日々のことば
日々のことば「出る」 Posted on 2025/07/30 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
ぼくはマジでよく叩かれてきました。
ぼくはいろいろなことをやりますし、なかなかに生意気でしたからね、けっこう頑固でしたし、目立ちたがり屋でしたから、どこの世界でもまず、叩かれること、から始まりました。
それは転校生だった中学生時代に遡ります。
実際に、殴られたりもしていました。
要は、いじめられっこ、だったわけです。
生意気だったし、意見なんかもズバズバ言うてましたし、そりゃあ、敵対視されるな、と今、この時点から振り返ると、納得できます。
でも、どんなに殴られても、負けなかった、ことはだけ言えると思いますよ。
だって、 負けを認めたことがないんです。
力で踏み倒されても、学校を休んだことはなかったし、今に見てろ、と思って生きていました。
今も、ずっと変わりません。
☆
友だちにある日、言われたのです。
「辻、出る杭は打たれる、だぞ」
って。
おかしなことを言うな、と思ったものです。
別の誰かが言いました。
「出過ぎた釘は抜かれるぞ」
マジで、そういうことばを信じているのかお前ら、と首を傾げた辻少年でありました。
自分を偽って生きてたら、本当に、杭にしかなれないじゃん、と思ったんですよね。
「出る杭は打たれる」
このことばは、ぼくの中に反抗の支柱として突き刺さることになります。
ある日、ぼくは思いついたのです。
「出る釘は打たれる、出過ぎた釘は抜かれる、しかし、出ない釘は打たれることもないし、引き抜かれることもないじゃん」
ああ、このことばの本当の意味は、「打たれる人間には、それだけの反骨がある」ということなんだ、って。
抜かれるくらいになると、邪魔なんですよ、その世界においては、だから、やつらは引き抜きに来るわけです。
そこまでになると、たいしたものなんじゃないか、と、逆に思いませんか?
つまり、木の中に埋没する一本の杭でいるよりも、引き抜かれて、大の字になった杭の存在感の激しさこそ、ぼくが目指すとこなんじゃないか、って、気が付いたんです。
そしたら、創作の世界で叩かれることについても、なんとも思わなくなりました。
叩かれてなんぼって、ことです。
叩かれないと、人間は習得できませんからね、要は「失敗は成功の母」と同じ意味になります。
引き抜かれた時に、見えてくるものこそ、自分の生き様なんですよ。
はい、今日も精一杯生きたりましょう。
えいえいおー。
今日のひとこと。
「出る杭は打たれる」
今日のごはん。
「モスバーガー」
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パリ、10月13日から26日まで、パリ、ピカソ美術館そば、GALERIE20THORIGNYにて「辻仁成展」開催します。
この秋の作品は、これまでにない、新しい世界となります。その第一歩という感じです。
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2026年、1月中旬から3月中旬まで、日動画廊パリにて、グループ展に参加します。秋頃に、詳細が決まります。
また、お知らせします。
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そして、毎月3回やっている人生を語り倒すラジオ・ツジビルはこちらから、です。どうぞ。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。