パリ、ピカソ美術館そば、GALERIE20THORIGNYにて。
問い合わせは、各画廊へお願いします。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。