自分流・日々のことば
日々のことば「人間」 Posted on 2025/08/23 辻 仁成 作家 パリ
おつかれさまです。
毎日、思うことですが、なんで生きているのか、ということです。
生きているから、大変が毎日押し寄せてくるわけですし、生きているから毎日生活費がかかるわけでして、じゃあ、それに見合う幸福が毎日訪れるのかといえば、そんなこともないので、悩ましい一生でございます。
それでも「生きている」わけですから、日々を少しでもよくしたい、と思うのがこれまた人情というものですね。
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今朝は、犬の散歩をしながら、考えました。
この「犬」を飼うというのは、餌を与えないとならないわけですし、餌代を稼がないとならないわけですし、散歩にも連れ出さないとならなければ、犬がしたうんちを袋で掴んでそれを捨てないとなりません。毎日・・・。
つくづく、なんでこんな生き物を育てているんだ、おれはバカかお人よしか、と思うこともあるわけです。
でも、自分で決めたことなんですよね。
すると、愛犬が振り返り、小生をじっと見あげました。しばらくのあいだ、目が合います。
しかし、この子はこんな小生でもいなければ生きていけない生き物で、そこには何かのご縁があるのだろうと思ったものですから、しゃがんで、抱きよせてやりましたら、尻尾をたくさんふってくれるわけです。
目元がじわっと熱くなります。
そこで、ふと、思ったのですが、人間は、何かこうやって毎日やらないといけない仕事なり責任があるからこそ、生きることに張り合いが生まれているのじゃないか、と・・・。
そういうものをすべて否定していたら、マジで、何のために生きているのか、わからなくなろうというものです。
「人間とはなんぞや」
このことば「人間とはなんぞや」というのは、昔、京都にある大学の、もうお亡くなりになった理事長が、ぼくに問いかけたことばでした。
いや、その日から今日までこのことばが折に触れぼくの心の中に出現し、問いかけてくるようになったのです。
この問いかけがとっても響きましてね、というのも、一言でこれだと定義できないのが人間なんです。
だから、その人と出会ってからずっと、ぼくはそのことばを掌に載せては、転がし続けてきたという次第です。
要はこの問いかけこそが、答えなのだ、とある時、気が付きました。なるほど!
「人間とはなんぞや」
と自問をし続けているうちに、なんぞや、と問いかける自分がいることが見えてきて、苦しんでいる自分の輪郭がわかるようになり、日々の苦しみの中でもがいている瞬間なんかに、なんだろうと思っている自分を知るようになったという次第です。
ぼくはあと何年生きるかわかりませんが、最後の瞬間まで、「人間とはなんぞや」を追求することになるのじゃないか、と思っています。
「人間とはなんぞや」という答えのない疑問が、逆にぼくの生きる指標となっているのも事実でしょう。
死ぬまで、問いかけ続け、自分と向き合ってまいりたいと思うのです。
心の中に「問いかけ」を持つことは大事ですよね。疑問こそが、人間を育てているのですから。
はい、今日も精一杯生きたりましょう。
大丈夫です。
今日のひとこと。
「人間とはなんぞや」
今日のごはん。
「海苔弁当定食」
この海苔弁は、時々、日本を思うと食べたくなるもので、魚のフライの下に敷き詰められた海苔のそのさら下にはでんぶと昆布が隠されています。このためだけに、日本に帰るとでんぶを買うんですよね。ノルマンディで、海苔弁当、最高じゃないですか。魚のフライには、自家製のタルタルソースが最高過ぎます。
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ということで、個展情報です!!!
近づいてきましたよ。今は、ここだけが、ぼくの希望です。笑顔でお会いしましょう。
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パリ、10月13日から26日まで、パリ、ピカソ美術館そば、GALERIE20THORIGNYにて「辻仁成展」2週間、開催します。
今回は、浮世絵にヒントを得た新しいシリーズ、ボタニカルな美しいノルマンディ世界、など、今までにない辻ワールドでおおくりします。全23点の渾身作で行くよ。笑。
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辻仁成の美術サイト、昨日、更新されました。
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posted by 辻 仁成
辻 仁成
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作家、画家、旅人。パリ在住。パリで毎年個展開催中。1997年には「海峡の光」で芥川賞を受賞。1999年に「白仏」でフランスの代表的な文学賞「フェミナ賞・外国小説賞」を日本人として唯一受賞。愛犬の名前は、三四郎。